説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ
2020/01/06 12:24 に 旧アカウントにて投稿した記事を転載
は、僕が大好きな一節で、村上春樹さんの「1Q84」(文庫版)のBOOK2前編のP.234にあります(単行本版は手元にないのですがBOOK2のP.181のようです)。
せっかくなので前後も少し引用してみましょう。天吾と彼の父親との会話のシーンです。
**以下引用**
「町は猫がつくった町なのか。それとも昔の人がつくって、そこに猫が住み着いたのか?」と父親は窓ガラスに向かって独り言のように言った。でもそれはどうやら天吾に向かって投げかけられた質問であるようだった。
「わからないな」と天吾は言った。「でもどうやら、ずっと昔に人間がつくったもののようですね。何らかの理由で人間がいなくなり、そこに猫たちが住み着いたのかもしれない。たとえば伝染病でみんなが死んでしまったとか、そういうことで」
父親は肯いた。「空白が生まれれば、何かがやってきて埋めなくてはならない。みんなそうしておるわけだから」
「みんなそうしている?」
「そのとおり」と父親は断言した。
「あなたはどんな空白を埋めているんですか?」
父親はむずかしい顔をした。長い眉毛が下がって目を隠した。そしていくぶん嘲りが混じった声で言った。「あんたにはそれがわからない」
「わかりません」と天吾は言った。
父親は鼻孔を膨らませた。片方の眉がわずかに持ち上がっていた。それは昔から、何か不満のあるときに彼がいつも浮かべた表情だった。「説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ」
天吾は目を細めて相手の表情を読んだ。父親がこんな奇妙な、暗示的なしゃべり方をしたことは一度もない。彼は常に具体的な、実際的な言葉しか口にしなかった。必要なときに、必要なことだけを短くしゃべる。それが会話というものについての、その男の揺らぎない定義だった。しかしそこには読みとれるほどの表情はなかった。
「わかりました。とにかくあなたは何かの空白を埋めている」と天吾は言った。「じゃあ、あなたが残した空白をかわりに埋めるのは誰なんでしょう」
**ここまで引用**
個人的にはあまり説明はしたくないと思っています。もちろん説明が必要な場面はありますし(仕事の上では、もちろん)説明をしなければいろいろな人間関係は崩壊してしまうでしょう。それはあたりまえの話です。
しかし「説明が得意な人に説明してもらう」という方法がありますし「説明をしない説明」というのもまたあると思っています。
たとえば記事を紹介するときも「それをどう解釈するかはその人次第」ということで、できるだけ自分の意見を差し挟まないようにします。「ではおまえの考えはどうなんだ?」と言われて、もちろん自分なりの考えはあるけれど、そこで表明してしまうことによって、元記事の意図していることが暗に削がれてしまう恐れもあると思うのです。(こういう話はいつかどこかで何度かしてきました)
じゃあどうすればいいかというとやっぱり「自分でやる」しかないのだと思います。自分でやると、180°異なる印象を持つかもしれません。ほんとにわからないものなのだと思います。
「答えを急ぐ」のは「心の弱さ(あるいは類するもの)」ゆえ、なのかなと思っています。根本的にそういう考え方をするようです。
いえ、もちろんそれを否定しているわけではなく僕も同じようなものですし、それらをハシゴにして超えていったりするものなのだとは思っています。
しかし一方で、言葉で説明のつくことは、たかがしれているのかもしれません。
多くの本やありがたい教えに触れて、それで幸せになったでしょうか。
まぁいうても僕はだいぶ説明している方なのでしょうけれど…(^^;)