「冷たい世の中」こそ現実
ぼくは思う。
現実は冷たい。
他人はあなたが思うよりはるかに冷たい。
全然気遣ってなんかくれない。
怪我に塩を擦りこむことを平気でする。
自殺した人に対し、「自殺するほうが悪い」「自殺するほど悩むなら誰かに相談すればいい」「逃げればいい」そんな意見は山ほど出る。
これも現実。
自殺した人を誰も助けなかった。
助けなかったのが異常なのか?
いいや、助けなかったのが普通。
助けることは、普通じゃないのだから。
あなたが道路で転ぼうが、手を差し伸べる人はいない。
見て見ぬふりが当たり前。
暴行を受けても、遠巻きに見ているだけ。助けてくれる人はいない。
それが現実。
世の中は冷たい。
世の中は苦しい。
世の中は辛い。
悲観的に見すぎている?
いいや、これ以上ないほどに現実を直視している。
助け合いの社会?
誰が最近あなたを助けてくれた?
あなたは最近誰を助けた?
助けなんか期待しちゃいけない。
期待なんかしたら、もしそれが叶わなかったとき、どうなると思う?
誰かが助けてくれると思ったら、誰も助けてくれなかった。
その現実を、どう受け止めたらいいの?
誰かが助けてくれるなんて期待しちゃいけない。
期待しなければ、落ち込むこともない。
期待を裏切られた絶望に浸ることもない。
誰かが助けてくれる世の中なんて期待したら、誰も助けてくれなかったとき、どうなる?
日本人なら、1億人が誰もあなたを助けてくれなかったことになる。
その現実に、あなたは耐えられる?
あなたが助けを求めて、1億人の誰にもその声が届かなかったら。
誰も見向きもしてくれなかったら。
それこそ絶望だ。
ぼくは期待しないことが処世術だと思っている。
期待しなければ、裏切られることは無いから。
期待しなければ、それ以上マイナスになることもない。
期待しないことは、精神安定剤だ。
そして、そんな期待しない世の中において、助けてくれる人の存在は異常だ。普通じゃない。
だからこそ嬉しくなる。
助けを期待することは、見方を変えれば助けがあることを当たり前とみてしまう。
助けられて当然だという人は、あなたの目にどう見える?
きっと傲慢な人に見えるはずだ。
困っても誰かがなんとかしてくれるという他人頼りでいる姿は、周囲からは敬遠される。
そういう人は、助けられるのが当然なのだから、ろくに感謝もしない。
当然のことに感謝する人はいない。
助けとは当然のことか?
それとも、有難いことか?
助けられたら、「ありがとう」と言う人が多いだろう。
それが答えだ。
助けとは、有難いこと。
有難いとは、めったにないこと。
助けは、めったにないこと。
助けはめったにないのだから、世の中は冷たい。
冷たい世の中に生きていると思うことが、もっとも現実に生きている。
助けを異常と感じ、助けを当然のことと認識しない生き方。
助けを有難いと思える生き方。
助けに当てにしない生き方。
それこそが、ぼくの望む生き方。