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それでも人とつながって 002 障害1

『障害者と呼ばれる方たちがいる』

関わりを持とうと思って付き合いが始まる場合と、何も考えていなくても関りが生まれることがある。どんな人とでも自分の人生や生活の中で敢えて関わろうとしなければ生涯縁の無い付き合いもある。知らなければそれまで。知ろうとしなくてもそれまで。それも悪いことではないのだと思う。

ある時期にしていた仕事は対象者を限定しない、人と人との繋がりをつくっていく内容の仕事だった。子どもからお年寄りまで。子育て中のお母さん、定年リタイアして家に居るお父さん。小中学校や地域の活動、サークルなどとも関わりを持った。けど何も分からなかった。

何も分からないなりに努力しながら半年が経ったころ、公的な機関から一本の連絡が入る。『こちらでは相談内容を受けきれず相手様も感情的になられています。エリア的にそちらの担当になると思いますのでよろしくお願いします』という話だった。途中で重度とか障害児とかいう言葉が聞こえたが何のことだか分からなかった。

そんな連絡から大して日を置かずに二名の若い女性が訪れる。とても重い障害のあるお子さんを持つ母親。自分達は外出もままならい。同じ体験をしている親御さんとの情報交換や、経験のある親御さんに相談したり助言を貰ったりすることもできない。一般とはかけ離れた子育てをしている。せめて集まる場や情報交換の場が欲しい。

聞く話は全て初めて聞く内容だった。切実な感じがした。小さい時のある日の場面を思い出した。放課後の小学校のグランドで幼馴染と遊んでいると、校門から少し入った所に大きなベビーカーに手をかけて、じっとこちらを見ているお母さんが居る。何故かひと目でお母さんだと分る感じがした。ただそれだけで暫くなんとも思わなかったが段々と気になってきた。それは幼馴染達も同じようで、遊びながら皆の視線もちらちらとそちらに行っている。

気が付けば皆で少しずつ近くに寄って行っていた。お母さんの方から「こんにちは」と静かに声を掛けてくれた。それを切っ掛けにお母さんとベビーカーに近づいた。何だか少し大きく見えるベビーカーの中を覗き込んで見ると、赤ちゃんより大きいけど自分達より小さい子どもが寝るような姿勢で乗っていた。皆で声を掛けたりふざけて見せたり、何歳なの?と問いかけてみたり、どちらへ聞くとも無く何処から来たのと訪ねてみたり。そんな事をした。

その出来事があってから、お母さんとその子を小学校の校門から少し入ったグランドの隅に見掛けることが多くなった。自分達も慣れてきていたので、姿がある時には自然と声を掛けるようになっていた。少し大きく見えるベビーカーを押させて貰ったり、自分達が遊ぶ遊具の側までベビーカーを運んできたりしていた。お母さんは嬉しそうにしていたけれど「皆と同じ学校に入れたら良いのにな」と言った時の顔はそうではなかったので寂しい気がした。

ベビーカーに乗っている子を初めて見た時から自分達と何かが違うような気はしていた。でもそれは最初だけで、お母さんが「皆と同じ学校に入れたら良いのにな」と言った時に、幼馴染達も口を揃えて「来いよ来いよ。待ってるよ」というようなことを言っていた。ただ普通にそう感じていた。暫くするとお母さんと大きめのベビーカーの子を見掛けることが少なくなり、見掛けることが無くなった。そしてこの時まで忘れかけた思い出のようになっていた。

あの時、分からなかった。いま二人のお母さんを前にしても何も分からない。自分はなんだか大きな何かをしそびれて来てしまったような、切なくやるせない気持ちになった。

話を聞いている最中に「なんとかします」と言葉が出てしまった。目の前に居る二人のお母さんはキョトンとしている。もう一度「なんとかします」と言った時、心が晴れていくような感じがした。この道で良いんだ。分からないのがなんだ。そんなの別に良い。なんとかします。どんなに恥をかいても。覚悟が決まった。あの時、分からなかったから。


これは障害の巻の一。この後に続く体験はまたの機会に。

もし読んでくださる方がいらっしゃったなら。お読み頂いたあなたに心からの御礼と、文章を通しての出会いに心からの感謝を捧げます。

この気持ちは文字だけではありません。必ずあなたに届きますように。


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