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イスラム教の論理 2

飯山陽氏の「イスラム教の論理」2018.2新潮新書 のまとめの2回目、今回はイスラム法についてです。
イスラム穏健派は他の世界となじむためにイスラム法を控えめに語りますが、イスラム法の真実を語っているのは実はイスラム国(IS)などの過激派です。穏健派から過激派まで、イスラム教徒の信仰生活がどのようなものかを知ることができます。

イスラム法は神が下した完全無欠の法

イスラム法の法源

・イスラム法(シャーリア)は、コーランとハディース(預言者ムハンマドの言行録)を法源とする法律で、イスラム教徒(ムスリム)が多数を占める地域、イスラム世界(イスラム教徒が社会の中心にたって活動する地域)で行われている。
・イスラム法は、イスラム世界で1400年以上にわたって編纂され続けてきた膨大な「回答集」(人間生活にかかわるあらゆる種類の問題(発言、行為)と回答)で、戦争、いじめ、死別等どんな問題もひきうけ、解決し、何を信じ、どう生きるべきかを極めて具体的に示す。
・イスラム法は神が下した完全無欠の法で、法の完全性は神の完全性に由来する。したがって、イスラム法の欠点や間違いを指摘することは、神に欠点、間違いがあると主張することになるゆえに、絶対に禁じられている。
・イスラム法に従って生きれば来世で救済される。

イスラム法は民主主義に優越する

・イスラム法(神の法)は、神が人間に恩恵として与えた導きであるがゆえに、『神の法は人間の産物である民主主義に優越する』。
・穏健派、過激派ともに、判断を下す際の最強の論拠はイスラム法(コーランとハディース)で、すなわち、イスラム教には過激派と穏健派を区分する論理は内在していない。
・現在のイスラム諸国は、イスラム法を認める一方で、人間の作った世俗法により統治している。(「イスラム法が憲法」と言っても イスラム法そのものによる統治ではない) 

イスラム法学者

・イスラム法学者(ウラマー:神の法たるイスラム法を解釈し判断を下す)には、過激派(啓示の文言に忠実であることを最優先)も穏健派(社会の安定を重視)もいる。
・18億のイスラム教徒の信仰の基底にある「伝統的なイスラム教」の論理に則るならば、穏健派と過激派が議論しても永遠に「引き分け」となる。
・歴史的には穏健派が主流

・一般信者はその場に応じた具体的判断を知り得ないため、困った問題を抱えると、イスラム法学者に相談する。イスラム法学者は、イスラム法の著作群(コーラン、ハディース、これらから演繹的に導出した規範を体系化したもの)に基づいて判断を下す。
・イスラム法学者の解釈が異なることもあるが、判断が異なるのは自然であり、すべて等しい価値をもつとされる。
・どの法学者の解釈を選択するかは個人にゆだねられる。回答に納得がいかなければ、別の法学者に、納得がいくまで相談に行ってよい。
・イスラム法学者は回答の最後に必ず「神が最もよくご存知」と付けくわえ、解釈の多様性は「神の恩恵」としている。

イスラム法による統治が正統

・イスラム教における正しい政治のあり方は、カリフ(世界中の全イスラム教徒の政治的指導者)による、イスラム法に基づく統治。
・19世紀半ば以降、イスラム教徒の西洋的近代化と世俗化が進み、主権国家となるために、イスラム法を法典化した。しかし、法典化されたイスラム法は人定法であり、神の法たるイスラム法より下位にある。
・穏健派法学者は、権力側に取り込まれ公務員となり、政府お抱えの学者組織がその国の宗教的最高権威となった。(サウジアラビアでは、高位法学者評議会)

・イスラム法を解釈し判断するのは法学者で、執行権限は政治権力者と規定されている。イスラム法は、法学者と政治権力者の両方がいなければ実行することができない。
・イスラム法学者は、政治権力者の正統性を保証し、社会の安定を志向した法運用に努める。政治権力者は、法学者のお墨付きを得てはじめてイスラム教的に正当な権力者として認められるという形式を重んじる。この形式のなかで、イスラム法学者と政治権力者は共依存の関係にある。

エジプトのアズハル機構

・エジプトでのイスラム教の最高権威はアズハル機構で、イスラム教育と研究を担う。
・しかし、国がイスラム教の最高権威を決めるのはイスラム教的にはおかしく、国が認定した最高権威は有名無実という現実がある。一般のイスラム教徒は、アズハル機構が出す宗教令を馬鹿にしている。

・アズハル総長であるアフマド・タイイブ 「イスラム国(IS)は罪を犯した悪徳者だが、神と終末の日を信じているから不信仰者ではなく、イスラム教徒である」「ISは彼らが考える所の大罪を犯した者は不信仰者だから殺しても構わないと言う。しかし、我々がISを不信仰者だと断罪すれば、ISと同じ過ちを犯すことになる。」「誰であれ、『アッラーのほかに神なし、ムハンマドは神の使徒』と宣誓する者は、その宣誓を否定するまでは、人生でどんなことをしようともイスラム教徒であり続ける」

・過激派に対峙するには、穏健派法学者と政治権力が結託し、「イスラム教という大義をかかげていても、国の安定を脅かすイデオロギーを唱える輩は逮捕し軍事力で制圧する」しかない。
・エジプトはイスラム教の最高権威のアズハル機構を擁しながら、対「イスラム国」有志連合に参加している。

イスラム教研究

イスラム法を真に学べば、改宗しかない

・イスラム法を学びイスラム教の本質に触れた異教徒は必ず「イスラム教に改宗する」というのがイスラム教の既定路線。改宗しないのは、「正しく理解していない」からであり、よって、「非イスラム教徒が、イスラム法研究を通してイスラム教の本質を語る」ことはタブーとされてきた。
・しかし、イスラム法を学ばずして、イスラム教を語ることはできない。

イスラム教に対する誤解

・イスラム国(IS)のようなイスラム過激派に共鳴する人があとを絶たず、イスラム教徒がテロを起こすのは、「真のイスラム教徒ではないから」「貧困、差別に苦しむ人がイスラム過激派の誘いにのってしまうから」「過激派によって洗脳、麻薬漬けにされた人が自爆を強制されるから」というのは誤り。「テロはイスラム教徒にとってのジハード(聖戦)であり、ジハードは、本来イスラム教徒の義務の一つだから」というのが正しい。ジハードは、「騒乱がなくなるまで、宗教すべてが神のものとなるまで戦え」というコーラン(神の声)によるイスラム教の教えそのもので、イスラム教徒である限り否定することはできない。

・2017年 オーストリアのイスラム教指導者が「イスラム教は平和の宗教」、「ISは、自身の政治的目的を達成するためにイスラム教を悪用している」、「イスラム過激派やそのテロ活動はイスラム教の教えと全く一致しない」といった『反テロ宣言』を行ったが、これらはイスラム教の教えに反する、西洋に向けた偽りの自衛のためのメッセージ。 

信仰生活

信じるもの

・神、天使、啓典、使徒、来世、天命の6つは真実である。
・神は唯一である。従って、神はいないと主張することは背教の罪、複数の神を信仰することは多神教の罪で、イスラム法では死刑にあたいする。
・神から下されたすべての啓典を信じ、その最後がコーランであるということを信じる。コーランは人が書いたもの、コーランには嘘がある、といった主張を禁じる。
・来世を信じる。現世が終わる終末の日に全ての人が復活し、来世で永遠の生を得ると信じる。

神の奴隷

・イスラム教徒はまず自分が神の奴隷であることを知り、奴隷たる自分の立場を認識しなければならない。その上で、神が今この瞬間、自分に対して行うよう求めている行為は何かと常に考える。(イスラム教特有の思考)
・イスラム教徒男性に多い名前「アブド」はアラビア語で「奴隷」の意味で、「アブダッラー」は「神の奴隷」。「神の奴隷」と名乗ることで、自分の意思ではなく神の意志に従って生きていると表明し、地上のどんな人間も価値も「主」として崇めたりはしないと宣言している。
・サウジアラビアの前国王の名前アブダッラー・ブン・アブドゥルアズィーズは「神の奴隷の息子の神の奴隷」で、自身が神の奴隷であることを世に知らしめる重要性、意義深さを象徴している。

義務

・神は人間に対し、あるべき世界の姿を示し、やらねばならないこと、やってはいけないことを具体的に命じた。それをやらないイスラム教徒は不信仰者。
・5つの行為(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)は、すべての信者の義務。しかし、現在、正統な方法で喜捨を徴収、分配しているイスラム諸国はない。
・1日5回の礼拝では、アラビア語でクルアーンを唱えることが義務 「アッラー以外に神はなく、ムハンマドは神の使徒」
・義務である1日5回の礼拝を毎日きちんと果たせば右肩に乗っている天使が善行として記録し、正統な理由なしに礼拝しなければ左肩に乗っている天使が悪行として記録する。日々の全ての行いがこのように記録され、最後の審判の日(清算の日)、この記録によって神が判定し、地獄か天国行きが決まる。

・世界中の人が神の法に従うようになるまで、不信仰者の討伐、ジハード(聖戦)を続けなければならない。
・世界をイスラム化する至上目的のために努力する。過激派は聖戦によって支配域を広げるが、穏健派は、異教徒の改宗によって緩やかな達成をめざす。したがって、穏健派は異教徒をイスラム教という正しい道に導く布教に熱心で、異教徒を非常に高い確率で改宗させる。
・世界をイスラム化するために武器をとって異教徒と闘う聖戦は、平時は一部のイスラム教徒の義務(過激派はこの義務を非常に重視)だが、イスラムの地が侵略、あるいは、イスラム教徒が蹂躙された場合は、全てのイスラム教徒の義務になる。

・ヒジュラ(イスラム法によって統治されている土地)へ移住する(ただし、病気、老齢などは免除される)。イスラム国(IS)の樹立まで、イスラム法に依って統治されている土地は存在しなかった。

善悪の判断

・イスラム教徒がしなければならないことは、自分が考え主体的に決めるのではなく、神が決める。殺人や窃盗が悪行とされるのは、道徳的に許されないからでも、自分がされたくないことは人にしてはいけないからでもなく、「神が悪だと決めたから」。
・物事の善悪、正否の判断基準は人ではなく神であり、人にそれを知らしめるのが啓示。
・「コーラン:神の言葉」に従って生きることで来世で救済される。

来世

・現世が終わりを迎える終末の日に、すべての人が復活し来世で永遠の生をえる。
・殉教者(ジハードで死んだ者)は天国に直行する。殉教者以外は、死ぬと現世の墓の中で眠り、終末の日に蘇り、生前の行いに基づいて神が審判を下し、天国か地獄行きが決まる。
・悪行を最も確実、明白に「清算」できるのがジハード。ジハードによって悪行を清算し天国に行けるというのは、イスラム教徒にとって「大きな救い」
・預言者ムハンマド「(天国の民への最小の報いは)8000人の召使と72人の妻、真珠や宝石で飾られた広大な宮殿」「(天国に入れられた男性は)一晩に100人の処女に近づくだろう」「オーガズムが次々と訪れ、眠ればまた彼女は処女にもどっている」

結婚

・預言者ムハンマド「若者たちよ、あなた方の内で、(経済的にも肉体的にも)結婚できる者はしなさい。結婚は最も視線を低くし、貞操を守ってくれるものである」➡早婚のすすめ(視線を低くする=性欲を刺激するようなものを見て、凝視したり姦通に走るなどしないために必要な作法)
・預言者ムハンマド「あなた方が(性交を求めて)妻に近づくこともまた、施しのひとつなのだ」➡できるだけ結婚し、合法な相手とは大いに性交するよう促す。

奴隷

・不信仰者に対しては、まず宣教を行い、従わない場合は武力で制圧して、殺害するか奴隷化する。
・イスラム教から背教した女性を奴隷化することは禁じられている。
・エジプト・アズハル大学の女性教授スアード・サーリフ2014年9月「イスラム教徒が異教徒と戦争をして敵側の女を獲得したならば、その女はイスラム教徒の所有する奴隷となり、その女奴隷を所有した人は彼女と性交することができる。それは彼が妻と性交できるのと同様である」(アズハル大学は世界最大規模のイスラム教スンナ派の研究教育機関で、エジプト政府の発表で2013年からの1年間でも約30万の学生が学んでいる。アズハル大学は世界中にイスラム教の教育機関ネットワークを有し、そこで学ぶ学生の総数は毎年200万人。すなわち毎年200万人が異教徒の殺害、奴隷化は正しいというイスラム法の規範を正課として学んでいる。)

女は男を誘惑する悪魔

・預言者ムハンマド「半裸のような恰好で誘惑的に歩く、神に従順ではない女性は、地獄に行く」
・預言者ムハンマド「ある女性を見てすぐに妻であるザイナブの元に行き、皮なめしをしていた彼女と性交した。「それから教友たちのもとに行き『その女は悪魔の姿をして近寄り、悪魔の姿で去って行った。だから、もしあなたが女を見たなら、妻のところに行きなさい。それによってあなた方の心の中にあるものを撃退することができるだろう』」
・女性は「男を誘惑する悪魔」であるから、安易に外出してはならず、外出する際には男性の性欲を刺激しないよう必ず慎み深い服装で美しさを覆い隠さねばならない。そうしない女は尊厳などない奴隷のようなものだから、襲っても構わない。
・イスラム諸国はセクハラ被害が極めて多い。
・2015年末~2016年始にかけて、ドイツ・ケルンで発生した集団性的暴行事件(500人以上の被害届、1000人以上の犯人はアラブ人イスラム教徒)について、イスラム教指導者サーミー・アブーユースフ「事件の責任は半裸のような格好で香水をつけてちゃらちゃらしていた女たちのほうにある。男が彼女らを襲いたくなるのも無理はない」

・エジプト人女性の82%が街中、公共交通機関内で、言葉による/肉体的セクハラ被害にあったことがある。60%が暴言、殴打、教育をうけることの禁止などの家庭内暴力を受けている。88%が割礼手術をうけた。38%が早婚を強制された。91%がこうした暴力と女性の服装は無関係。と回答(2012年エジプトの女性団体の調査)➡単なる女性蔑視の習慣、伝統ではなく、イスラム教の女性観による(エジプト人の9割がイスラム教徒)。
・女性の経済進出、セクハラ、医療機関の利便性、文化・宗教的慣行が女性にとって最悪の都市はエジプトのカイロ、続いてパキスタンのカラチ。(2017年トムソン・ロイター財団の人口1000万以上の19都市対象調査)

社会生活

・預言者ムハンマド「自分が結婚できる関係性にある女と二人きりになってはいけない。そうすれば悪魔がそこにいる三番目の者となろう」➡近親者でない他人同士の男女が、閉ざされた空間に二人きりでいると、男性の性欲が刺激され姦通につながりかねないので、二人きりになってはいけない。

・2007年アズハル大学のイッザトゥ・アティーヤ教授「(女性の社会進出により職場で男女が二人きりになるような場合は)女性が同僚男性に自分自身の母乳を五口飲ませればよい」⇦「男は、その乳母と結婚することはできない(コーラン第4章23節)(女が男に五口あるいは十口自身の母乳を飲ませれば、両社は結婚できない関係になる(預言者ムハンマド))」

・イスラム法は、人間を姦通という大罪から遠ざけるために、女性の美を隠し女性を隔離することを命じている➡女性の美しさがあらわになる/男女が混在する状況は、神の秩序を冒涜するもの。パリは「淫蕩と悪の都」(女性が髪、頭、手足を露出させているライブ会場、スタジアム、バーなどを攻撃した、2015年11月パリ同時テロ後のISの声明)

・飲酒、男女の混交は不信仰者の象徴であり、優先的に粛清すべき対象
・イスラム法は飲酒を禁じている
・音楽や踊り(性欲を煽り人を悪事へと駆り立てる)をしてはならない、見たり聞いたりしてもならない。
・厳格なイスラム法ではサッカーも禁止。

姦通は重罪

・イスラム様で認められる性交は、配偶者と女奴隷のみ。
・不倫関係、未婚者同士、娼婦との性交、レイプは姦通。
・レイプ被害女性は、レイプされたという申告は姦通行為を行った自白とみなされ、鞭打ちの刑となる。他方、レイプ犯は、自白か4人の目撃証言がなければ、姦通罪は立証されない。
・既婚者の姦通は、石打刑(ハディース)。石打刑は受刑者が死ぬまで石を投げつける刑だが、姦通罪の証明には、成人自由人男性イスラム教徒4人の一致した、その瞬間の目撃証言が必要な為、現実的にはほとんど証明不可能。
・未婚者同士の姦通は、それぞれに、百回の鞭打ち(コーラン)
・女奴隷は、イスラム教に改宗すれば救済される。しかし、救済される道のない娼婦との性交は重罪➡娼婦の存在を認める西洋諸国は過ちを犯している。
・預言者ムハンマド「イスラム教の中に売春というものはない」

同性愛は厳禁

・現代のイスラム諸国のほとんどは制定法を適用しているが、セクシュアリティ、結婚・離婚、相続などについてはイスラム法を採用している国が多い。
・性交がゆるされた関係性にある異性同士1対1の性交のみが合法。複数名、同性間の性交は禁じられている。
・実際には同性愛行為が多く摘発されている。イスラム法では死刑と規定されているが、現代のイスラム諸国の刑法は多くが禁固刑としている。
・インドネシアのイスラム教徒閣僚「LGBT運動は核戦争より危険」
・2017年のエジプトTV番組「同性愛はエジプト社会を滅ぼすためのアメリカの陰謀」「同性愛者は普通の人間ではない。高い建物から突き落として殺すべき。牢屋にいれるべき。」

ハラール、ハラーム

・イスラム教徒は、基本的に禁じられているもの(ハラーム)以外は食べてよい。禁じられているものとは、血、豚、酒。これ以外は食べてよいのだから、ハラール・マークをつけるより、ハラームを示す方が合理的。
・イスラム諸国に豚はいないため、コーランではっきりと『豚を食べる』ことを禁じられても、イスラム教徒にとって苦にならない。しかし、改宗イスラム教徒やイスラム諸国以外で暮らす場合、豚食に直面することになる。どのように豚食に向き合うかは個々人が判断する。
・豚骨は豚肉ではないから豚骨ラーメンはよい。ハムやソーセージは豚肉ではない。と豚を食べるイスラム教徒もいるが、現世で罰をうけることはない。最後の審判の日に、個々人が天国行きかどうかを決めるのは神である。

・食べられる食事(ハラール)の認定基準はイスラム法に基づきつつ、多種多様。
・日本国内のハラール認定機関は100以上あり、各々の基準で、日本企業の製品やレストランにハラール認定を行っている。厳格にハラームを気にする人は、基準が不明確なハラール・マークなどを信用しない。
・イスラム教に教義決定機関がない以上、国にも機関にもハラールを認証する権利はないはずで、認証行為は神の主権の侵害にあたり、信徒がその認証を信じるのは多神教の罪にあたるとする批判もある。

現実

・イスラム教徒にはコーランに規定されている義務(信仰告白などの5つの行為、ジハード、ヒジュラ)があるが、ほとんどのイスラム教徒は、喜捨、ジハード、ヒジュラの義務を怠っている(喜捨は税金に置き換え、 ジハードとヒジュラは不必要と解釈している)
・インターネット上で、イスラム教に関する情報、議論が増加し、穏健派法学者が説いてきたものとは異なる「正しい教義」が広がっている。

日本との関係

・イスラム教徒が多数を占める国の中には親日国が多い。そこでは、数多くの異教徒が普通に生活している現実がある。
・コーラン第47章4節「あなた方が不信仰者と出会ったときはその首を打ち切れ」 イスラム教徒が「神の言葉」として真正性を決して疑わない➡日本人も殺すべき敵


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