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フィリピン留学記⑰ 彼の名前を聞けばよかった

アテネオがサッカーの試合で無事勝利を収めた夜のこと。腹をすかせた我々は学校近くの屋台でささやかな祝勝会を上げることにした。
最近夜遅くに外出する機会が少なかったため、彼と遭遇するとは思いもしなかった。

細すぎる四肢と日焼けした肌、大きな眼はまるで小さな黒い惑星の様だった。
「ご飯ください」とジェスチャーする彼はまだ小学校一年生。

もし、いままでの私なら「お金がない」、「食料はない」とそっぽを向き、まるで彼がその場に存在していないかのように食事をとるが、今日に限ってうしろめたさと好奇心が勝ってしまったそうだ。

「明日学校なのにこんなとこいて大丈夫なの?」
「大丈夫」彼は自信なさげに答える。
「じゃあお母さんは?」
「お母さんはゴミ拾ってる」

ゴミを拾ってる?
彼が発した声が何度も頭の中を反芻する。

改めて私は今、何をしているのだろうか。
お腹のすかした子供の悩みを解決するでもなく、街にあふれかえるゴミを拾うでもなく、慈善活動をしているわけでもない。
今日も明日もご飯をたらふく食べ、ゴミをたくさん捨て、彼が外で物を乞うてる時間に冷房の効いた部屋で眠りにつく。
なぜ、私がこのような好待遇を得て、食べ盛りの彼は満足にご飯も食べれないのだろうか。

あまりの悔しさから屋台のおばさんに肉まんを買い、彼にあげてくれと頼む。
いまでも私がとったこの行動が正しいとは思っていない。自分の心に緊急用の絆創膏を貼っただけだ。私の財布にたまたま入ってた数字のついた紙切れでその場を切り抜けただけだ。

彼が食べた肉まんは一体どんな味がするのだろうか。きっと私が食べようとしているご飯よりはおいしいのかもしれない。
果たして、名前も聞けなかった彼は、明日も明後日も同じ場所に現れ、また同じように肉まんを食べれるのだろうか。
正しさなど存在しないし、きっと正解も存在していない。目を背けたいものだらけのこの世界とどう向き合うか、永遠の課題を突き付けられているようだ。

もしかすると、彼を理解せずにいられた心地よかった世界とは
もうお別れするべき時が来たのかもしれない。
せめて彼の名前を聞いておけばよかった。

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