フィリピン留学記㉙この悔しさはどうすれば
最近YouTubeでサッカー少年の密着取材の動画を見ていた時に、その少年が街に落ちているゴミを拾っていた。おそらくカメラが向けられてるからではなく、それが「いいこと」だと大人から教わっているからだろう。
だが、ふと疑問に思う時がある。もし彼がマニラに来たら、同じように街中に溢れかえるゴミを拾うのだろうか。
拾っても拾ってもどうせ新たなゴミが増える、だから諦める。そう街から教わっているのだ。そんな頭にモヤがかかった様な無力感がこの場所を苛んでいる。
そして自分もまた「何もできない」という不甲斐なさに憤りを感じる。
振り返ってみるとマニラは「持つ物/持たざる者」の対立がそこかしこで目に入る。高層ビルが立ち並ぶ都心のすぐ隣には、屋根すらままならないスラム街があり。達者な英語で会話する学生たちは、横たわっている路上生活者に見向きもせず素通りしていく。
どちらが幸せとは容易には決めつけられないが、存分に吸い込んだ排気ガスの香りは今日も私の足取りを重くさせる。
新たに訪れた留学生のK君が今日ボソッと
「台湾より食費も寮費も高いのに美味しくないって、おれなんでここきちゃったんだろう」
その通りである。
図星を突かれて、会話がたじろいだ。自分はここで何をしようとしているのか改めて考えさせられた。
問題が可視化されにくいという理由で日本から離れたのに、マニラは問題だらけで少し目眩がする。どこから手を付けていいか分からない
まるで夏休みの宿題の様だ。