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フィリピン留学記㉛マニラで「スラムダンク」
フィリピンはバスケ大国だ。
街角を歩くとバスケのリングが設置されており、週末には子供たちが和気あいあいとコートで遊んでいる。
マニラには公園が日本に比べ格段に少なく、その代わりなのか街中にはバスケのリングがよく置かれている。
今回はそんなスラム街に住む人たちとの熱い戦いをここに綴りたい。
なぜバスケがこれほどまで人気なのかを知るべく、自宅から20分ほど移動した先のスラム街に訪れてみた。
コートは入り組んだ街の奥地にあり、その外観はバスケットコートと言えるほど整っているものではなかった。
コンクリートの上には湾曲したチョーク線が引かれており、サイズはハーフコートより若干狭く、バスケットリングは誰かの家の柱を借りて垂らされていた。私が普段バスケをしていた体育館とは程遠かったし、とても「良い環境」とは言えなかった。
コート内にはなぜかバイクが5、6台駐車しており、ただでさえ狭いバスケスペースをさらに減らしていた。本気でプレーするとしたら、6人程度がせいいっぱいだろう。
こんな狭いスペースでさえ、彼らはバスケをすることを選んだのだ。家を新たに建てるでもなく、遊具を設置するでもなく、フットサルゴールを置くでもなく。敢えてバスケをすることを選んだのだ。
コートにつくと渋めの声のおじさんが「バスケするかい?」と聞いてくれた。
我々は急遽子供たちと3対3をすることになった。21点先取のゲームで、対戦相手は中学高学年に見える少年3人。コートの周りには珍しい来客を見物するため幼い子供たちがたくさん来ていた。
体格も大分違う分、最初は手加減をしてあげようと思っていた。
だが試合開始直後に黄色いバスケユニフォームの少年に鋭いジャンプシュートを決められた。「うまっ」と呟く友人。
我々は完璧に「スラムの子供」だと侮っていたのだ。
彼らは難易度が高い3ポイント、リバウンドでの競り合い、素早いパス回し、すべての技術において我々より勝っていた。
どこでそんな技術を習得をしたのか見当もつかなかったし、勝負は完敗に帰すことになった。
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それから上裸の気前のいいおじさんが登場したのはすぐのことだった。
「3ポイント決めたら100ペソあげるよ!」
シャオパオというシュウマイの様なおやつ片手に満面の笑みで現れた100ペソおじさん。最初はあまり理解できず戸惑ったが、この挑戦状から引けるわけがないと思い、快く承諾した。
会場のボルテージは最高潮に達し、子供たちは「ゲーム!ゲーム!」と声高らかに上げ応援してくれた。
友人二人は3ポイントを外してしまい、惜しくも100ペソを獲得できなかった。
今思えばこの日の私はなぜかシュートの調子が異様によかった。大きく息を吸い込み心を落ち着かせ、目の前のリングにだけ集中した。
軽くひざを曲げ、ジャンプし、指先でボロボロの革制ボールを放った。優しい弧を描いたボールはゆったりとリングへ吸い込まれていく。スラムの平屋から差し込む日の光が目に重なった頃、「サッ」という鈍い音を立てボールはネットを通りすぎた。
私は見事100ペソを獲得することに成功したのだ。「せいせい(あだ名)」コールでコートがどよめいた。この瞬間だけステファン・カリーになったような気分だった。そして、約束通りおじちゃんは100ペソを渡してくれた。
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このお金は本当に私が受け取るべきなのか。疑問が頭の中をよぎる。
この子たちより裕福な家庭で育ち、学校に通い、おいしいご飯を毎日たらふく食べれる私が貰っていいお金なのだろうか。
気前のいい100ペソおじさんはきっとこの場をもっと盛り上げるため、そして子供たちを楽しませるために勝負を持ち掛けてくれた。であるなら、私もこの大切な100ペソを彼と同じく「勝負」に賭けよう。
次の瞬間、
「3ポイント決めたら100ペソあげるよ!」自然と言葉が口からこぼれていた。今度は私が少年たちにとっての「100ペソおじさん」になったのだ。
「うおおお」という子供たちの叫び声。宝くじでも当たったようなリアクションをしてくれた。
最初に挑戦したのは黄色いユニフォームの少年、少しはにかみながらリラックスした様子で3ポイントラインに立った。綺麗なフォームから放たれたシュートは2分前の再放送のように、ゴールに吸い込まれてしまった。
今思えばこの日は彼にやられっぱなしだった。
一瞬にして私は100ペソ消失おじさんにランクダウンしてしまったのだ。だが悔しさはみじんもなく、人生で一番嬉しい100ペソの使い方をしたことを、ただ奥歯でかみしめていた。
たかがバスケ、されどバスケ。数時間プレーした我々はすっかり仲良くなっていた。「スラム」という言葉を聞くと、貧しい生活を強いられているというイメージが湧くかもしれないが、バスケを楽しむ彼らの笑顔は今でも忘れられないし、彼らはバスケを通して、家族や友人と強い絆を結んでいたのだ。
もしこの日を見て、感じて、遊んだ経験にタイトルを付けるとしたら。
きっと「スラム・ダンク」と名付よう。
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