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日本の美の風習のもとで生きてきた自分が留学先で得た感情は。Part1

日本って本当に素晴らしい国だと心の底から思う。なぜか。蛇口をひねれば綺麗な水が出て、毎日明るい場所で生活ができ、街で財布を落としても交番に届いてあり、大学で時計をなくしても、忘れ物センターに届いてある。なんて素晴らしいんだ。

俺が留学したのは、カナダのニューブランズウィック州にあるマウントアリソン大学。トロントから3時間飛行機に乗って、州の90%は森林のど田舎である。しかし、街の人は優しく、横断歩道では、歩行者が渡ろうとすると、車は必ず止まる。住み心地の良すぎる街だった。学校が休みの時には、トロントとニューヨークに旅行に行ったが、これらの街は俗に言う、治安のあまり良くない街だった。でも、被害にあったわけでもないから、想像してたイメージとは少し違った。

今回は、前置きをこの辺にして、本題に入ろう。先程も述べたが、日本は本当に素晴らしい国だと思う。ここまで強調する理由は、素晴らしすぎて、自らが何かを学ばなくても、必死に働かなくても、国が決めた法律や政策に反論しなくても、普通に生きていける。たしかに、それは日本だけではないのはわかってる。しかし、選挙の時期になるといつもこのような言葉を聞く。

若者の政治に関する興味が低い
政治家は投票率の高い高齢者に焦点を当てた政策を提案することが多い。

ましてや、大学は人生の夏休みと言われてるのを聞いたことがある。政治に関心を持たず、学校にも行かず、単位を取るだけの、若者が溢れかえってるのではないか。自分もそのうちの1人だった。大学2年間、自信を持ってこれを学んできたと言えるものはなく、政治に関して何も興味を持たない。さらに、対して勉強も頑張ってるわけでもないのに、休みの日は遊びに行く。こんな生活だった。しかし、留学先の学生は違った。

何のために大学に来て、何のために授業を受けて、何のために勉強をする理由をしっかりと持っていた。

かっこよかった。彼らは輝いていた。大義を持っていた。全てに理由があった。俺には明確な理由がなかった。あの授業を取った理由。あの行動をした理由。あの発言をした理由。明確に持っていなかった。多くの学生はそうかもしれない。もしかしたら、多くの日本人がそうかもしれない。それは日本という素晴らしい国で育ったから。何となく高校に行き、何となく大学に進学し、大学3回生からこれから歩む人生のために、自分の過去を振り返り始める。20年間生きてきて、振り返るのはたったこの1年間だけなのだ。言い換えれば、21年目にして初めて人生について考える。そして、ほとんどの人は納得する人生観を見つける。それはこの20年間で得た答えでもあるが、20年間意識することもなく、無意識にその選択をしてきたのだ。自分にとっての魅力的な人は、行動している人に加えて、自分をしっかり持ってる人である。自分とは何かを小学生、中学生、高校で向き合ってきたら、どれだけ人生が変わっていただろう。無意識ではなく、意識的に行動してたら、どれだけ幸せを実感できただろう。でも、それでも時には幸せを感じ、ここまで生きてこれた。日本の素晴らしさの中に潜む、日本人の弱さを考えさせられた。

最後までご覧頂きありがとうございました。
次のPart2では、日本のサービスに焦点を当てて投稿していきます。

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