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60で死ぬ、と決めた人の50歳で伏線回収が始まった(かもしれない)話

私、常々身近な人間には「俺は60歳で死ぬ。死ななくてもとりあえず60歳になったら運転免許は返納する」と公言している。
8割本気、2割冗談
加齢とともに自覚ないまま「老害」に落ちぶれてしまいたくない、という思いが強いからである。そうなってしまう前に現世から引退しようと努力(?)している。
とは言え、「冗談2割」の中には、こんな田舎暮らしで車運転できなかったらどうやって生活するの?って部分に当然直面する訳で、なんだかんだ60歳超えたらそんな言い訳しつつクルマに乗り続けるでしょう。
 …が、もしなんだかんだクルマ無し生活が可能な見通しが立ったら本当に免許返納することもやぶさかでない。

そんな1970年製造の私も、「不惑」なんて誰が言ったのか、結局迷いしかなかった40代を終え、2020年をもって全く未完成な中身空っぽの50歳代へ突入してしまった。
最後を迎える60歳までのファイナルカウントダウンはとっくに始まっているし、なんなら来年カウントダウン折り返し地点を迎える。


であるにも関わらず、典型的なADHDタイプの私は、常に頭の中が忙しく様々なものに興味を持っていかれる。
気の向くままに様々なことに手を出し、その志向の幅の広さをもって全て中途半端で何も結果を残さない辺りはむしろ天才であると自負している。「広く浅く」とゆう言葉は自分のためにある、と思っているフシもある。

そんな私の身の上ゆえに、そう考えてしまうのは時期尚早なのかもしれないが、ちょっとした出来事、というか転機。というか、、今になって思えば「オレ史上なかなかの大事件」なのかな?と思えるような大きな切っ掛けがあった。

それは、2021年に出張仕事でたまたま訪れた【上野恩賜公園】

かれこれ四半世紀近くお付き合いのある取引先の現地作業応援で、上野動物園内に設置された取引先が設計した新規設備の運転調整をお手伝いする仕事。

普段、本業では賃貸の工場で物を造るだけの個人自営業鉄工所の一人親方であったが、たまにこんな風に取引先から依頼があれば地方へ出向いて現場仕事をすることもあり、ちょいちょい色んな地方にお邪魔して仕事することはあるものの、「東京」で仕事するのは何気に初めての経験。


工事開始日前日に前乗りで、ちょうど新型コロナの影響で開催が1年遅れた東京オリンピックの奇しくも閉会式の日。8月8日。
上野恩賜公園から近い鶯谷の宿に到着したのは16時頃。まだ明るい時間だった。
宿の部屋から見える景色は、線路を挟んで向こうに見えるのは鶯谷駅舎となにやら広大な墓地。
その時まで東京とゆう土地に全く興味がなかったし、新コロ新規感染者数が日々鼠算的記録更新されてゆく中での出張。しかも宿からの景色は北向き墓地ビュー。
正直、かなりブルーな気持ちになった。


続く…


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