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日本語ラップをラッパーが採点してみたwww #0
初めまして。至極です。
今日は2024年の1月25日、23:30過ぎですね。
【挨拶】
#0 では私の日本語ラップ哲学について語らせていただきたいと思います。
これを読んでから#1以降のシリーズを読むと、どういう基準で講評しているかが更に分かり易くなることでしょう。
しかし、私も人間なので、今日書いたことが来年には、来月には、もしかしたら明日には違っているかもしれません。ですので、あくまで「2024年の1月25日、23:30過ぎ」現在の至極がどういう日本語ラップ哲学を持っているかという体で読んでいただけると助かります。
【ラップとは】
ラップとは、ループミュージックの1つであると考えています。
押韻によって繰り返される言葉のリズムをどうビートに対応させ、音楽的に昇華させていくのかという営み。それがラップです。
それを日本語で行うものを私は日本語ラップと呼んでいます。
【ラップの種類】
日本語ラップ
私が愛してやまない日本語ラップです。
前述したとおり、これは日本語で韻を踏み、それによって生まれる繰り返しのリズム、グルーブをいかにビートと対応させていくか。俗に言うビートアプローチですね。これによって朗読を音楽に昇華させるのが、日本語ラップです。
日本語ラップにおいて押韻はマナーであり、絶対のルールです。
韻を踏まないという行為には、それに見合う対価が求められます。
例えばパンチラインは韻を必要としない例外的なリリックですが、これは韻を踏まない代わりにキャッチーさ、メッセージ性などを対価とすることでリリック全体により深みを与えることが出来ます。
言葉遊び的なラインも、韻の代わりに言葉のギミックという対価を支払っていることになります。
ただ、これら韻を踏まない手法は音楽的なアプローチに影響しないため、私はあまり好みではありません。
よほどの対価を支払えない限り大人しく押韻していた方がマシです。
あと、韻を踏んだ上で意味が通る、詩的であるのは当たり前です。韻を踏んでいるだけではただの音ですから、言葉と音楽の逢瀬だというのに音と音楽を合わせようとするのは野暮です。
というか、韻を踏んだくらいで支離滅裂な文章になってしまう時点でラッパーじゃなく「なんちゃって駄洒落ラッパー勢」なので。
いや「なんちゃって / 駄洒落 / ラッパー勢」で韻を踏むのすら彼/彼女らには贅沢ですね。
猫に小判、猿にライムです。
J-RAP
諸説あると思いますが、ことこのシリーズにおいては「日本語ラップの技法を流用した楽曲」という意味でJ-RAPという語彙を使わせていただきます。
日本語と音楽の可能性を突き詰める営みである日本語ラップに対し、J-RAPは自身の音楽の可能性に日本語ラップを利用するという違いがあります。
J-RAPはピンキリで、圧倒的な言語センスと音楽性をもってして独自の世界観を創り上げている素晴らしい楽曲から、とりあえずYouTubeでMCバトルを見て踏まれた韻を継ぎ接ぎした形だけの駄作まで幅広く存在します。
楽曲によっては、もはやラップパートだけ見れば日本語ラップと変わらないものもあります。
世の中興奮することってたくさんありますけど、そういう楽曲に出会えた時って興奮しますよね。間違いないね。
HIPHOP楽曲
先ほど少し触れましたHIPHOP楽曲です。
所謂リアルが軸となっているJ-RAPを私はこう呼んでいます。
HIPHOPカルチャーでは押韻技術、日本語ラップ的な講評をすれば赤点みたいな楽曲もリアルだとして受け入れる文化があります。
私はこれら全てを日本語ラップとして一括りにすることに懐疑的だったのですが、リアルやアングラ文化を助長する内容を軸とするものをHIPHOP楽曲、日本語と音楽の可能性を突き詰める営みが軸となるものを日本語ラップとすることで解決しました。
私はアングラ文化を助長する楽曲、わるいこと日記みたいな曲は一歩引いた状態で聴いてしまうのですが、そういった愚かな行為を一時的に肯定する場所が必要なことも理解しているので、当シリーズでHIPHOP楽曲を取り扱う際はそういった視点で講評させていただきたいと思っています。
あと、私にとってのHIPHOPは脱暴力、脱権力、Love&Peaceです。アングラ=HIPHOPだとは思っていないので、こちらも講評を読む際参考にしてください。
アイドルラップ
ゴミです。以上。
それでは、言葉を編み紡ぎ続く日本語ラップの音の旅路を、どうぞ楽しんでください。