とりあえず書いてみる
今日から週3くらいのペースでとりあえず書いてみる。週3を目標にしてるので週1書ければいい方だと思う。いつか何かに繋がるかなとかいう下心とこの半ニート生活の徒然を紛らわす遊びとして。
「週3で書くことが目標」と書いたが目標を決めて叶ったことがない。
きっとほとんどの目標が叶わないのって生活することと目標を達成することに乖離があるからじゃないかって思う。「体重3ヶ月以内に5キロ減❗️」って目標立てて、実際に達成できなくてもその人の生活は何も変化なく続いてく。なんなら達成したとしてもその人の「生きる」は変わらない。そのことにきっと目標を立てた本人も薄々気づいている。だから目標を立てる行為はすごく気持ち悪くて意味のないこと。
そうやって分かった風なことを言って目標を立てずに逃げるのも人生の選択。でもそれを飲み込んだ上で敢えて目標を立てることには意味があるんじゃないかって最近思う。大人になるってこういうことなのかな。大人になると挑戦できなくなる。
子供の頃石ころを蹴って家まで帰るゲーム、みんな一回はやるよね。アレ、大人になってからもやりたいって深層心理では思ってる。でもやらない。それは大人としての自分を俯瞰してみた、一枚フィルターをかけた世界で自分を監視してるからできなくなってる。それが大人になるっていうことだと思う。だけどそのフィルターを分かった上でもう一回大人だけど石ころを蹴る遊びを敢えてやるっていうのもありなんじゃないかっていう。そのフィルターを無視して石ころを蹴ってる大人は非難されても仕方ないかもしれないけど、そのフィルターを飲み込んだ上でそれでも尚石ころを蹴るならそれはそれで生きる選択肢としてアリなんじゃないかなって。うん、一回目からなんの話。
フィルターを作ってる謎の人たち。見えない社会と歩幅を合わせるのって難しいですね、なんせ見えない相手なんだから合わせようがないだろって思うよね。でもみんなやってるからやれみたいな空気になるよね。みんなも最初は見えなかったはずなのにだんだん見えたフリをして歩幅合わせない奴を非難してくるよね。本来社会の歩幅を見えてなかったみんながその歩幅を作ってる、皮肉な話だね。今となっては存在しなかったんじゃないかな、元々歩幅なんて。ミイラ取りがミイラになるじゃないけどみんなが見えるフリをした結果、その歩幅っていうのが明瞭に浮かび上がってきて存在してきたんだと思うんだ。これって誰が得してんだろうね。そんなことの繰り返し。
まあまとめると敢えて目標を立てるという逆張りをしましたというお話。こんなチラ裏話を書いてく予定。書いていくうちに私だけの歩幅が出てくるかも。でも時々サボったら見えないみんなが注意してくれよ。私の歩幅を見えてるフリをして非難してよ。その見えない歩幅を私は明瞭にして見せるから。
アレ、これ私だけが得してるな