『がーん』
がーん。がんだけにがーん。こういった不謹慎なギャグをいえるのは、ガンビョーニン(癌病人)の特権でもある。しかし、この不謹慎なギャグを言える最大の機会を無駄にしてはいけない。最大限に活かすのだ。その時が来たぁっ、絶対的に今が好機だ!。
これは政府のギャグか。『高額療養費制度の見直し』の件だ。この話を聞いたとき、あらゆるガンビョーニンが一斉に虚空を見つめながら口をぽかんとしたことだろう。ある者は絶句。ある者は怒り。ある者は虚無。ある者は苦虫を嚙み潰した。私はがんだけにがーんとした。2人に1人がガンビョーニンになる時代においてこれはかなりの悪手だと思う。なぜなら、がんはしつこく、かなり、ずっと、はてしなく、ガンビョーニンをつかんで離さないからに他ならない。手術をしたからって絶対的に治るものでもない。手術の成功はなにも保証しない。常に転移のリスクがあり、終わるようで終わらない。それががん。がんががん。がんががんのがん。ががががががが。
私ほどファニーなガンビョーニンはそうそういないので私は私を横において置こう。一般的なガンビョーニンはかなりシリアスに『高額療養費制度の見直し』を受け止めたことだろう。蹴り飛ばされた気分かも知れない。
一度ガンビョーニンになるとこんなことを思う。自分は医療費を払うためにだけ存在している人間ではないのか?。自分は医療費を払うためだけに製作された機械ではないのか?。この、医療受態機械人間の脚は物理的にいって身体を支えるに足る太さがあるのか?。この、医療受態機械人間のビーム砲のエネルギーの源はどこから?医療費から?。そんなふうに自分を卑下し錯覚してしまう。
そんなガンビョーニンの前に垂れ下がってきた(か細い)救いの糸が『高額療養費制度』といっていい。命綱でもある。それがガンビョーニンにとって悪いほうへ見直されようとしている(値上げだ)。いや、これはガンビョーニンにとどまるような話ではない。ぜん国民にとっての問題ごとだ。どうせ、みんないつかガンビョーニンになるのだから。家族や近親者、知人、友人を含めれば100%の確率でこの問題からは離れられない。コストカットするところがちがうのだ。
背中にうけた寒々しくて薄い日の光が私の前方にながい陰を落とす。私はそれを踏みながら歩く。それは、がんという名の陰である。歩いても歩いても陰はつきまとう。死ぬまでつづく陰との散歩だ。それを理解できないというのは金持ちか愚か者だけだろう。想像すればだれだってわかる。為政者の初歩中の初歩だろうに。私の目にはありありと見える、しっぱい策のその後の日本が。これは、また『無敵の人』をうむ。そして社会を不安定化させる。その萌芽がこの瞬間にうまれようとしている。
ガンビョーニンになるまでは『高額療養費制度』なんて知らなかった。こんなありがたいセーフティーネットが用意されていることに心底ほっとした。この制度のお陰でビョーニンはみんな(ではないが)破産せずにすんでいるのを知った。いつかわかる、いつかみんなわかるときがくる。でも、それをこの機会に前もって知らせる義務がガンビョーニンの私にはある。大腸がんになり、手術。その後、抗がん剤治療をするも、心身(頭)を壊し中止。術後から半年で残ったがん細胞が血液にのり肝臓に転移。二度目の抗がん剤治療は副作用が強く腹を下し日に30回以上の水便がでる始末。がんが小さくなってきたところで手術の予定を組むものの身体が弱り、血液検査の結果手術不可となる。では抗がん剤を切り替えようとなり、違う抗がん剤を身体に入れるためにポート埋設手術を受ける。3種類目の抗がん剤で肌が荒れに荒れてのてんやわんやで脱毛。血液検査のデータも芳しくない。身体も弱り抗がん剤の濃度を70%まで下げる。抗がん剤に負けてなるものかと日日食べ、日日筋トレしていたら半年で10㎏増量からの年明けで肝臓がんの手術、ついでに胆のうは全摘出。で、『高額療養費制度の見直し』という一報。きずだらけ(比喩じゃない)の濃密すぎる一年半が、がーん。もういっちょ、がーん。こんなふうな『がんかわいがり』の生活には『高額療養費制度』は不可欠なのだが。値上げ反対。貧乏人を特別扱いしろ。私にうんと同情しろ。狐は私の味方だ。錦の御旗は我にある。がーん、がーん、がーん。ぶー、ぶー、ぶー。ぴぃ、ぴぃ、ぴぃ、ロクなもんじゃないね。
この文章は私から政府へのたむけだ。よくよく受けっとって欲しい。目にもの見せてやるぜ。政府、役人はすべからず『おならのつもりがう〇こだった病』に罹りやがれぃ。略して『おなつもり病』だ。