見出し画像

42000字。一気読み用。休薬期間中。がんかわいがりのまとめ、65日目から。湯治ツーリング。面白いのでどうぞ。6/3日まで追記していきます。85日目まで。続く。

病院の化学療法センターに電話をかけて、『がんかわいがり』65日目にして、3クール目の終了後に休薬期間を設けることが決定した。5月中に『腹下り』よ、治まってくれ。

それはそれとして、何を食べても『腹下り』になるのならば、夕食にハンバーガーとか、鳥の唐揚げとか、ポテトフライでもいいのではないか。近日中に試してみよう。オリーブオイルで調理することが条件だが。脱水症状の予防には、やはり『OSI』を薦められた。ポカリスエットは糖分が多いので薄めたほうがよいそうだ。

何をしても、駄目なのだから『カフェイン』を解禁しよう。
思えば割と自由に食べていたほうが、私の調子も良かった気がする。珈琲と緑茶をがぶがぶ飲もう。どうせ結果は同じなのだから。

と、書きながら、私は、また、漏らした。たったいまだ。ほんとやだ。なにこれ。急で防ぎようがない。

やれやれ。やれやれついでだ、村上春樹だったらこの状況をどう乗り超えるのだろうか。私が投薬されていた『がんかわいがり』は性欲がゼロになる。もしくは、性ホルモンの減退か異常が起きている。異性への興味がなくなる。これはこれで楽だ。『家族愛』はなくならない。『人類愛』もなくならない。『人類愛』についてはよりもっと強くなった。『恋情』は失せた。そして、使い道が一つになった海綿体の『柔棒』だけが残される。あとは、尿を出すだけだ。『がんかわいがり』によって、私の『愛』とか『情』がコントロールされている。私の『愛』と『情』は暗渠の底を流れている。恐ろしいことでもある。私が真人間になってしまったのだ。

「ラベンダー綺麗だな」と「あの人綺麗だな」がまったく一緒になった。人間の美しさと草花の美しさが並んでいる。そんな奇妙な世界に私はいる。恐らく、私の文章の内容は置いといて、心情は恐らく、まるで『空海』なのだ。『ツーリング欲』と『文章欲』しかないのだから。昔で言えば『旅欲』だ。私は、松尾芭蕉でもある。

人間も植物も関係がない。これは私だけの副作用なのだろうか。そうではないだろう。言ってみれば私は『バカボンのパパ症候群』と『風の谷のナウシカ症候群』であるのかもしれない。両手を広げれば、小鳥が私に止まるだろう。
村上春樹については、もうどうでもいいのだけれど。書き始めてしまったので、締めまで書こう。性欲から離れた村上春樹の作品はどうなるのだろう。いつかそんなときもくるのだろう。初期作の頃にもどったりするのか。と想像する。

さて、私の心配事は、村上春樹ではない。この『腹下り』がいつ治るのか。ということだ。前回の『がんかわいがり』で『鬱鬱不安頭』になり、今回の『がんかわいがり』で『腹腹地獄下り』になった。どちらも『がんかわいがり』の種類は違う。前回は頭に影響して、今回は腹だ。もともと、体質的に『がんかわいがり』との相性が悪いのかもしれない。いや、人類全般的に相性が悪いのだろう。

あ、わかった。肛門に『タンポン』を挿入しておけばいいのではないか。
でも、『腹腹地獄下り』が終わったあと、私の肛門は、がばがばになるのではないか。そんな予想もつく。駄目か。『コーモン200』か。肛門括約筋を鍛えるしかなさそうだ。

突然なニュースだ。
おい、おい。大塚食品さん。それはないではないか。
何十年愛飲していただろうか。風邪をひいた時には特に助けられた。感謝している。いままでありがとう。そして、さようなら。
審議のほどはまだわからない。けれど、だいたいこのようなケースで企業側が清廉潔白であることはない。人を大切に出来ない会社は駄目だ。


「アレクサ。お気に入りの音楽を聴かせて」
そう、言ってからエッセイを書く事が多い。本日の1曲目は『深夜高速」だった。GW中の東北道を深夜、カワサキW650で走っていた数年前を思いだしていた。深夜の東北道は真冬だ。極寒装備で毎年走っていた。なんとか、6時前には仙台を抜けたかった。渋滞を避けるために。その、『深夜高速』で寒さの余り、らーめんを一晩で4杯食べたこともあった。それでも震えが止まらなかった。芯から冷えた。なつかしい。

私はいま、体調の回復をただ待っている。能動的なことなどは一切していない。完全に受動的で、私の免疫力に任せている。志村喬がブランコで揺れるように。私はウッドデッキでぼうっとしている。違いは、悲壮感が私のほうにないくらいだ。私は5月中に『湯治ツーリング』に行きたい。できれば、来週にでも行きたいと思っている。
一泊目のルートは大体決めた。群馬~栃木日光~福島南会津~新潟との県境の田子倉ダム~新潟松之山温泉で宿泊。こんなかんじだ。平日のツーリングを予定しているので、宿の心配はしていない。勿論、予約してから行くが。
心配は天気だ。月曜日に雨マークが付いている。

下道で行こうと思う。『スロウライダー』で行こう。『深夜高速』はない。腹が冷えるのは避けたい。『とにかく笑えれば』いい。そんなツーリングにしたいと思う。晴れてくれさえすれば私の気分は『カリフォルニアココナッツ』になるだろう。気分だけだけれど、私はココナッツの味を知らないのだ。昨今。不幸な交通事故のニュースを見ない日がない。『やさしい気持ち』をもって走りたいものだ。ツーリングでは『生まれた街で』は経験できないような刺激もある。私の免疫力も上がるだろう。

しかし、いつか電車の『ホームにて』から始まる旅も悪くないと思っている。そんな旅もいい。このツーリングの途中の只見線には一度は乗りたいと思っている。秋がいい。
曲遊びも此処で終わろう。最後は『アジアの純真』か。新潟の田園風景は、アジアの純真そのものではないか。まだ、田植え前だろうか。両親に訊いてみよう。私は一度新潟の水田にヤマハSR400で落ちそうになったことがある。気をつけなければ。大切な水田にガソリンを混入させてはいけない。一等米が取れる土地なのだから。もう一曲いこうか。ぴったりな曲がくるか。アレクサにかかっている。どうだ。
さあ、最後の曲がきた。
ああ、最後の台詞まで完璧に言える。あの曲だ。
「ローレンス!。・・・・・・メリークリスマス。メリークリスマス、ミスターローレンス?」


改めて、『がんかわいがりのまとめ』1~3クール目を校正しながら、ぜんぶ読んで見た。面白かった。あ、その前に読んでくださって『スキ』までしてくれた方々ありがとうございます。何万字もあるのに。
どんな方が読んでくれて『スキ』までしてくれたのだろうと。その方々のnoteも読んで見た。面白かった。そして、ちゃんとしていた。私から見ると、ほとんどプロかセミプロの方々ばかりだった。
どこで、私のへんてこな文章まで辿りついてくれたのだろうか。ありがたい。

どんなSNSでもそうだけれど。どうしても『スキ』の数に捕らわれがちになってしまう。note内でも、捕らわれ過ぎておかしなことになっている書き手を見かける。
そんな人は、せっかくnote内に『水道橋博士』がいるのだから、水道橋博士の文章を読んで欲しい。タダで(たぶん)『お手本』が読めるのだから。こんなラッキーなことなんてないのに。若者は水道橋博士を知らないのかな。もったいない。他の職業作家と比べても、在る部分では抜きん出ているのに。『光る君へ』の紫式部だって、一生懸命お手本を書き写しているではないか。水道橋博士の文章を読めば『スキ』にうかれている自分が馬鹿らしくなるだろう。その後冷静になってからがスタートだ。

私も、向田邦子。ナンシー関。つげ義春。などにショックを受けた。いつの間にか49歳の中年男になっていた。49歳のがん患者になってから、「よっこらしょっ、がんばっていきまっしょい」と重い腰をあげた。

さて、私は『テンポ派』の書き手。つまり私の文章のことを書こうとしていたのだった。とにかくテンポ、テンポ。ときに転調するような文章だ。
それは、文章家の影響というより、音楽によるところが大きい。
『矢野顕子』と『セロニアスモンク』を聴きすぎたせいだ。そこに、『細野晴臣』というスパイスをスプーン1杯くわえるのだ。
もう、私の中で血と肉と骨になっている。それが私の文体の『いのち』だ。

よい音楽を聴いたほうが、得だよ。と言う話もしたかった。


ほう、来週は雨っぽいのか。
私がツーリングの予定を立てると、『晴行雨読』の『雨読』になる。
ちなみに、わざと間違えてます。はい。
わかりやすく書くと『晴ツーリング走行雨読』になります。
カワサキW650が可愛そうじゃないか。

タイヤの空気圧を測ったら、しっかり規定値を維持してくれている。健気だ。IRCのGS19を履いているのだが、サイコーだ。もう、ずっとこのタイヤでいい。コストパフォーマンスもいい。昔より、柔らかめになったのだろうか。昔は尻が痛くて仕方なかった。中古で購入したときGS19を履いていた。かなり、年月の経過したタイヤだったのかも知れない。

そう、食生活の試行錯誤は終わる気配がない。
乳製品を暫く止めた結果、なにも改善しなかった。ので、『ブルガリアヨーグルト』を食べ始めた。脂肪分0の。ほんとに?。ほんとにほんと?。
そして、『ジョアのマスカット味』を毎日飲もうと思う。私には鉄分が不足しているように思うからだ。ヤクルトさんにお届けしてもらおう。『がんかわいがり』の休薬期間だからできる、お試しの実験だ。
小麦と豆類はまだ控える予定だ。
『カロリーメイト』と『ソイジョイ』が引き出しの中でちんまり座っている。これもまた、健気だ。

ブドウのことは書いただろうか。もう、この『がんかわいがり』のエッセイの最初のほうで、ブドウとワインは便秘になり易いと書いている。書いていながら、『腹腹地獄下り』中もすっかり忘れていた。この間ひとくちも食べていない。そうして、いま、『ブルガリアヨーグルト』に入れて食べている。うん、美味だ。便秘になってくれ。もしくは『むりんむりん』の便に。スカイツリーが横倒しになったような一本筋のとおった良便になってくれ。横倒しは縁起が悪いな。訂正しよう。
西日を浴びた夕景のスカイツリーの陰が、総武線で千葉に行くような長い一本の良便になってくれたらいい。



人それぞれですが。
頭の中がこんなかんじになったら、心療内科。精神科。の、扉を開けましょう。布団の中に頭を埋めて柳沢慎吾ばりに「ううう――ううう――ううう――」、となれば、同様に扉を開けましょう。手は回転灯をしていますか?
。手はあなたの頭を抱えているのではないですか?。
自分の頭の中で、ウケテいれば大丈夫かもしれません。自分の頭の中の笑いの需要と供給がマッチすればいいでしょう。そうでなければ、早めの受診を。

受診してみればわかりますが(私の場合は心療内科)。患者は一般の人と何らかわりません。温和しめの人ばかりです。
私は『不安神経症』と『むずむず脚症候群』という正式な病名と。あわせて『鬱鬱不安頭』という非公式な、ふざけた名前を付けていますが、実際は『鬱』ではありません。その、一歩手前でしょう。当時、自死したくなりましたが。ほうっておけば『鬱病』になっていたかもしれません。

これも、何度も書いていますが、私にはとっておきのストレス解消法がありました。カワサキW650でツーリングにゆくことです。この間だけは私の身体は正常に戻りました。これが『ルンルンパラダイスヘッド』です。
いわゆる、逃げ道ですね。非常口かも知れない。脱出口かも。出口でいいか。まあ、どこかに『口』があります。場合によっては、その『口』は閉まってしまうかも知れません。ので、早めの受診がいいでしょう。

薬づけになりますが。どうってことないでしょう。ときどき『脳鳴り』もしますが、どうってことないでしょう。家の外で工事してるな。と思ったら。私の頭の中の工事の音でした。どうってことないです。そんなもんです。ドラえもんがいないので、のび太は病院にいくしかないのです。できれば『鬱病』になる手前、軽度の内に。

そう、『不眠』は一つの目安になるかも知れません。「最近寝れないな」くらいで受診してもいいのです。
と、色々書きましたが、素人の私の意見なので、がん同様に参考程度にしてください。あなたの手は回転灯をしていますか?、頭を抱えていますか?


久しぶりに小説の続きを書いた。
2023年の12月半ば以来の珍事だ。いつまでも、キャラクターたちを『一時停止』状態にしていては申し訳ない。それだけの期間、書かなかったのは、単に寒かったからだ。灯油の移動が面倒だったと、以前に書いた。ほんとにそれだけの理由で小説を中断していた。だらしないったらない。やっと、『一時停止解除』することが出来た。

休薬期間だと言うのに、鼻血は止まらない。前回の点滴後には止まった。きっと点滴の中に白血球を元気にする栄養素が入っていたのだろう。『がんかわいがり』の点滴と言っても、1種類の点滴を打つ訳ではない。いくつかの点滴を定められた順番どおりに入れてゆくのだ。急に休薬期間に入ったことで、鼻血の止まりが鈍い。たら~と垂れるわけではない。鼻をかむと赤く滲む程度のことだけれど。

しかし、それは、私の『ピンセット鼻毛全抜き』問題に関わる大事なことになるのだ。私は常日頃から『つるぴか鼻孔』でありたいと思っている。一寸の鼻毛も許したくない。革ジャンで寝たり、なんなんだこの中年男は。と、お思いだろう。大丈夫だ。だから結局独身なのだから。世の女性陣は見る目がある。私に誰も騙されてくれなかった。偉いぞ。で、花地。おお、鼻血と打とうとしたら素敵な語が出てきたではないか。『花が咲く地』という意味でいいのだろうか。更に偉いぞ。

で、鼻血が完全に止まらないと、私の『ピンセット鼻毛全抜き』ができないのだ。細菌の侵入の恐れがある。くしゃみと戦いながら、週一くらいで抜いていた行為ができない。
「風邪ひいたのか、葛根湯飲むか?」と、両親に毎回誤解されながら続けて来たのだ。腹の調子はもどりつつある。あとは鼻毛だ。鼻毛さえ『全抜き』できれば、湯治ツーリングにゆけるのだ。鼻血よ、『一時停止』してくれ。


腹具合がいいので、お気に入りの公園の木陰で昼食。鳥のさえずりしか聴こえない。わけはない。お年寄りの賑やかな声も聴こえる。元気だ。やはり、バイクで走ると目の前が開けてくる。降りかかる困難な事柄が、後方に散ってゆく。


革ジャンなんてもんは好きなものを着ればいいのだけれど。ダブルファスナーの革ジャンをお薦めするよ。暑いときには、下からぐわぁーと開けられるし。昼食を食べすぎたときも、ぐわぁーと開けられるし。腹が圧迫されなくてすむよ。冬場はともかくこの季節の革ジャンは、ダブルファスナーがいいですね。

元気がいいのでたくさんつぶやきます。お気に入りの帽子です。スチームアイロンの蒸気で、私の頭の形に合わせました。カッコいいです。型崩れも気にしません。くたくたになるまで被ります。おしゃれです。まず、地元では被っている人を見ません。


すこぶる元気だなあ。と思いながら『紅い花』の写真を撮っていたら、ゴロンと仰向けになってしまった。革ジャンを着ていたので、まるでゴキブリの死に際のようだっただろう。まだ、足腰が弱っているのだろう。スクワットでは鍛えられない。散歩でしか鍛えられない、なにかがあるのだろう。


私は老眼だ。
それなりに不自由だけれど。なんとかやってこれている。エッセイなどは、何も考えていないので(先の展開とか)さくさくさくっと、とんとんとんと、私の筆(指)がすべるにまかせて書いている。が、だ。また、小説を書き始めてしまった。一度取りかかると、小説は5~8時間くらいかかる。前の章との整合性がとれているのかとか、下調べもしなければならない、何かと時間がかかる。

その間に私の『ロウガンタイマー』が、切れる。もう、書けない。もう、すべてが、ぼんやりだ。私の手持ちの老眼鏡はほとんど裸眼とかわらない。これの度数はあまり上げたくはない。非常時だけ、1・2時間だけもてばいい。そんなメガネが欲しい。正直に言えば『ハズキルーペ』に心が動かされたこともあった。「きゃっ、きゃっ、きゃっ」と、『ハラスメントもりもり』のコマーシャルに引いていて、完全に私の候補から除外されていた。

私は49歳だ。それより年齢の上の世代のテレビを観て育った。
ハラスメントもりもりの番組ばかりだった。ハラスメントもりもりの番組を観ながら、笑いながら。でも、やり過ぎなのはわかっていた。視聴者が共犯になるのかはわからないが、一翼を担いだ。そんな認識と反省の心は持っている。あと、関西方面の番組がいまだにヤバイという情報も漏れ伝わっている(政治的にも)。おかげで、関東の番組は『グルメ』『クイズ』『旅』ばかりになった。
過渡期なのだろう。過激な番組はネットで、そんな時代なのだろう。しかし、ハラスメントもりもりの番組には、外資の入ったネット番組のほうが厳しいだろう。

また、脱線していた。そう、私は『ロウガンズ』というバンドの話をしていたのだ。違う。ふと、いま思ったのだが。洒落で奥田民生氏あたりが、ほんとにやりそうだなと思ってしまった。すでに、やっているかもだが。どうだろう。

で、Amazonあたりで、ハズキルーペのバッタもんを探そうとしている。
私が十年前に買った『アウトドアギア』も、バッタもんのおかげで、同じような『バッタギア』が1万円以上安くなっている。円安なのにだ。
ハズキルーペも、そうであってほしい。見つけたら「きゃっ」て、言おう。

追記。
「きゃっ」、Amazonでハズキルーペの『バッタギア』を買ってしまった。ハズキルーペのような宇宙感はなく。普通のメガネ型だ。二千円だった。


5/21の火曜日から湯治ツーリングに行く事に決めた。
当初の予定とは違う。湯治場をバイクでツーリングして周るスタイルではない。雨が降ったらいまの私では対応出来るかわからないからだ。それで、基点のホテル(絶対に部屋にトイレ付き)を探して予約した。新潟の中里だ。

中里なら、群馬。福島。長野。栃木。この辺りなら日帰り温泉圏内でツーリングも充分に楽しめる。その気になれば日本海まで行って、温泉に入り帰って来れる。素泊まり、5泊で31000円だ。惜しい、月~金の5泊だったらさらに得したのだが。ういた5月分の医療費を全部突っ込むのは止めた。せこいだろう。5月の連休後はやはり安い。素泊まりだが。

バイクは自由そうな乗り物に見えるが、天候に大きく左右される不自由なところがある。バイクによっては、夏場に信号で止まるたびにエンジンをオフにしないと、オーバーヒートしてしまうものもある。新車でもだ。日本製ではないが。そんな視点からも14万キロ走ってきた、カワサキW650には負担はかけられない。


こんな大荷物を積んではいかない。これは見てのとおりのキャンプツーリングスタイル。ここから、後方のテントとノースフェイスの大バッグが下ろされる。一番上のバッグは一回り大きなものになるかも知れない。それは、リュックサックにもなるのだ。サイドボックスは取り付けて行く。5泊の宿ツーリングだ。こんな装備で充分だろう。新潟が異常に寒くなければ。

雨が降ると調子の悪い日もある。そんなバイクだ。
そんな時には部屋で文章でも書いて過ごそう。素泊まりなのでチェックインも気にする必要もない。キャンプツーリングでもない。荷物もすくない。気楽だ。バイクの半カバーと盗難予防の重い鍵はもって行こう。

余談をひとつ。私のエッセイを読んでくれている方々ならわかると思う。
この辺りの国道17号で群馬に向かう途中。バイクの運転を忘却の彼方にわすれたことがある。そんな、想い出の地でもある。引き返して、セブンイレブンで『キットカット』を買った。みなさんも、この辺りを通るとき『キットカット』を買っては如何だろうか。「ああ、あの、せいのほうという奴は、この辺りで頭がパンクしたのだな」、そんな想い出をお裾分けしよう。

テキトーに生きているので、『薬』もまともに書けていない(薬の下の木辺を土辺にしていた、一度だけだ)。酔っぱらっているわけでもない。だいたいこんなかんじだったな、と。もしかしたら、『薬』という語のいっぽ手前の『薬』かもしれない。昔は土から『病』を治癒する元を採取していたに違いない。そういうことにしよう。

さあ、バイク洗車。軽くワックス。エアフィルターを洗う。軽く整備。スマホホルダーを装着。バッテリー充電。こんなもんか。


本日は和日柄もよく私も気持ちよくバイクの洗車と整備が出来た。来週の火曜日が待ち遠しい。5連泊のツーリングの装備としてはこんなかんじになった。すでに準備をほぼ終えている。あとは、服装選びだ。寒かろう、暑かろうの可能性がある。メッシュの革ジャンの上に、モッズコートもある。


がんが肝臓に転移して、『がんかわいがり』をはじめて70日が経った。
転移=ステージ4なのですが、末期という訳ではない。がんの自覚症状はない。70日前から化学療法を始めて、主治医も変わった。外科から化学療法センターのほうに移ったからだ。で、私はなんの為に『がんかわいがり』を始めたのか忘れていた。何だったのだろうか。

ただ、なんとなく『がんかわいがり』をしている。そんなテキトーな患者が此処にいる。肝臓の大小6個のがんは、結局どうするのか忘れている。その辺の話を主治医と詰め忘れた気がする。『がんかわいがり』無しで、ほったらかしてしまうと、だいたい2年半で死ぬのか。『がんかわいがり』をやっても、だいたい2年半で死ぬのか、どっちだったかも忘れている。まあ、いいか。そんな人もいる。文系の人間とはそんなもんだ。いや、私だけか。

世の中には、『死』というものにたいして、酷く鈍感な人間がいる。それが、私なのだ。が、それが他者にたいして攻撃的に振る舞うきっかけになってしまう人間もいる。障害者施設などの暴力事件のニュースを見るたび、適性試験などはないのだろうかと思ってしまう。

確かに、人類は、攻撃的だから遺伝子を繋いでこれた。また、集団生活を受け入れることが出来た。これもまた、人類が繁栄を手に入れた理由のひとつだ。そして、他者にたいして依存できる。これも繁栄の理由だろう。私などは依存しまくりだ。人間の宿命には色々事情があるのだ。あまりに悲しい事情は終わりにしたい。

何処かで、攻撃的でない人間こそが繁栄する。そういう『パラダイムシフト』が必要なのだろう。ところで、『パラダイムシフト』と言う語を、はじめて使ってみたのだが、使い方として合っているのだろうか。今回は、「合っているような気がする」に賭けてみた。

私は、ただただ、のんべんだらりとした、49歳のすこし早い余生を過ごせれば良い。痛いのは嫌いだ。がん終末期が痛いのなら、法律の範囲内の安楽死のぎりぎりのところで、逝かせて欲しいものだ。ぎりぎりまでエッセイは書こう。


5日間のツーリングだ。足りないな。と、思ってきた。ツーリングには、まずまず足りる。が、湯治には足りない。
初日は、ほとんど走るだけだ。群馬から、左回りで行けば一日がかり。右回りなら、数時間だ。新潟県中里はそんな距離にある。

二日目は、新潟と長野の県境。『見玉不動尊』に参ろう。調べると、いつの間にか、『パワースポット』扱いされていることがわかった。きっと、いまは、すべての神社仏閣がパワースポット扱いされているのだろう。『見玉不動尊』に静謐な空間はまだあるのだろうか。私の母方の故郷がこの辺りで、よく夏休みに『見玉不動尊』に行っていた。眼病にいいとされてもいる。私は先天的に、左目が弱視なので子どもの頃からお世話になっている。行けばだが。いや、絶対行くのだが、数年ぶりか。
母親から、聴いた話では祖父は農家兼業の『お坊さん』であったそうで、たまに『見玉不動尊』でお経を読むこともあったそうだ。で、『見玉不動尊』とは、かるく縁があるそうだ。

その後は、日本三大薬湯。『松之山温泉』で日帰り温泉だ。
2日目は、こんなところだろうか。親戚には内緒で行って。墓参りはスキップしよう。不敬だ。でも、がん患者が行くと色々気を使わせてしまう。
それと、なにかのついでに墓参りはしないほうがいいらしい。という、私に都合のよい情報も掴んだ。

ああ、いま気づいた。
私はパソコンで文章を書くとき、(たぶん、疲れてくると)左目を瞑って書いているようだ。左目を開くとぼんやりしてしまう。そのために、眼鏡型のルーペを買ったのだ。それでも、両目だとぼんやりする。私はいつの間にか右目一本で書いていたようだ。疲れるはずだ。
『見玉不動尊』に行ったら、新しい左目を貰おう。そんなサービスはないか。


火曜日からの天気は晴れだ。降雨の可能性は低い。ただ、私のツーリング歴と経験からして、山深い土地の天気は、予想しずらい。ほんとは、ドクターマーチンとか、クシタニのモカシンブーツで走りたかった。しかし、ここは完全防水のウエスタンブーツで行こう。ヌルヌルテカテカにスプレーした。

何度も、何度も、皮革製品専用の染料で塗りたくった。それでも、バイクのブーツには厳しい。今回は、試しに鉄部、 木部専用のスプレーを2,3度重ね塗りするつもりだ。すべてが味だ。いいではないか。因みにこのブーツはもともと茶色です。果たしてヌルヌルテカテカは、落ち着いてくれるのか。

ヌルテカグリーンのブーツが完成した。しかし、このヌルテカグリーンの寿命は短い。私がガンガン履くからだ。そして、私はよく乗車中に爪先辺りを路面で擦ることがある。5日間で塗装がひび割れてボロボロのブーツになるだろう。ほんとは、この上からクリア塗装して保護しなければならない。めんどくさいので止めたが。どうせ、剥がれる。


『光る君へ』が相変わらず面白い。とくに『黛りんたろう演出回』は格別に面白い。兼家の絶命回がそうだ。今日の回がものたりないという訳ではない。吉高由里子さんは良作に恵まれている。自身の力以上といったら失礼になるが。有能なスタッフがいるのだろう。松たか子。満島ひかり。の域までいくか。


扇風機オン。
で、あるにもかかわらず。私のベッド上には、毛布。布団。毛布。3重のミルフィーユがある。腹用だ。腹のためだけにベッドの上は真冬のようだ。
しかし、寝る際には腹以外は退かれる。腹だけにミルフィーユがたまる。なんと表現しようか。『ポン・デ・リング』、スタイルだ。

もこもこの『ポン・デ・リング』が腹上にたまっている。毛布の色も『ポン・デ・リング、カラー』といっていい。あの色だ。とうぜん、一回りはしていない。一回りしてこその『ポン・デ・リング』であるのに。読み手の夢を裏切ってしまった。私は半端者だ。『半・ポン・デ・リング』だ。
と言うわけで、私は『半・ポン・デ・リング』で睡眠している。昼寝の時も同様にだ。だから、湯治ツーリング用に使い捨てカイロを20個バッグに入れている。足りるだろうか。腹は絶対に冷やさない。腹巻きも持参する。


さて、どの帽子をツーリングにもっていこうか。
今の時代忘れものの一つや二つは取るに足らないことだ。けれど、帽子を忘れてはけない。この、4種の帽子から正しいものを選ばなければならない。
今回の湯治ツーリングでは、革ジャンは外した。日帰り温泉のことを考えると革ジャンはキツい。重いし。盗難に遭いたくもない。

ぺらぺらのカーキ色のモッズコートに似合えばいい。因みに、GERRYのハットは左右のスナップボタンをはめると、テンガロンハットにもなる。絶対しないが。ただでさえ、私は、『ヌルテカグリーン』のウエスタンブーツでいくのだ。なぎら健壱さんになってしまうではないか。そうだ、『ヌルテカグリーン』のウエスタンブーツに似合う帽子はこの世に存在するのだろうか。存在しないとしてみると、途端に勇気がわく。『ヌルテカグリーン』のようなキワモノブーツを、こしらえてしまった私のせいだ。

私は8種類のブーツを所有している。
しかし、今回は『ヌルテカグリーン』で行きたい。素敵な名前も付けた。同じ、ウエスタンブーツの赤茶色も所有している。絶対そっちのほうがいいのだが。パンツはバイク用でいくのか、それも迷っていた。新潟や福島の山奥は寒いはずに決まっている。薄いユニクロの黒スキニーでいいはずがないだろう。今すぐタンスに戻すのだ。

『マックスフリッツ』のこれ一択だろう。
あぶない、あぶない、群馬の暑さに騙されてはいけない。5月はまだ寒い。フラレタときも寒かったではないか。裾をブーツインしちゃおう『ヌルテカグリーン』が、色うつりしそうではあるが。

『がんかわいがり』の副作用もある。つばがひろめのGERRYでいいのかもしれない。でも、中里は苗場に近い。フジロック感が出過ぎている。地元住民に「あれー、フジロックまだっすよー」と皮肉られたらどうしよう。GERRYのハットが突然怖くなった。よし、これは、もう、右から二番目のハットで行こう。ちょっと宮沢賢治感が出ているけれど、岩手県までは行かない。これで決まった。また、私の下らない思考過程を披露してしまった。

昼間つぶやいた、あの、ウエスタンブーツは『ARIAT』というアメリカのメーカーのウエスタンブーツで、かなり安価だったと記憶している。ペイントカスタムをする事前提で購入した。あと防水。土砂降りの中をまだ走っていないので、防水性能は未確認だ。

クラフト染料では上手く染まらなかった。染料自体はぐいぐい革にしみこんでゆく。でも、色落ちがはげしいい。染めるならば、しっかり養生をして風のない『春うらららん』の日に、それなりのスプレーで染めるのがいいでしょう。私は「失敗したら、また染めればいいや」と思っているので、我が家にあった『ヌルテカグリーン』で染めた。もっと高価なMINI用の『ブリティッシュグリーン』のスプレーは使わなかった。それは、バイク用なのだ。


朝から雨だ。
この為に『湯治ツーリング』を一日ずらした。正解だった。
丁度、腹の具合も上向きになってきた。休薬期間に入って二週間で、だ。
長いな。色々、食事や整腸剤を試しながらの試行錯誤は続く。

バイクにサイドケースも取り付けたので、パソコンも入れていこう。鍵も取り付けてある。一度、パソコンをサイドケースに入れたままコケたこともあった。パソコンは無事だった。クッション材として、『雨合羽』などが効いていたのだろう。その際コケた場所が、ホームセンターの目の前という、立地のよさには驚いた。地元ではなく、岩手や宮城でコケると心細いものだ。
結局。何でもそうだけれど、『あわてない』ことが大事だ。エッセイはつまらなくなるだろうが。のんびりいこう。こんな心境でツーリングにゆくのははじめてかも知れない。『羽目をはずさない』『あわてない』、これでいこう。あと、『田んぼに落ちない』だ。

最近、私の文章に『が』が増えつつある。よくない。「なになにが、どうでこうで、それが、こうであれが」と続く。気をつけてはいる。が、どうも使ってしまう。この場合の『が』はいい事にしている。私の個性だと思うから。無個性な、だらだらと続く『が』はよくない。たまにやらかしてしまう。『が。』はいい。これはすっきりするし、テンポも出る。テンポを出すの為の『タメ』の『が。』だ。

「なになにが」と書いてしまったら。その文章の一節は早めに切り上げる事にしている。私のこだわりのひとつだ。こういったこだわりのひとつひとつに、その人なりの個性が宿るのだと思う。『ヌルテカグリーン』のブーツと一緒だ。

雨が止んだら、タイヤにすこし空気を入れよう。荷物も増える。新潟は群馬ほど暑くない。空気圧も若干下がるだろう。いや、標高の高さから逆にあがるのか。どっちだ。まあ、規定値で行こう。
リアショックの調整もした。調整をしないとバイクが底付きする。そして、光軸が上がる。夜、走る予定はないけれど、光軸が星空を指しても意味がない。

荷物がないと『ぽよんぽよん』に跳ねる設定にした。荷物と人が乗って、『ぽよぽよ』にシマるのだ。ぽよぽよにシマるとはなんだ。そんなバイク用語はない。二日目からは、またリアショックの調整をする。1分で終わる調整だ。でも、これが命の分かれ目になることもある。「あわてない、あわてない」


旅支度。チッ。パンツが一泊分足りなかった。洗濯はしない予定だ。サイドケースにいっぱい入る。旅先でコンビニパンツを買おう。ホテル泊なので、モバイルバッテリーも一つでいい。楽だ。音楽はイヤホンでいい。グローブは3双。冬。春。雨だ。金曜日の天気が怪しい。それはそれでいい。

昨年の秋からnoteをはじめて、ずいぶん文章を書いた。秋頃のエッセイになにを書いてどんな文体だったかも忘れている。たまに、ありがたいことにその頃に書いた文章に『スキ』を頂戴したりする。すこし、焦る。そして、あの頃書いた文章を密かに読みにいって、校正している。

パソコンを専用のケースにしまってある。ので、ロウガンズの私が暇つぶしにスマホでつぶやきます。体調も悪くない。6月初めから『がんかわいがり』を再開しよう。ロウガンズにはいささか5インチスマホはキツくなった。「でも、大きいスマホは革ジャンのポケットにフィットしないんだよなぁ。みつを。」嘘。


普段の私のツーリングは、例えば日光方面を通り抜けるなら。朝5時くらいには出発する。でも、今回はちがう。うん、今回だけではないかも知れない。もう、変わらなければならない。今日は、のんびりした時間の出発だ。朝の、通勤時間が終わった頃の9時だっていい。17時に中里に辿り着ければ良いのだ。

こういった基点を作ったツーリングは、東北や北海道ではよくやっていた。でも、こんな隣県に基点のホテルを作って利用してのツーリングは、初だ。新潟は隣県とはいっても、一山越えなければならない。栃木や埼玉のように気軽にはいけない。気軽に通年往来できれば上州群馬県は、間違いなく上杉謙信の領地だった。だから、新潟。福島。この辺りのツーリングは楽しいのだ。植生も違うのだろう。景色がいい。

私はバイクで走っている最中に観る、新緑の山から垂れ下がる藤の花が好きなのだ。あれ程綺麗なものはない。こともない、な。今の時期に咲いているだろうか。5月の始めには咲いているはずだ。私は野趣あふれる山から垂れ下がる藤の花を愛でたい。道の脇にバイクをよせて、おにぎりも食べたい。熊鈴をチリンチリン鳴らしながら。

キャンプツーリングでもないので、熊鈴を持っていくつもりもなかったのだけれど。持って行こう。新世代熊には会いたくない。ツキノワグマなら倒す自信はある。嘘だ。逃げ切れる自信はある。ただ、急襲されたら危ない。「やーやーやーっ、とーとーとーっ、ささささっ」、頭の中のシミュレーションは終えている。万全だ。

さて、私はいままで、バイクは少しだけ無理をする乗り物だと思っていた。『無理』という語には幅がある。そこは、想像してもらいたい。少し『無理』をしてこそ面白く、また成長があるのではないか。そんなふうに考えていた。少しの『無理』があればこそ、大人が子どものようになり、子どもが大人になるのだろう。その、考えはとうに捨てた。人様に迷惑をかけたくない。『無理』はしない。ただ、野糞はするかもしれない。そんなとき、ツキノワグマに急襲されたら、どうやって逃げるのだ。だから食事も『無理』をしない。小食でいこう。

私は、今のところ元気で、自分の事を自分で処理できている。今のところは、だ。バイクには、最後の最後まで乗り続けたい。だから『無理』はしないと決めた。
私の二十年来のモットーは『さわやかにかけぬけるようにあきらめる』だ。その、モットーを具現化できる年齢になった。ところで、モットーって何語ですか。ちょっと調べます。ふむ、ラテン語から派生したイタリア語だそうだ。
『座右の銘』だと、文章が重くなるので、イタリアありがとう。宝くじが当たったら、『ドゥカティ』を買おう。まず、宝くじを買おう。


キャンプ好きなのに『腹下り』しやすい私は、バイク好きであるにもかかわらず、手首が弱い。さあ、出発だ。通勤渋滞も終わった。私の時間がはじまる。日焼け止めもぬりぬりしたぞ。

蕎麦を食べようとしたら、火曜日休業でございました。『ヌルテカグリーン』のブーツはすでに、塗装が剥げてきています。ひかりの加減で見えるでしょうか。

到着。部屋広い。キレイ。禁煙室。和室。ロフトベッド。押し入れもあり。満足。安い。疲れた。大浴場行こう。

到着した。
そして、山懐に抱かれた藤の花を堪能した。そして、そして、駐車場でバイクをコカした。念のためにと。飲まなくていい薬を朝飲んだからだろう。力が抜けた。バイクと私にダメージはない。サイドケースが守ってくれた。この為にサイドケースを取り付けている訳ではない。けれど、何度も救われて、バイク修理の余計な出費を抑えてくれた。医療費もだ。

私はこういうとき、持ち前のあきらめの速さから「さっと」立ち退くことができる。こういうときに頑張ってはいけない。「サイドケースお願い」と、いち早くバイクから離れるのだ。サイドケースがなければ、ウインカーは割れていた事だろう。昨晩、一瞬。ウインカーカバーを持って行くべきか悩んだのを思い出した。ウインカー球は簡単に手に入る。だが、私のウインカーカバーはでかいので替えがきかないのだ。

荷物の多さから、ウインカーカバーは断念した。荷物が多いからコケたとも言える。私の性格が悩ましい。北海道ツーリングなどに行くと、少量の荷物のライダーに驚かされることもある。「パンツ、あるのか。一枚じゃあるまいな」、そんなライダーを見かける。私と真逆だ。汗臭くたって、かゆくたって、気にしない人もいるのだ。そういう人とライダーハウスで隣になったりする。一泊300円だが。さすがに、この年齢になったら、ライダーハウスは利用しなくなった。キャンプか宿か、だ。

明日からの私は大丈夫だろう。荷物は部屋に置いて行けば良いのだから。そして、念のための薬は控えよう。力が抜けて、眠くなる。田んぼに落ちかねない。天気予報を見ていないのだけれど。予定では『見玉不動尊』に参拝して、『松之山温泉』の日帰り温泉で湯治だ。

因みに、私が宿泊しているホテルの大浴場も温泉だ。大浴場の『温泉表示』にそれは詳しく、泉質等が書いてあった。しかし、私は『ロウガンズ』であるので、全く読めなかった。残念だ。そして、大浴場には午後6時で私を含めて2名しかいなかった。ほぼ、貸し切り状態だった。平日のリゾート系のホテルはそんなものなのか。ラッキーだった。メインは『大型連休』と『フジロック』と『スキー』なのだろう。

あと、新潟の252号線(たぶん)のコメリの駐車場で、バイクを起こすのを手伝ってくれた好青年ありがとう。手伝ってくれたのに私は腰が痛い。手伝ってもらえなければ、ギックリ腰になっていたでしょう。重ねて、ありがとう。


旅情とテレビの相性は悪い。
少なくとも、私にとっては。まず、旅先でテレビを観ることがない。新聞も読まない。だから、私は5日間世の中に置いていかれる。昔は天気予報もテレビが頼りだった。いまは、色々ある。できるだけ、旅情を削がれないような、ツーリングにしたい。

家ではテレビを観る。あのドイツ人建築家が建てた『竹所』集落にも脚を延ばせたらと思う。松之山温泉から、それほど離れていないはずだ。地図は開いてない。ああ、地図も開かなくなった。2021年版の『ツーリングマップル』は持参してきている。けれど、もう、スマホのナビ頼りだ。バイクから電源も引いている。迷うこともない。

それにしても、福島から新潟の峠越えは寒かった。
寒いだろうから、峠越えの前に、此処で掛け蕎麦でも食べようと、もくろんでいた店が定休日だった。峠越えは、霧雨だった。バイクとすれ違ったのは数回だけだった。この『田子倉ダム湖』は、紅葉の名所でもあり、私はこのルートを年に2回はツーリングする。冬は冬季閉鎖になる。

一月程前に、親戚と連絡をとったところ。母の故郷辺りでは、まだ、雪が1メートルあると言われた。さすがに、もうないだろう。あったとしても、道端にチラホラある程度だと思いたい。『見玉不動尊』とは、まあ、日本有数の豪雪地帯にあるのだ。長野との県境の秘境の入口。秋山郷もあまりバイクでは走りたくない。一歩間違えれば谷底に真っ逆さまだ。

私の祖母(会ったことはない)は秋山郷の生まれだと聞いた事がある。
両親は余り故郷の話をしないので、その辺りの知識が不足している。
本当は、小説のネタの為に父親の故郷(こちらは新潟の北方、福島との境にある)にも行きたい。勝手にはいけない。こちらも、秘境みたいなもので、私がゆくと絶対バレるのだ。なぜ、バレてはいけないのか私にはわからないが。墓参りはともかく。(またしても不敬だ、だから腰を痛めたのだ)
『芹田のイボ地蔵』という、なんの変哲もない地蔵が集落にある。雨ざらしの地蔵でもなく、小さな御堂に鎮座している。それが観たい。『見玉不動尊』と違って、有名でもないのでネットにも情報が上がっていない。

しかも、いくと絶対バレる。素通り出来るのか。このご時世に。観光客のフリして、誰も知らない『イボ地蔵』に。しかも、田舎の集落を狙った強盗事件があったばかりだ。ふきのとうを一年分くらい送って頂いているのに。お礼もできていない。「いい、いい、墓参りなんていいから、しっかり養生しろ」、そんな具合なのだ。私は元気なのだが。『腹下り』も治っている。

せっかく生まれてきたのだから、小説の一本も書きたい。義務教育を修了した義務だと思っている。そんな欲求がある。『麒麟山』も観たいのだ。バイクと私のセットは案外目立つのだ。さーといって、写真を十枚も撮ればいいか。「ほっちゃ、なにか食ってけ」と言われても『がんかわいがり』中なので食べ物に私が制限をかけている。断りづらい。難しいところだ。

父の故郷ではだいたい「ほっちゃ」と呼ばれていた。いまはどうだろう「ほうじゅんくん」か。「ほうじゅん」か。
ちなみに私の本名は「せいのほうじゅん」と言う。風変わりな、名前だ。ちょっと座りがわるいので、ペンネームは「せいのほう」としている。

追記。
おう、ネットを調べたら『芹田のイボ地蔵』の情報が上がっていた。すごい時代だ。ありがたい。


酷い筋肉痛で目覚める。いい筋トレになったということだ。
朝の4時半だ。もう一回寝ようか。新潟の部屋は私には寒かった。
布団二枚重ねで丁度良かった。布団はその気になれば5枚くらいあったので、大丈夫だ。ところで、起きたら肌がすべすべだった。とくに足が。いや、身体中だ。『ロウガンズ』」なのでphを後で大浴場で確認して見てみよう。スクショすればよかったか。脱衣所は私だけだった。

場合によっては、此処のホテルで湯治すれば良いのだ。新潟中里の10階の部屋から、本日の天気はわからない。カーテンを開ける気にもならない。寒いのだ。最低でも、15度以上にならないと、私は外へいかないぞ。通勤時間が終わってからが私の時間だ。そういえば、昨日とびこみで『チェーンルブ』を買ったけれど、2700円した。amazonより700円くらい高かった。それはやっぱりamazonで買っちゃうよな。なんでも。

旅先の小さなバイク屋で、いつもの『チェーンルブ』が買えただけでも、ありがたいと思おう。チェーンルブとはチェーンオイルのことだと思って頂きたい。自転車のチェーンオイルの飛び散りにくい版です。

『腹下り』は治まっている、ぞよ。『がんかわいがり』の副作用が二週間で終わったのか、整腸剤が効いてきているのか。まだ、謎だ。4クール目に入らないとわからない。6月の第一週から始めたい。5時半か、二度寝をしよう。
私の出発は9時を予定している。昔は、4時~6時には出発していた。人はかわるものだ。私はいいかんじでかわったな。朝、4時からバイクの排気音聴きたくないでしょう?。

ちなみに「ぞよ」というのは機嫌がいいときの母親の語尾だ。もしかしたら、新潟の山奥の方言かも知れない。「おにぎり、できたぞよ」みたいな使い方になる。


「アレクサ。今何時」と言いそうになった。アレクサは使える奴だったな。
私は車に乗らない。バイクだけだ。なんの意地なのか解らない。車ならechopopもってこれたな。「アレクサ、今日の天気は」とか。スマホでも出来るのだろう。でも、スマホをこれ以上重くしたくないから、却下だ。

天気よし。腹巻きよし。ホッカイロよし。10階からのビューです。一応、 下痢止めも携行しました。

十数年ぶりの見玉不動尊は極楽でしたな。新緑との相性もよし。蛙もよし。十数年で随分変わった印象。参拝者は私と入れ替わり。一人のみ。といいつつ、私と入れ替わりで観光バスが二台到着。10時頃に行くといいかも。この蛙。かわいい。『お不動かわいい』

早くもホテルに戻ってきた。
我が家を出るとき私のカワサキW650のオドメーターの下三桁は『563』、「五郎さん」と覚えていた。二日目現在で『20』になった。二日で500㎞弱走ったことになる。私にしては、かなり少ない。けれど、いまの私にはこれぐらいが丁度良い。

まだ、15時前だ。でも国道17号の夕方の渋滞にに飲み込まれたくはない。
いつも思うのだ。新潟は走りやすい。景色もいい。田中角栄の恩恵かも知れない。そう、思うと複雑だ。しかし、新潟は日本一の米所。道が整備されていなければ、日本の高度経済成長もなかったかも知れない。という落とし所を付けている。

『見玉不動尊』は美しい。そして、なぜか、境内の小山の岩を上った所の『不動明王』の写真を撮ろうとしたら。スマホのカメラが一時的に使用不能になった。その辺りは『山伏』の修行場所かも知れない。一般の者が行って良い場所ではなかったのかもだが。こんなの初めてだ。『不動明王』に嫌われているのかも知れない。それでも、最終的には「パシャリ」と撮ったはずなのだが。その写真はない。どのフォルダーにもない。ないったら、ない。

私はただの中年男で、『不思議ちゃん』ではない。かなりその手の者からは縁遠い存在のはずだ。こういった経験もない。見玉不動尊は涼やかで、スマホが熱暴走するような暑さでもなかった。でも、ないったらない。のだ。御堂のほうの不動明王の写真もブレていて、見れたものではない。
蛙くんは撮れたのに。なんで蛙くんはあるのだ。いろいろとなんでだ。かわいいからいいけれど。私が子どもの頃にもあったのかな。


涼やかな滝も撮れたのに。
別の『不動明王』は撮れたのに。「やや、これは」と思った。『不動明王』だけ撮れない。不敬を買ったか。祖父の『こうじゅん』が世話になったというのに、孫の『ほうじゅん』が無礼を働いたか。岩のなかで『不動明王』が鎮座して燃えていたのに。私の腹を燃やしてくれ。参拝はいつものように「なるようになりませんように」とひねくれた文句を継続している。

明日は『竹所』集落に行こう。かな、と思ってはいるが。地元の方々からしてみれば、自らの家が見世物みたいで嫌かも知れない。どうなのだろうか。私は家をジロジロ見られるのは困るからなぁ。それとなく、バイクで通り過ぎて見よう。チラチラみながら。そしてまた、松之山温泉に入ろうか。時間はある。かなり余裕で動いている。

この湯治ツーリング期間に私は2kg痩せるつもりだった。
昼に、おにぎりを5個食べた。もう駄目だ。堰を切ったように『アメリカンドッグ』も食べた。『唐揚げ』も食べた。『ハイボール』はさすがに我慢した。『キットカット』も買った。冗談ではない。

6月からの『がんかわいがり』は痩せて迎えたかった。残念だ。
一縷の望みは、バイク走行時の運動量にかかっている。300㎞程度でも、意外に疲労感はある。おにぎり5個分のカロリーを消費していればいいのだが。筋肉痛はあるので、湯治ツーリング中は『スクワット300』は中止している。もう少し走ってもいいのだけれど『無理しない湯治ツーリング』と、私が決めたので、それを守ろう。


見玉不動尊では沢山写真を撮った。朝、誰もいなかったので。「なるようになりませんように」と言いながら。『眼病治癒』『がん治癒』と書いた木の、お焚き上げをお願いしてきた。一本300円也。治癒の『癒』がわからなくて、『治ゆ』でいった。

見玉不動尊。まだまだ写真を撮ったぞよ。新緑の青臭い匂いと、滝の清涼感は最高でございました。仁王像の門を潜るとこの階段がある。右には滝がある。

見玉不動尊。両側にたぶん偉い像があります。高僧か。なんとかの尊と書いてあったか。それぞれに。

「やっと会えたね」、私はこのギャグが好きだ。辻仁成の次に言ったのは誰だろう。彼は真面目だったろうが。私はいま、心地よい疲労感と筋肉痛の中にいる。そして「やっと会えたね」とつぶやいた。私はこれを求めていた。ストレスがすうっと減じてゆく。湯治ツーリングに来てほんとによかった。全てのがん患者にはこれが必要だ。

昼寝をしたので、眠れません。がんがんつぶやいちゃいます。私の二代『かわいい』です。もうひとつは見玉不動尊の蛙です。これは榛名の参道で見つけた。『お神かわいい』です。いや、兜巾を被っているようにも見える。山伏かも知れない。『お山伏かわいい』でいいでしょう。蛙は『お不動かわいい』です。神社仏閣には『かわいい』が隠れています。「やっと会えたね」と言ってください。


7時に起きた。またまた、快晴だ。
9時頃に出発しよう。昨日の15時からなにも食べていないので、夕食まで
なにも食べなくていいでしょう。どんな論理かと言うと、昨日食べ過ぎたので『カールムネーヤーキースキー揚げ物』状態にあるからだ。ごくかるいが。

予定どおり、『竹所』集落辺りを走ろうか。『龍ヶ窪』も忘れていた。行こう。そして、どこかで湯治だ。松之山温泉でいいだろう。日本海まで行けなくもない。でも、絶対渋滞する。海沿いで渋滞しないのは北海道くらいだろう。だから、北海道ツーリングにも行きたくなる。

山沿いをゆらゆら走ろうか。ツーリングマップルを開いてみた。『ロウガンズ』の私には厳しい。ツーリングマップルは情報を詰め込むのが特徴の本だ。すっきりして、明快な地図ではない。『ライダー歓迎の宿』とか『キャンプ場』がごちゃごちゃと書いてある。ハズキルーペの『バッタギア』でやっとなんとなく理解できる程度だ。

もう、ほぼ、スマホのナビでみんなツーリングをしている。宿に帰ってから開くような本になってしまった。それと、『関東甲信越版』は広すぎる。私の今回のメインルートは新潟。福島なのだ。間違っても、千葉には行かない。『ツーリングマップル』よ。若い、ライダーはもういない。絶えた。バイク文化は早晩滅ぶ。YOUTUBEのバイク芸人も、全員『ロウガンズ』で、間違いない。

もっと、薄い本で良いだろう。でかい文字でいいだろう。情報も最小限でいい。『熊注意』は削らないでほしい。エリアは『北関東甲信越』でいいだろう。情報過多の時代は終わったのだ。『ツーリングマップル』では、とうとう『竹所』集落を見つけられなかった。


私は9時を待っている。そして、排便を待っている。通勤渋滞と、排便渋滞をやり過ごすために。左腹をぐいぐい押している。ぐいぐいぐいぐい押している。

龍ヶ窪の池を、散策中でございます。熊鈴をがんがん鳴らしております。

これは、『龍かわいい』でいいでしょう。龍ヶ窪、意外にも観光客は男と、夫婦のみ。

2日連続。ナステビュウのビューを、どうぞ。男性湯は向かいの山から丸見えでしょう。熊意外いないでしょうが。

14時半にはホテルに着いた。
今回のルートも昨日とたいして変わらない。『龍ヶ窪』『見玉不動尊』『竹所』の集落は、集中していて、そう、遠くない。昨日で全部回れたのだ。
でも、体力を残して、今日を楽しんだ。またしても、松之山温泉では『ナステビュウ』の日帰り温泉だ。私は『ナステビュウ』の名前の由来を調べない。『ナステビュウ』という語が面白いからだ。そして、『ナステビュウ』の湯から松之山のビューを堪能するのだ。

どなたか、行ってみると良い。『塩石湯』とでも言おうか、『塩油湯』とでも言おうか。独特の匂いもする。油が浮いているわけではない。でも、石油的な匂いがある。そしてしょっぱい。私はあえてそのまま、シャワーを浴びずに、その匂いを残したままにする。腕を舐めれば塩味だ。『OS1』いらずだ。

今回の湯治ツーリングの西方面は完了した。
あの辺りは、道路も整備されていて、適度なワインディングもある。またいつか行きたいものだ。天気次第となるものの、明日からは北。または峠を越えて会津地方に入るかも知れない。金曜日の天気が怪しくなるのは、前もって知っていた。その場合は、ホテルのスポーツジムでも利用しようかなと、思っていた。

私はすでにノンアルコールビールを飲んでいる。
本物のビール。いっちゃおうかなとも思ったが。湯治の意味が無に帰すので止めた。ドライのゼロで我慢だ。というほどでもないか。私はアルコール中毒者ではない。簡単に、断酒できた。もう、昼飯とも夕飯とも、判別のつかない飯を食べた。また、明日のこの時間までなにも食べない。

もうひとつ。私は観光しながらのツーリングをほぼ初めてしている。
15年くらい前の伊勢神宮へのツーリング以来だと思う。あの時は疲れ果てて廃屋のパチンコ屋の駐車場で仮眠をとった。着いたのが夜中だったのだ。それ以来の観光と名の付くツーリングをしているのだ。「この道を走りたい」の一本で私はやって来た。病気になって心に余裕がうまれたのか。普通は逆ではないのか。私は、のんびりし出した。

だから、距離がでない。痩せない。疲労感は丁度良い。疲れを明日に持ち越さない。暇なのでnoteに文章を書きまくる。つぶやきまくる。

新潟の小千谷にお肌が、『つるつるすべすべ』になる湯がある。
明日はそこへでもと思っていた。道の駅に併設されていた日帰り温泉だ。とうぜん、旅情はない。確か国道17号沿いにあったはずだ。できれば、もっと東の山の中から、日帰り湯を探したいものだ。ツーリングマップルで調べるか。ネットのほうがいいか。さて、どうしよう。
まずは、天気か。

龍ヶ窪では写真をいっぱい撮ったのだ。強烈に印象に残っているのは、圧倒的なグリーンだった。濃い緑。

カワサキw650なめの松之山温泉の渓谷を。竹所の集落では、一枚も写真は撮らなかった。ひとん家だからね。ナステビュウの駐車場は広い。平日ならいくらでも停められるだろう。休日でもバイクならいくらでも方法はある。

もう、眠い。寝よう。夕寝しよう。私の宿泊している部屋は、一泊素泊まり5000円だけど。広さからいって7人くらい泊まれそう。私は、畳に布団を敷いて寝る。畳に5人。ベッドに2人。寝れそう。オフシーズンで良かった。

起きた。明日の16時くらいから雨だそうだ。バイクで走ると、小降りの雨でも本降りに変わる。そして、ここは、山懐に抱かれた地。予想しづらい。1日中ホテルに引きこもるのか。上手くできたもので、このホテルにはファミリーマートが入っているのだ。私が、飢えることはない。龍ヶ窪の緑をどうぞ。

曇天になって参りました。早々に雨が降りそう。私は、ホテルの大浴場を貸し切り状態で朝風呂に行って参りました。長坊主にドライヤーの強を当てると、寝癖状態の頭になる事を学びました。1日分の飯を買って参りました。ホテルで使える『ファミリーマート10%割引券』と『ナステビュウ100円割り引き券』を間違いました。

体重が1㎏増えていた。おにぎりのせいではない。おにぎりとツーリングカロリーは、等価交換されているはず。これはポテチ3袋とファミチキ3個のせいです。今日の飲料は ピルクル以外は、カロリーゼロです。だから(たから)尊者。一押しです。見玉不動尊。

ぱくぱくぱくぱく、だらだら、ぱくばくと小説を書きなから、おにぎりを全部食べてしまった。しまったな。頭にカロリーを補充しないと小説は書けない。1000文字も書いていないが。とりあえず1日中書こう。不動明王に喝を入れてもらおう。この不動明王だけ写真が撮れた。

私の部屋から、カロリーが消えた。もう整腸剤、強ミヤリサン錠をぽりぽり食べるほかない。夕方にちょっとしたカロリーを買い出しにゆこう。こうして、素泊まりでも意外に高くつく。ただ。食事は好きな時間に取りたい。決められた時間の豪華な料理よりも、好きな時間のコンビニ飯のほうが私は幸せだ。

向かいの山径が朧気になってゆく。霧の中をバイクで走るほど怖いことは、ない。ヘルメットは息で曇り、常時開け放してライディングするはめになる。目を開けるのにも不自由する。だんだんと衣類に霧が染み込む。そうして、雨合羽を着るタイミングを逸する。ああ、やだやだ。私はホテルで書生気分だ。

さて、『無理しない湯治ツーリング』も残すところ1日半となった。
最終日の日曜日は、このまま国道17号線で帰るのか。迷い所だ。例えば、昔のイケイケの私ならば、草津温泉回りで帰ったりしていた。夜、21時辺りに我が家着でもなんともなかった。一端長野県に入って、志賀草津道路で草津温泉に立ち寄り、帰宅というルートだ。

もう、その体力はない。距離はいい。おそらくなんともない。私は、もう、渋滞に耐えられなくなった。高崎、前橋辺りの渋滞は『がんかわいがり』のように、じわじわと体力と集中力を削っていく。危ない。という判断を下した。

もうひとつは、行きのルートを時計回りで戻るだけだ。しかし、帰宅するのは日曜日なのだ。絶対に日光で渋滞する。ただ、ルートは最高なのだ。なんどもそれを経験している。残されたのは、いちばんつまらない、国道17号線の三国峠をただ下るというルートだ。ああ、つまらない。新鮮さもない。どきどきもない。

国境の長いトンネルを下ると『むわっと』した、暑さが襲ってくる。ああ、また群馬に帰ってきてしまった。川端康成の逆バージョンだ。『鬱鬱不安頭』が悪化するようだ。けれど、これしかないか。途中で国道17号線を離れて、東向きに進路をとり、水上、谷川岳、方面から赤城山を北面から上るというつまらないルートもある。そうして我が家に帰ろうか。15時着といったところか。

北海道ツーリング。東北ツーリング。北陸ツーリング。を、経験してしまうと、群馬の道路はなんて酷いのだと実感できてしまう。一世代上の走り屋のせいで、道路はボコボコだ。景観も悪い。どういうわけか、田舎なのに長閑さがないのだ。そうじて、関東平野はツーリングにむかない。つまらない。
育った土地を愛せない。これが私の身体を破壊したのだろうと思う。
早く、つまらない土地に慣れなければならない。もしくは、離れたい。

明後日のつまらない話より。今日明日の希望溢れる話しをしよう。私は腹巻きをしている。しかしこれは腹巻きではない。冬用の枕カバーの左右に穴が空いたバージョンだ。この日本に、腹巻きを枕カバーで代用している者が何人いるか。そんなアイデアマンが何人いるか。で、グンゼの腹巻きを昨日注文した。

ケロロロンと、ホテルの10階まで蛙の啼き声がします。すると、今度はゲロロロンと啼く蛙が現れました。そんな、夜です。新潟は夜の23時30分。


眠れないので、なにかを書こう。睡眠薬は飲んだのだが。
もう、土曜日だ。湯治はこのホテルの朝風呂で済ませよう。7時くらいがいい。だから、今日は温泉には行かない。

私は24時間なにも食べてない事になるだろう。私は蕎麦が食べたい。往復2~3時間ほどの距離にある蕎麦屋がいい。
それを、食べれば今回の『無理しない湯治ツーリング』は、ほぼ終わりだ。ある程度の余白を残して、群馬に去ろう。思い残すことは、あったほうがいい。また、来ようと思えるからだ。

想い出8分目がいい。満腹をもとめてはいけない。こういった旅ができるようになったのは、怪我の功名だろう。人間の成長の種はどこにあるかわからない。私の場合は『病魔』の底に種が落ちていただけのことだ。体力を上向きにして6月の『がんかわいがり』に向かおう。

日曜日はつまらない道で帰ろう。いざとなれば、上道に乗ろう。本当は電線の上を走りたいが。あと2㎏痩せれば、久方ぶりの60㎏台なのだけれど、蕎麦で収まるとは思えない。通常、私は『笹団子』をお土産に買って帰るところだ。けれど、いまは豆類を控えている。食べたくてしかたないが。

道の駅南魚沼『ゆきあかり』でお土産をいつも買っている。
土曜日は大変混雑するだろう。割れせんべいとかでもいいか、と思うが、以外に嵩張るのでバイク向きの土産ではない。ツーリング土産は本当に悩むのだ。買いすぎれば潰れる。ツーリングバッグにお土産用のスペースは僅かしかない。

このホテルにも土産は沢山あった。湯沢の駅中には、目移りするぐらいの土産物があるだろう。けれど、豆類を除くと、土産物の種類がぐっと減る。日本は『あんこ天国』なのだ。饅頭系を外すと、煎餅系しか残らない。思い出した。ブルボンの本社は新潟だった。ブルボンの一工夫された土産物がある事を願おう。亀田製菓でもいい。しかし、私はブルボンに賭けたい。

記憶違いでなければ、母親の同級生がブルボンのお偉方に嫁いだはずだ。なにもなければ、クレームを入れて貰おう。おう、これが世に言う、『カスハラ』か。では、止めておこう。

ピヨヨヨンと、ホテルの10階に鳥のさえずりが聞こえます。朝風呂行って来まーす。起きて、3分です。まだ、朦朧としています。水分とります。そして、雨上がる。

蕎麦も食べたいけれど、鮎も食べたいな。鮎といえば、爆笑問題の太田光氏が、かの歌姫?を、『あゆ』ではなく『浜』と言っているのは面白かった。「浜でーす」とか。隙を突くような笑いだった。私はいま、蕎麦屋の営業時間に合わせて時間をつぶしている。蕎麦屋が開くのはだいたい11時頃からだ。

魚沼スカイラインを走る。寒いので、カイロ。腹巻き。ウィンターグローブ。インナーダウンを着る。勿論、モッズコートも着ている。私は特別寒がりなのだ。

『魚沼の里』なるところで、蕎麦を食べました。美味しかったです。道の駅ふうなところでもあり。風情は残したまま、美しく仕上がっておりました。隣に神社があったので、参拝。「なるようになりませんように。」と。

「歩こう歩こうわたしは元気」と歌うのは、宮崎駿なりの子どもを守るための歌であったのかな。熊鈴がないときは、熊鈴の代わりにもなる。手を叩いて歌うと、より、いいかも。


この『ルッキズム』反対のご時世に、私は、『観音菩薩のようなさっぱり美人』を見かけた話を書かなければならない。なぜかというと、今の私は『がんかわいがり』の副作用によって、おそらくは、性ホルモンに異常をきたしている。そのために、草花。石仏。人間。文章。を同じように愛でる境地に達している。『蛙の石仏』が可愛いと書くとなれば、それは人間に対しても書かなければ不公平になる。私は、いわば、化学療法によって『偶然解脱』して、ドーピングをして文章を書いているのだ。ずるい。

『魚沼の里』という。良質な道の駅のような施設群がある。ほどよく、開発されて、ほどよく田園風景が残っている場所だ。名のある人物が関わっているのだろう。その帰り道。ホテルまでの間に見かけた。
南魚沼市は広い、地域も限定しない。人物が特定されることもないだろう。私は確かに『観音菩薩のようなさっぱり美人』を見かけたのだ。『偶然解脱』の私だから書ける文章だ。これは『ルッキズム』にあたらない。あの御仁は世に出る可能性もある。南魚沼市出身の『観音菩薩のようなさっぱり美人』が世にでたら、私の文章を思い出してもらいたい。

ひょっとしたら、ほんものの『観音菩薩』かもしれない。けれど、私の『偶然解脱』は、そこまでのものでもない。『からあげクン』2個と『ノンアルコールビール』を3本買ってしまうほどには、下々に近い。しょせん『偶然解脱』なのだ。いまだけ、審美眼が研ぎ澄まされているのだ。

それと、めずらしいことに、雀の死体を2度見かけた。農薬の影響だろうか。農薬で雀は死ぬのか。雀の餌である虫が死ぬのか。すると雀は餓死か。雀の死体を愛でる境地に私はない。『偶然解脱』とは、そのようなものだ。
無南~。と、手を合わせた。


おお、縁起がいい。
『がんかわいがり』をはじめて、77日目に群馬に帰るのか。7が並ぶとなぜ縁起がいいのか知らないけれど。キリスト教徒の何かか。私はラクして欲深い性格なので、旅先で宝くじを買うことがある。この辺りの地域では、宝くじ売り場を見かけなかった気がする。私が、山の上ばかり走っていたせいかも知れないけれど。

しかし、『偶然解脱者』になった私はどうだろう。
『4半悟り』をひらいた私に、神仏はなにを与えるのか。『死』だけなのか。「なるようになりませんように」と、しっかり、神社仏閣で参拝している。『偶然解脱者』の私が編み出した、『新しい参拝のリーダーズ』方式でだが。『4半信4半疑』くらいしか、神仏を信じていない私が『偶然解脱者』になって、神仏も驚いている事だろう。

しかし、私は神社仏閣がすきなのだ。昔から。
魚沼の里の隣の神社は長閑で良かった。昼寝に最適でもあった。止めておいたけれど。で、7が揃った私はなにをしようか。「なななーなななー」、と歌って見ようか。これは何の歌だ。耳にこびり付いているな。我が家に帰って、セロニアスモンクで擦って落とそう。

私がこの旅で得たものは、大きい。深い緑色がすきなんだなと思い当たった。それだけだ。群馬には、深い緑色が少ない。単なる、植生の違いだろうが。生きていく上でのストレス量が違う。新潟の冬は大変だろうが。白色の世界もいいか。ともかく、宝くじを買おう。当たったら引っ越そう。深緑色と白色の世界に。そう、決めた。

わかったか。神仏よ。聴いているかい。私に宝くじの当たりを世話してほしい。その代わり、私は文章で日本人の口角を0、01ミリくらい上げて見せよう。どうだろう、神仏よ、等価交換しようではないか。私の中には、うまれもったくだらないユーモアがあるのだ。披露しようか。

因みに、私の使い物にならくなった『柔棒』を、私は、『弱ペニス』と置き換えた。私は更にそれを発展させた。今では、『ジャック・ペニー』と呼んでいる。ハリウッドスター見たいではないか。クリントイーストウッドと共演していてもおかしくない。格好いい。これこそが、センス。どうだ。神仏よ。読み手の口角を0、01ミリ上げて見せたぞ。後は神仏の番だ。宝くじを世話してくれ。

追記。
この文章を一端書き上げたのが、929文字。私の誕生日。
そして、今日目覚めたのが、4時44分。これは、来たな。若しくは、神仏が私をもてあそびはじめたな。そして、『スキ』が7人ついていた。


さて、今日新潟を去るのだが、布団は折り畳まないほうが、掃除などがやりやすい『説』を見たことがあるのだが、それでいいのだろうか。折り畳むと、丁寧そうに見えるが、掃除担当としては不便という『説』なのだが、どうだろう諸君。ここは、折り畳まないで、行ってみよう。

ホテルの忘れ物ナンバー1は、充電器と書いておりました。皆様におかれましても、御注意ください。私は、ぼんやりしていて、昨日蕎麦屋でバッグを忘れるところでした。定員さんがすぐさま、気づいてくれました。ありがたい。

もはや、群馬入りを果たしている。あまりの寒さにコンビニでカレーを食べる。最近の田舎のコンビニの中には店内で食べられるところもあるから、ライダーにはありがたい。ついでに、炭酸饅頭なるお土産も買えた、


とっくに午前中に到着してしまった。
宝くじを奮発して30枚も買ってしまった。まあ、外れても、能登半島地震の復興支援に使われるのならばいいか。

ところで、『がんかわいがり』は今のペースが私にとってのベストなのではないかと気づいた。例えば、6月初めから3週間を2回。そして、7月の途中から、休薬期間に入る。そして、8月の始めから3週間を2回と、繰り返してゆく。これでも『がんかわいがり』の効果があるなら、このペースで行きたい。主治医と相談しなければならない。

1日の点滴。14日間の投薬。6日の休薬。1日の点滴。14日間の投薬。6日の休薬。+その月いっぱいは休薬期間。1+14+6+1+14+6+αだ。1+14+6=21日を一月の間に消化すれば。その月の間(翌日)に次のクールに入れる。つまり、翌月の医療費の節約になる。貧乏人の私と、『腹下り』の症状か導きだしたアイデアだ。

こうすれば、2クールで36日。その月にもよるが、休薬期間を連続して約6+18日ほど取れる。この間に『腹下り』は治る。この『せいのほう式貧乏脱出がんかわいがり』が、果たして効果があるのか。そもそも6日間の休薬期間では『腹下り』は治らない。と言うことは、『がんかわいがり』を続ける間中ずっとずっと『腹下り』なのだ。これはキツい。標準治療の私の『がんかわいがり』は限界だろう。

この『せいのほう式貧乏脱出がんかわいがり』が認められれば、『がんかわいがり』の医療費は二月に一回払えば済むのだ。今のままだと、『がんかわいがり』を一回するだけで、一月の限度額に到達してしまうのだ。恐ろしい。
その代わり私の方式だと、『がんかわいがり』の効果は薄れる。が、一月分の『がんかわいがり』の医療費がうく。私はまた天秤にかけた。標準治療どおりの『がんかわいがり』を続けていくとすると、月に一度の心療内科代を含めると、一月の医療費が7万くらいするのだ。やはり、ちと、キツい。

『がんかわいがり』の医療費を一月うかせる苦肉の策だ。
まあ、残されたいのちと引き換えに編み出したぎりぎりの方策だ。これでいければ、6、8、10、12、というように。偶数月だけ『がんかわいがり』の医療費を払うことで済む。せこい。しかし、いのちをかけてもいる。すごい。とも言える。腹にやさしく、財布にやさしく、肝臓には厳しい。そんな『せいのほう式貧乏脱出がんかわいがり』を発動しようと思う。

私の文章の意味がわかるだろうか。がんになった人には上手く伝わると思う。それ以外の人に私の文章力で伝わるだろうか。この辺りの伝え方は、作家、司馬遼太郎は上手かったな。上手くかみ砕いて「ぺっ」と吐き出して、文章にする達人でもあった。


『がんかわいがり』を開始して、休み休みではあるものの、78日目がたった。この間。時々、鏡を見ると、私は私にぞっとしていた。
ぐっと、老けたのだ。この鏡の中の人物。何かに似ているな。そう、思っていた。しばらくして、その問いの答えを得た。
「26号に、似てきたな」、私はそう思っている。26号と言えば、何を思いうかべるだろうか。手の平が思いうかべられたなら、それは正解だ。

タカシくんだ。
キヨコの友達の、マサルの友達の、アキラの友達の、タカシだ。デコスケ野郎の能力の発動のキッカケをあたえた。金田にすべてを託した。あの、タカシだ。『がんかわいがり』とは、それほど強烈なのだ。どちらかというと、アキラ似だったこの私が、ネオ東京在住のタカシくん似になってしまった。まったく面白いものだ。私の見た目がはじめて、それも一気に、実年齢に追いついた。見た目49歳の完全体の私が鏡の中にいる。

いつも、10歳くらい若く見られて侮られていた私が『がんかわいがり』によって、実年齢に追いついた。そして、これから、私の見た目は実年齢を、ばーんと追い抜いて行くはずだ。どんどん『26号タカシ化』が進んで行く。
此処はネオ群馬なのか。そう、錯覚するだろう。
「26号こんにちは」、私は鏡の中の私に、そう、挨拶をする。「せいのほう26号。おはよう」、と。

ただ、私に人間の友達は一人もいない。超能力者同士の付き合いもない。私にあるのは、キカイくんだけだ。
それは、『カワサキW650』と言う。あとは、ガンくんだけだ。酷いブラックジョークだろう。
でも、湯治ツーリング帰りの私は、ばるんばるんに元気だ。ばるんばるんに元気とは何だ。と、言われても私にはわからない。指が勝手に動いただけだ。とにかく、ばるんばるんなのだ。それでいいではないか。

うろ覚えで『アキラ』を語ってしまった。もう、数十年読んでいない。私の記憶はあっていただろうか。Kindleを覗いて見た。電子書籍化はしていないのか。もう、電子書籍以外、買わないことに決めたのだ。断捨離というやつだ。『ナウシカ』もないのか。しかし、『ねじ式』はあった。つげ義春がKindleにあって、なぜ、『アキラ』と『ナウシカ』がないのだ。

これは、死に待ちか。すべての電子書籍担当者は恥ずかしくないのか。絶対、死に待ちだろう。宮崎駿と大友克洋を誰も説得出来ないのか。もう一度言う。死に待ちだろう。死後、数年。もしくは数ヶ月で電子書籍化するつもりなのだろう。嘆かわしい。ダルくてダサいぜ。担当者。「このデコスケ野郎」め。もしくは「このデコスケ女子」め。

それと、『ねじ式』の腕をずっと押さえているあいつにも、私は似てきたような気がする。『ねじ式』も、もう我が家にはない。ポチるか。ばるんばるんの元気な私が、一気にけだるくなりそうだ。


エッセイばかり書いてないで、私は小説を1本書かなければならない。
その小説の舞台は途中から、空の新潟から東北に移り変わる。湯治ツーリングに、行ったばかりなので、想い出の残量もたっぷりあるので、本当はそちらを進めたい。けれど、小説を書くときの指は重い。指に、墓石でも乗ってるように動かない。ので、またエッセイを書いている。

こちらは、滑るように指が進む。自動筆記に近いように動く。だからなのだろう。誤字脱字が多い。公開してからも、何度も文章を直す羽目になっている。
そう、『湯治ツーリング』で私は2㎏痩せて、久しぶりの60㎏台に体重を落とすつもりだった。けれど、想い出と脂肪を2㎏増量して帰宅した。5泊して1000㎞も走っていないのではないか。こんなツーリングはした事がなかった。これはこれでいい。としても、体重の増量はいただけない。おにぎりを大量に食べた。これは、間違いがない。これは仕方がない。すべては、コンビニのレジ横が悪い。

日常生活のなかで、私はコンビニを殆ど利用しない。だって、コンビニの隣にドラッグストアがあるのだから。普通はそちらを利用する。自宅から歩いて行ける範囲には、コンビニよりドラッグストアのほうが多い。値段も安い。自ずと、日常生活の中でコンビニを利用するケースは減る。おそらく、日常生活の中では、コンビニに行くのは月一くらいだろう。

だから、旅先でのレジ横に目移りしてしまう。
おにぎりを大量買いしたのに。アメリカンドッグ。からあげ。イカフライ。などを買ってしまう。『がんかわいがり』中の日常生活の中では、決して口にしなかった食べ物たちだ。豪華な料理よりも、ジャンクなフードに惹かれてしまった。その結果が2㎏の増量だ。

私は旅にでると、極端な『腹下り』か極端な『腹止まり』になる。『腹止まり』とは、便秘の事だ、いま作った。うまれたてほやほやの『語』だ。
今回は、やや『腹止まり』に傾いたのかも知れない。きっと、『腹止まり』のせいで、増量したのだろう。その可能性も捨てないでおこう。
コンビニの話になったので、私の羞恥心について書こう。これは、おそらく、ごくかるい、病気の一種だろうと思うが。
私は「セブン」とは言えないのだ。

「セブンイレブン」としか口に出来ない。恥ずかしい。同じように「ファミマ」とも言えない。「ファミリーマート」なら口に出来る。「ファミチキ」は言える。それは、ファミチキが正式名称だからだろう。「セブン行かない?」などの言葉が飛び交うと、私の心は侮蔑的で羞恥心でいっぱいなほうに、胸騒ぐ。
性格の悪さかもしれないが、きっとこれは、なにかの、ごくかるい病気だ。

「コンビニ」は口にできる。この違いはなんだろう。ただの慣れかもしれない。あと、20年くらいしたら「セブン行かない?」と、老齢の私は言えるのかも知れない。寿命があれば。

こんなに『わがまま語』を大量生産しているのに。まったくおかしい事だとわかっている。ただ、これは、多分、病気だからいいだろう。子どものころからある病気だ。思い返せば、「ファミコン」とか「ドラクエ」とか、口にだすのにも時間がかかった。「ファミリー・コンピュータ」「ドラゴン・クエスト」と言わなければ、気分が悪く落ち着かなかった。いまは、言える、そういう病気だろう。普通、自分で勝手に『わがまま語』を作るほうが恥ずかしいだろう。この、私の文章を読んだ人が、私同様に、「これ」を発症しない事を願う。こういうのはときどき移るから。

さて、『がんかわいがり』の4クール目の再開が決まった。6/4日からだ。体調を整えよう。いまから『腹下り』に備えている。整腸剤も、お試しでコロコロ変えてしまった。しばらくはこれだ。『強ミヤリサン錠。1000』、3ヶ月もつ計算だ。しかし、『湯治ツーリング』中にラムネ菓子変わりに「ぽりぽり」食べてしまった。追加で注文した。さあ、『腹下り』はどうなるのか、誰にもわからない。


ブーツをモスグリーンに着色し直した。が、元々ディープなグリーンだったので、『モス』は消えた。『染めq』でスプレーしたので、いいかんじになるだろう。じっさいはもっと、いい色なんだけど、写真うつりが悪いな。

ゆめをみた。
その、原因はわかっている。私がブーツを再び緑色に染め上げたからだ。
ゆめの内容はたいしたものでもない。私の部屋のテーブルから巨大なゴーヤが育つゆめだ。ブーツとゴーヤが入れ替わっただけだ。ただ、それだけのゆめだった。それが、奇妙でよかった。私はゆめのなかで、ゴーヤを生でがしりがしりと、しっかりかみ砕いて食べていた。

私のいまは、ひさしぶりに『がんかわいがり』の副作用のない状態だ。
6月からは、再び『がんかわいがり(化学療法)』が始まる。
すると、私の味覚異常が起こる。『甘加減』がバグるのだ。だから、ゆめのなかの私は平気で生のゴーヤを食べられたわけだ。その辺りはまったく変ではない。ほんとに食べられてしまうのだ。じっさい食べられた。

「甘かった」とは、言わない。
そこまで『甘加減』はバグってはいない。「おいしゅうございました」と、平気で食べられるていどのものではあった。副作用も色々だ。当初あった副作用がなくなったりする。1クール目の私のおならは酷く臭かったものだ。が、いまでは、その臭いも減じた。『慣れ』だけではないだろう。確かな、『むかしなじみ』のおならがでている。

話はかわる。私は小説を校正中だ。で、一応読み返しながら段落を付けている。つじつまがあっているのか不安になりながら校正している。
『エッセイのほう』は、つぶやきを入れると、200を超える。もう、いちいち段落を入れて、句読点に気を配り、校正するのは諦めている。エッセイは読みやすさ重視でいいのだろう。5,6行書いて、1行空ける。そんなかんじが読み手(スマホの方も)にとって、丁度いいのだろう。縦書きだったら、段落を最初から付けていただろうけれど。


踏ん張っておられる。見玉不動尊にて。旅の想い出を。

こちらも、踏ん張っておられる。見玉不動尊。旅の想い出を。

朝から威勢のいい、怒鳴り声で起こされた。
我が家のはす向かいでは家の解体作業が行われている。その関係者の声だろう。重機の音がずっとしている。「ドゥゥゥゥゥ」と、喧しい。
今日は、朝から10メーターの風が吹く予報だったはずだ。風の音はしない。重機の「ドゥゥゥゥゥ」で風の「びゅゅゅゅゅ」が負けたのか。そんな、はずはない。天気予報は外れたのだろうか。

窓をあければいい。
ただ今の私は、起こされたてほやほやの『尿我慢』の状態にある。
そして、ベランダの日よけゴーヤの朝の水やりもしたいと思う。じゃあ窓を開ければいい。それがむずかしい。このままエッセイをだらだら書き続けてもいたいのだ。朝ならではの『半眠書き』は、それはそれで思考がぶっとんで面白いことにもなる。目の焦点も合っていない。

限界がきた。トイレだ。
気持ちのよい風が吹いていた。台風一過のような風だ。心配性の父親がウッドデッキ上のタープを外していた。この程度の風では、家に金具でクランプしたタープに問題ない。『バイクが倒れるかもしれない』、このぐらいの風までは大丈夫だ。けれど、まあ、心配性の父に従おう。タープを丸めて家側にガムテープ止めした。こんなもんでいい。昼過ぎにはまたタープでウッドデッキを覆う。

微睡みからぬけて、ゴーヤの水やりもした。日よけのゴーヤカーテンができればいい。実は、それほど期待していなかった。でも、できれば実も欲しい。小さな実が、いくつか『湯治ツーリング』から帰ってきたら生っていた。でも、それ以上の成長がない気もする。あとで、調べよう。切ったほうがいいのかも知れない。余ったバケツの底に穴を開けて、土をいっぱいに入れただだけの代物だ。

そして、腹冷え用の冬装備のベッドもそろそろ限界がきた。
私が、はっきり、汗臭い。発熱毛布と発熱シーツカバーはもういらないのだろうか。コインランドリーに行くか。もう、しばらく、待つか。私は冬物をいっせいに洗いたい。そうだ、いざとなればホッカイロがあるのだ。寒くなればぺたぺた貼れば良い。私は汗臭い私の現状から抜け出したい。コインランドリーにさっそく『GO』だ。


『長坊主』の限界をかんじている。
私の考えていた『長坊主』の世界はもっと自由だった。毎朝のシャンプーもスキップして、手間いらずで、すがすがしく過ごせるはずだった。湿度にも負けない。べたりと髪がへこたれる事のない。そんな日常を想像していた。じっさいはしっかり、髪がへこたれている。

すべて、私の軟毛がわるいのだ。なぜ、軟毛に生まれてしまったのだ。
梅雨から夏は、『短坊主』でしか私の軟毛は自由になれないのか。不自由極まりない。『長坊主』も、濡れタオルなどで、ごしごしすれば5分で蘇る。しかし、私の望みとはちがう。帽子を脱いでも、ヘルメットを脱いでも、一切の手間のいらない、『長坊主』を欲していた。秋冬だけなのか。自由になれるのは。

週一で『長坊主』の『維持刈り』を続けるという、方法もある。それは、めんどくさい。でも洗い立ての長坊主は好きだ。『長坊主の維持刈り』でゆこうか。語としても、まあまあ面白い。『秀吉の刀狩り令』のようでもある。語としては悪くないのだ。『長坊主の維持刈り』は、心情としては『長坊主の意地狩り』にもなってきた。なかなかの語だ、迷う。

ああ、生まれた。生まれてしまったのだ。
このエッセイを書きながら、たった今、『夏場の短坊主なつばのたんぼうず』という語を、生んでしまった。さて、どうしよう『夏場の短坊主』という語が、いい。『夏場の短坊主』は、綺麗な語だ。小説や、映画のタイトルでもいけそうだ。ああ、語がうつくしい。『長坊主の維持狩り』よりも、遙かに『夏場の短坊主』のほうがいい。語で決めよう。
ふむ。私は『夏場の短坊主』でゆこう。そして、秋には『紅葉の長坊主狩り』でゆこう。うつくしい語を生んでしまった私の宿命だ。
刈ろう。刈ろうぞな。コインランドリーにもいって、部屋は夏仕様になった。刈ろう、刈ろうぞな。新聞紙を用意しよう。


『夏場の短坊主』刈って参りました。
すがすがしい。ついでにすね毛もいきました。まあ、ほぼ全身いきました。
ところで、『夏場の短坊主』は、まるで、候孝賢ホウシャオエンの映画の邦題のようだ。いい語を生んだ午後の一時であった。


あさ。4時に目覚める。
本日は尿意無し。しばし、書こう。振り返ったときに、実質明日から梅雨入りだったかも知れない。そんな雨日が続きそうだ。つまり、確実に日を拝めるのは今日だけかも知れない。週間予報ではずらりと、雨マークが並んでいた。走ろうか。「走ろう、走ろう、私は、ばるんばるんに元気。走るの大好き」なのだ。かるく走るか。ガソリンも満タンにしてあげよう。

カワサキW650は、雨でしばらくねむる。来週から病院通いが数日続く。
私はというと。「歩こう、歩こう、私は、ばるんばるんに元気。歩くの大好き」でもあるのだ。歩くのは好きなほうだ。子どものころは、保育園でも送迎バスなんてなかった。がしがし歩いて通園していた。引っ越してからは、片道3㎞ほどを歩いて通っていた。もともと、がしがし歩くのが好きなのだ。ただし、平地なら。

山にはむかない。『平地オンリー派』だ。
或いは、いま『スクワット』を続けているので、ハイキングコースくらいなら行けるのかもしれない。いつか、尾瀬に行こう。
記憶にないけれど、群馬県で育った私なので、ひょっとすると学校の行事で既に尾瀬に行っている可能性はある。よく考えたらその可能性は高い。しかし、そんな記憶は私にはない。何者かに消されているのだろう。

ライダーの宿命だ。
何者かに記憶を消されて、人造人間になるのだから。昨夏うけた『盲腸がん』の手術も『記憶抹消手術』だったのだろう。腹に傷がいっぱいあるけれど。腹に機械が埋め込まれたのだ。その副作用で『腹下り』が止まらないのだ。ただ、いっこうに敵が現れない。念のためなのだろう。変身のやり方も教わっていない。こういうのは直前がいいのだろう。
『ライダー補完計画の一種だ』、私はタカシ似の『せいのほう26号』なのだ。26号だといっても26番目に私の番がくるとはかぎらない。

『最終補完兵器私』なのだろう。それまでは、このエッセイで日本人の口角を、0・01㎜上げる事に努めよう。


予定とは、あってないようなものだ。
臨機応変に生きなければならない。私は今日、日光の『霧降高原』辺りをツーリングしようとしていた。その予定は頓挫した。行けなくもなかった。午前中から走るのを止めただけだ。

我が家のはす向かいの家の解体作業は終わった。
と、思ったら。我が家の目の前の道路でアスファルトをひっぺがえすドリルと、重機の轟音が鳴り止まない。区画整理か、水道工事のどちらかだったはずだ。まだ、終わっていなかったのだね。私は、『湯治ツーリング』の間に終わったと思っていた。「バイクちょっとでまーす」と、一声かければいいのだ。でも、私はシュンとしてしまった。49歳の中年男なのに。

で、午前中は。秋冬春と大活躍してくれていた、ブーツにメンソレータムをあげていた。私は革ジャンにも、メンソレータムをあげる。なんとなく、口に入れても大丈夫そうなものを塗りたかった。昔は『馬油』、いまはメンソレータムになった。もう、10年くらい続けている。一応、トレッキングブーツをのぞく7足にメンソレータムをあげた。

私は馬鹿高いブーツは持っていない。私がバイクに乗り始めた、約25年前からの金銭感覚は変えていない。革ジャンもだ。だから、気軽にメンソレータムをあげている。本当は皮革製品専用の油が良いはずだ。でも、臭い。それに耐えられなかった。そして、珈琲の出涸らしのカスを乾燥させて、お茶パックに詰めて湿度調整とニオイ対策の為、常にブーツの中にインさせている。

ということで、午前中は暇になった。職人さんたちの、昼休憩をまってすこしバイクで走ろう。私にとってバイクは一種の精神安定剤なのだ。

此処からの文章は、ひさしぶりにスマホで書きすすめよう。5インチスマホに、裸眼なので、誤字脱字が山のようになるかも知れない。

私はいま、いつもの公園にいる。大室公園だ。頭上では、かあかあとカラスが鳴いている。この時期の母カラスは危険だというニュースを昨日見たばかりだ。すこし、私は警戒している。お気に入りのハットも被っている。カラスに『持ち逃げ飛び』でもされたら終わりだ。私はゆめのなかでしか飛べない。

公園には、心地よいかぜがながれているので、よい。私のお気に入りの木陰で、ヘリノックスチェアで昼御飯を食べた。そして、私はとある実験をした。『ジャンクなフードでゴー』という名の実験だ。コンビニのレジ横で、これでもかという、ジャンクなフードを買った。

その理由は『ジャンクなフードでゴー』する事によって、火曜日の血液検査でどのような結果が出るのか。そんな興味からの実験だ。なぜ、我が家でやらないかというと、『ジャンクなフードでゴー』のあとには、散歩がしたいからだ。さすがに、これだけジャンク漬けだと、せめて、散歩はしたい。

ポテトフライ。アメリカンドッグ。チキン2枚だ。全部、ジャンクな油で揚げてあるはずだ。粉もジャンクだろう。加工肉はがんに成りやすい。という論文もあるそうだ。でも、私はアメリカンドッグを食べた。アメリカンドッグだけは許している。

様々な、がんにおける論文や噂がある。当初、私も振り回された。が、病院の栄養士からは「これを食べるな」と言われた事はない。「もう少し、痩せましょう」だけだ。

ようは、運だ。がんになるもならないも、大部分が運だと思う。ヨーグルト大好き。納豆大好きの私が盲腸(大腸)がんになったのだから。
けれど、便潜血は放っておいてはいけない。あれは、完全なる私の過ちだから。

私は、私の神仏との接し方を全てに取り入れようと思う。それは、『4半身4半疑』という。がん治療においてもそうだ。『4半信4半疑』くらいが丁度いいのではないか。そんなふうに思っている。

だから『ジャンクなフードでゴー』してみたのだ。火曜日の血液検査が楽しみだ。


手がやや黒い。日焼けした皮が剥けるのと同じように、黒皮が剥けてきた。面白い。見えるだろうか。

こんなにも、食べた。『ジャンクなフードでゴー』の為だ。胸焼けしている。

『ヌルテカグリーン』のウエスタンブーツの、赤茶色バージョン。これも私が染めた。こちらは、大変良い味がでています。染めあげ成功でしょう。ズボンの埃が凄い。


今日から、雨籠りだ。籠る事には慣れきっている。
私は毎日、『日籠り』『昼籠り』『夕籠り、』『夜籠り』、或いは『腹籠り』を、強いられている。たまに、バイク。たまに、散歩。たまに、お漏らし。そんな日常が6/4日から、また始まる。ああ、恐ろしや、恐ろしや。
『鬱鬱不安頭』が一等に嫌だ。けれど『腹腹地獄下り』も次点でツラい。

『がんかわいがり』とはなぜ、こんなにも過酷なのだろうか。『がんかわいがり』しながら働くなんて、私には不可能なのだが。行き着くところは、体質か。運か。そのあたりだろう。数々のとんちきな実験を、面白半分でがん患者の私が試している。いつかこれが、人類の役にたつだろう。とは思っていない。遊び半分。4半信4半疑だ。

漏らしても、動じない、私の精神には、私も感服している。そんなときは直立不動だ。武蔵坊弁慶のようだ。『弁慶の立ち往生』ならぬ、『私の立ちじゃーじゃー』は、『不動じゃーじゃー』でもある。肛門括約筋にも限度がある。天照大神ほど、しぶとく岩屋に籠もってはくれない。不敬だ。それも恐れない。私は神仏にたいしても、もはや4半信4半疑だ。
すぐでる。これは早急に解決しなければならない問題だ。

noteにも責任の一端はある。
2階でエッセイを書いている途中に便意をもよおす事が多い。
note神が、まだ、大丈夫と私をたぶらかすのだ。あと1行。あと1行。その間に、『腹腹地獄下り』のピークが来てしまう。便意?。くらいでも一階には降りておくべきなのだ。それが、出来ない。肛門と脳の間の神経伝達に問題が生じているのだろう。一気にくる。子どものころからだ。

なにか、当たってくれという。博打打ちの気分だ。
『ヨーグルト』『乳酸菌飲料』『整腸剤』『下痢止め』、なにか当たってくれ。『当たって砕けて漏らしてろ』の勢いだ。幾つ試していいか解らないほど、『菌市場』が拡大している。迷う。パターンが多すぎるのだ。私の便が追いつかないほど。マッハだ。


ところで、休薬期間中のエッセイは6/3日まで書くつもりだけれど。おそらく4万字くらいにはなりそうだ。1クール目のまとめ。2クール目のまとめ。3クール目のまとめ。休薬期間中のまとめで、4期にわけて書いた。これから、6/4日には、4クール目に入る。で、10万字を超えるかも知れない。『がんかわいがり』100日目で10万字くらいか。

何万字も読んでくださりありがとうございます。飛ばし読みでもいいですよ。でも、面白いものが書けているという自負もある。疲れない程度に読んでください。私じしんがnote内の他者様の文章を、一気に4万字も読んだことがないので。私が、「4万字?、うげっ」となりますから。
いま、ざっとみたら、休薬期間中を入れると『がんかわいがり』シリーズは9万字くらいありますね。よっぽど暇なかたは『がんかわいがり』というマガジンがあるので、最初から、面白いのでどうぞ。6/3日分が書けたら、巻末に貼っときます。


『ロウガンズ』の為、5インチ(正確には4.6)スマホからの脱却をする。
もう、厳しい。バイクに取り付けて、ナビ変わりにもしているので、いっそう厳しい。湯治ツーリングの突然の不具合も鑑みて、安全の為と割り切った。本当にテキトーに5Gスマホを注文してしまった。今度は6インチだ。

私には機能もなにもどうでもよく、テキトーに選んだ。おサイフケータイさえ使えれば良い。そして、『ロウガンズ』に優しければなんでもいいのだ。5G、といっても、もっぱら使うのは我が家だ。当然、WI-FIの世話になっている。ので、おそらく5Gの出番は、殆どない。仕事をしていたときでも、一月1GBに抑えていた。休憩時間にamazonmusicでスマホのsdに落とした音楽を聴いていただけだ。1GBを超えるのは、ロングツーリングに行くときだけだった。それでも、ホテル泊なら。当然WI-FIがある。今月はギリギリだったけれど、1GBに抑えられたはずだ。

オンラインで注文したので、自分でぜんぶ開通手続きをしなければならない。これはかなり面倒だ。でも2回目なので大丈夫だろう。前回できたのだから。スマホメーカーも同じにした。基本、私はどうでも良いのだ。
長く5インチスマホを使っていた理由は、革ジャンのポケットに入るかどうかだけだった。6インチでは入らないだろう。それだけが理由だった。

でも、もう大丈夫なのだ。昨年から、クシタニ製の『ホルスターバッグ』を使っている。これが、かなりの便利グッズで色々収納できる。そして、『おしゃれ様』でもあったことから、6インチに踏み切った。後は、真夏のツーリングで熱暴走をしなければ、それでいい。『ロウガンズ』使用のスマホが私を助けてくれるだろう。アプリの圧迫も少なければいいのだが。余計なアプリがいっぱい入っているのだろうな。

私は2019年からのスマホを使っていた事になる。何度も落としたのに、「怪我にも耐えてよく頑張った。優勝おめでとう」、私は、そう、いいたい。

音楽の話しをしよう。ECHOスピーカーには、私の好みが記録されている。それで「お気に入りの音楽を聴かせて」、という。と「わかりました。お気に入りの音楽と良く聴く楽曲を再生します」と、ECHOスピーカーは少々出過ぎた真似を勝手にしてくる。で、今日は、私の好みどおりの『赤い公園』が一曲目にかかった。それで、急遽「アレクサ、赤い公園をシャッフル再生して」と、言って文章を書いている。

SMAPの後期の名曲に『JOY!』と言う曲があった。私の大好きな曲だ。その作詞作曲は『赤い公園』のリーダーの津野米咲であった。それもこれもあれもぜんぶ、私は、彼女の死後に知った。『赤い公園』というバンドも、津野米咲という音楽家もだ。控えめにいって彼女は、椎名林檎と宇多田ヒカルと悠々と並び立つ才能の持ち主だったと思う。そんなひとが死んでしまった。そのくらい、赤い公園を聴いて驚いた。

40歳代後半の中年男のアンテナの感度は低い。けれど、音楽の良作、良品を聴き分ける感性は衰えていない。才能があろうとなかろうと、ひとが自死するのは悲しい。けれど、これからの日本に『赤い公園』というバンドは必要だった。そんな『赤い公園』の曲を聴いている。バンド名がもっとキャッチーであれば、私の知るところになっていたかもしれない。たまたま聴いたラジオで、一度でも聴いていればファンになっていたのかも。そんなふうにも思う。勿論、キャッチーなバンド名付きであるが。

私は、ラジオを眠り薬がわりに聴いているから。覚えていないのか。『サンドリ』や『深夜の馬鹿力』で、流れていたのだろうか。眠すぎて、キャッチし損ねたのか。だとしたら、私の悔やんでも悔やみきれないエラーだった。
生前から聴いていたかった。
私の文章も、私が『ばるんばるん』に元気なうちに是非お読みください。


ヨーグルトばかり食べている。
本当は、バランスよく食事はとらなくてはならない。しかし、私の下らない拘りもある。体重を60㎏台に下げたい。70㎏台は『わがままボディ』だ。60㎏台になって、やっと『すましたボディ』となる。もう、6/4日の、4クール目の『がんかわいがり』には間に合わないだろうが。

まだ、僅かな希望を捨ててはいけない。『湯治ツーリング』で想い出と体重を2㎏増量したのが悪い。そして、『ジャンクなフードでゴー』という、実験もしてしまった。しかし、あと3㎏のところまできている。間違って、『脂肪0』ではないブルガリアヨーグルトを食べて。この数字だ。いけるかも知れない。日曜日には自力でのスマホの開通作業と機種変更が待っている。脳を使うだろう。脳の疲労によって痩せるかも知れない。一縷の望みはある。

そして、私は夏用の靴を2足買ってしまった。夜中の睡眠薬中の私の気の緩みから、ボタンを押してしまった。まあ「どうしようかな?」と、迷っていた夏用のトレッキングシューズだ。安い。軽い。見た目よし。防水性はわからない。耐久性は怪しい。でも、ブーツばかりで普通の散歩シューズがなかった(壊れた)のでしょうがない。

私は、着々と断捨離をしていたはずだ。
アルコールは絶っているので、『酔いポチり』はない。けれど、『眠剤ポチり』があった。MERRELLの散歩用トレッキングシューズは、外装のゴムとプラスチック部が弱い。割れる。靴底の溝はある。だから、履きつぶしたという感はない。余計なギミックのダメージが、MERRELLのトレッキングシューズにはあった。本格的なものだったから、捻挫が起こりにくい。そんな、外装のギミックだった。それは、解る。でも、普段使いの経年劣化で割れた。いたるところが、だ。靴底の溝の前に外装のギミックが壊れてはいけない。と、私は思う。靴底の溝がなくなって滑る前の。本末転倒だ。
まだ、履ける。そこはMERRELLは偉い。でも、見た目がもうボロボロなのだ。こちらも「痛みに耐えてよく頑張った、優勝おめでとう」の、言葉を贈ろう。

次は、amazonで、数年前から気になっていた。安物の『ハイテック』というブランドの靴だ。一応トレッキングシューズにカテゴライズされている靴だと思う。ずっと気になっていた。でも、安すぎて怪しい。そうなると、私は逆に手がでない。足も出ない。ほら、つまらない。

私は、レヴューの評価が上がったならば買おう。そんなふうに観察していた。すると、評価も段々上がってきた。ので、買ったのだ。恐ろしく軽かった。山に行く予定はない、から良い。散歩にはぴったりだと思う。因みに私は寒がりのライダーで、厚手の靴下を履く習慣があるので、1サイズ上げた。それで良かったと思う。

ハイテック。悪くない。軽い。春夏の散歩に良い。ターコイズブルーには付属の紅い紐があった。赤オレンジの靴には水色の紐が付属していた。紐を付け直すか。2種類の紐があるとは、なかなかいいぞ。ハイテック。何年か様子を見てきたかいがあるというものだ。私は、ワンサイズ大きめにしました。

夏場になると、温度の上昇により、バイクのワイヤー類は、『ゆるんゆるん』に弛みます。それを調整しました。クラッチワイヤーを『きつんきつん』にしました。アクセルワイヤーは取り敢えず調整しません。

いつもの公園で。ノンアルで明日の『がんかわいがり』の点滴に望みます。『第二回ジャンクなフードでゴー』も開催致しました。アメリカンドック2本と、鶏の唐揚げでございます。明日の血液検査が楽しみです。
「おいしゅうございました」

グーグル先生が、毎月「380円くれ、380円くれ」と、ギガギガ毎日、毎日、煩いので、380円のお小遣いをあげることにしました。これで、200GB。当分写真撮り放題になりました。スマホも新しくなり、画像も良くなりました。しかし、グーグル先生は煩さすぎる。
『くれくれストレス』だ。

暇なので、たくさんつぶやき中です。まだらに堕ちた、木陰が好きです。そんな所にいつも、私の縄張りを作ります。昼寝をしてしまうので、いつの間にか私のどこかに取り付いた謎謎しい虫が、家に帰ると現れてびっくりします。

6/3日だ。休薬期間最終日になる。
さて、私なりの『腹下り』対策はしてある。けれど、おそらく『腹下り』は治らない。期待はしていない。究極的な解決策は「食べない」しかない。
『腹腹地獄下り』とは、便がじゃーじゃーになり、そして、1日の排便回数が10を超えたら認定となる。漏らすのはおまけみたいなものだ。

経験上、数日はなにもおこらない。しゃっくりだけだ。なんてことはない。
ひょっとすると、久しぶりの4クール目は『腹下り』は大丈夫かも知れない。5クール目辺りからは、我が家から一歩も外に出られない状態が予想される。それを、くつがえすために、整腸剤、強ミヤリサン。下痢止め。ブルガリアヨーグルト。ジョア(鉄、葉酸)。この、仲間とともに駆け抜けていくつもりだ。
数日前に鼻血は止まった。かなり長引いた。血液検査が楽しみだ。

ところで、オンラインで注文したスマホの開通作業は自力で出来た。しかし、2019年から使用していたスマホより、今のところ、スマホが全く遅い、なぜだ。なぜなんだ。どうしてだ。何が悪いのだ。アプリをじゃんじゃん削除しなければならないのか。そして、細長い。6インチスマホとは5インチスマホを細長くしただけだった。いま、そのスマホで文章を書いている。

ふむ、文字を最大化すると、『ロウガンズ』の私でも裸眼で書けてはいる。細長いから文章が常に、9行は見えている。これは助かる。細長い意味はあるようだ。と、なにかボタンを押したのか、6行しか見えなくなった。まあ、いい。それでも書ける。

遅いのは、我が家のWi-Fiの問題か。この間コンセントを抜いたばかりで、電波の絡み合いは解けたはずなのだが。あとは、バイクのナビとしての機能だ。グーグルマップは変わらない。後は、バイクから電源を引いた状態で、スマホのバッテリーの残量が上がるのか下がるのかだ。下がるとしたら、ナビとしては使いものにならない。  
     
画面が大きくなった事によってどれくらいの消費電力があるかだ。それを、ライダーとして懸念していた。それは、5インチスマホを長らく所有し続けていた理由のひとつてもあった。

さて、これから心療内科にゆく。ほぼ、私の頭は治っている。しかし、いま一歩、断薬、減薬の決断ができない。
一度、勝手に断薬して酷い目にあったからだ。『能鳴り』が止まらなくなった。そのあたりも、ややこしい、電波と同様に、病気と病気が複雑に絡み合い解けない。

新スマホでの裸眼書き。一端公開しよう。後ほど、誤字脱字は直します。もう、目がぼやけた。しかし、裸眼でこれだけ書けたのは久しぶりだ。なかなか気に入った。
遅いけどさ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?