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『自堕落静養日記。十二月二十九日』

「あれ、ジャニーズ問題の反省は?」、と視聴者のほとんどが思った事だろう。すくなくても、放送前に(推定無罪の原則があっても)性加害者と疑われる人物にテレビ局なりの、聴取や話し合いがなされていなければならないと思うが、それも怪しい。それがあっての、公共の電波放送なのだから。テレビ局の責任の取り方はどこへいったのだ。
年末年始の特異な事情もあるのだろう。それにかこつけて、なし崩し的に放送するというテレビ局の判断を忘れないようにしよう。
タレントという商品がリコール対象になったのだ。素早く回収するのが基本だとおもう。

テレビがなくても、ネット配信でいくらでも活動はできるのだ。
テレビ局独自の『罰』のハードルはぐっと低くなっている。干すとか干さないではない。そんなものはもうない。ただ、『公共の放送の活動』は、控えるべきだと思う。性被害者の『目』に触れる機会を減らしてほしい。

ここで『英断』だ。すばらしい。ホラン千秋氏の事だ。報道番組を降りるという。そもそも、事の起こりはバラエティとワイドショーと報道の棲み分けの曖昧さにある。テレビ局内で、報道は独立していなければならない。だから、古舘伊知郎氏は『報道ステーション』のメインキャスターを務めるにあたって、バラエティー番組を降りたのだ。その決断は早かった。古舘氏の矜持の部分かも知れない。

ホラン氏の出処進退は、めっぽう遅いが(誰かの)決断はあっている。報道とバラエティーの二刀流は、ない。ワイドショーとバラエティーの二刀流は、ある。これに各局もつづいてほしい。古舘氏と安住紳一郎氏の振る舞いが正しいと思う。レコード大賞の司会はセーフでしょう。


そういえば『M1グランプリ』がありましたね。恥ずかしいことだと自覚して書こう。私は、そういう予防線をはる悪い大人だ。
決勝について、私が好きだったのは『真空ジェシカ』、投票するなら『令和ロマン』、点数をつけるなら同点。『バッテリィズ』は、一日に一本ネタを観れば私のお腹はいっぱいだから、優勝はなし。
真空ジェシカのツッコミには、『気づき』がある。トロい私ではながれてしまうボケもツッコミを聞いて「ああ、そうか」と膝を打つことが何度もあった。「ほら、こんな怪魚が釣れてるよ」と教えてくれる。真空ジェシカの漫才は、実のところ親切なのだ。異常な世界観の漫才を親切にやっていた。だから好き。
ああ、恥ずかしい事を書いてしまいました。

歳をとると『駄洒落』が多くなるという。
それでも、若者の祭典『M1グランプリ』でも、駄洒落は基本中の基本でもあった。糸井重里氏風にいえば「いいまつがい」だ。

私もひとつ。
ニュー・イヤーに、病院にニュー・インするのだ。(どう、つまらないでしょう)。


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せいのほう
もしそうならば、あ~りがとうございま~す、です。たすかりま~す、です。