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『小説空生講徒然雲32』

 仁王門の中からぬいっと窮屈そうな龍の首が出ている。
 後方には階段があり左斜め上の御堂まで続いているようだった。いや、それでもおさまりそうにない、どこかで蜷局をまいているのだろう。私はここである事に気づいた。龍の頭に『蛙』が乗っていた。ただの蛙でないことは一目瞭然で、30㎝はあろうかという大きさであった。「ふむ、話はわかった」、喋っているのは蛙であった。
 緑蛙は大きな口をぱくりぱくりと動かしてこう言った。
「私は通訳ですよ、龍の」
「龍は偉大だ。偉大すぎると学ぶ事を忘れる。その最たる例が、このありさまだ。滅多に、客人はこないから、尚更言葉を忘れる。龍ヶ窪の水のなかで寝そべっているだけだ。でも偉大だよ。うまれながらに偉大だ。この緑蛙とは身分が違う」
 緑蛙は少しひねくれたような物言いをした。それでも自慢げだ。誇りもかんじる。
「我は学びを忘れたことがありませんからね。毎日、毎夜、陀伽羅尊者から学んでいますから」
「ほら、あのお方ですよ」と、滝の方のもうひとつの山伏の参道を緑蛙は顔をしゃくって教えてくれた。顔をしゃくって案内するのは、無礼ではないのか。
 羅漢の石仏があった。釈迦の高僧の石仏が参道の両脇にずらりと並んでいた。緑蛙は陀伽羅尊者の弟子であるという。陀伽羅尊者の石仏は達観したお顔をしている。私も『見玉不動尊』は初めてではない。
「すごい、石仏」
 シマさんはいつのまにかバラクラマを身につけていた。どうやら、乾いたようだ。龍のドライヤーで濡れそぼった所はもう、なくなった。
 濡れそぼっているのは、この『見玉不動尊』だ。清涼な空気が充満している。滝の音がすべての音という音を静謐にしていた。 
 よく見ると緑蛙は苔むしていた。いい、深い緑色だった。
「御師千日。いま、我を褒めてくれたな。よいぞ、よいぞ。ところで、御師千日。じつは己のほうが私より『位』が高いのだぞよ」
 そんなことは、どうでもいい。私はバイクで命を亡くした、『ない者行者』と、魂鎮めのツーリングができればいい。そうして、『明日の世界』にお連れすればいいのだ。位などどうでもいいのだ。位などバイクの排気ガスのようなものだ。あってないようなものだ。
「御師千日。己がその『位』についている意味が、私にはわかったような気がするぞよ。よいぞ、よいぞ」
「みやおう」、と青猫が同意を示すように啼いた。青猫は相変わらず、私の頭の『?』にくるまっている。


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