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『八日目のはらたちくん』
私は毎日問うている。
「はらたちくん、まだ腹は立っているのかい?」、と。
入院中。私は私の腹に暮らす『はらたちくん』と頻繁に会話をしていた。
「勿論、腹は立っておりますです。それが正直なところざんす。」
お、おう。ふしぎな言い回しをするもんだな私の中のはらたちくんは。いつからだい?、その口調は。いよいよいいよはらたちくん、じゃ、また。
私は約束の八日目。もう一度はらたちくんに問うた。
私は、はらたちくんとの約束を守らなければいけない。はらたちくんとの付き合いは五十年にもなるのだからね。
一週間たっても腹がぐつぐつ煮えたぎっているようなら、喋って(書いて)腹をすかしたほうがいい。私とはらたちくんは五十年間そうして暮らしてきた。八日目のはらたちくんは、「腹が立っておりますです。」ということだった。私は書かなければならない。細かく心配りをしながら、センスを散りばめた美文で、対象をののしらなければいけない。これは、ふたりの流儀でもある。いまのところ私の語は美文を保っている。いい湿気だと思う。
下水汚水男を語ろう。これは、げすいおすお、と読んでいただきたい。そんな者が入院していた。「見るからに下衆い者でございましたな。」
お、おう。はらたちくんはきっと時代劇を最近見たばかりなのだね。いいかんじだよはらたちくん。ゆこう。
私はすぐにでも退院したかった。
病院側もなぜ、あの『せいの』という者は、こうもはやく退院したがるのだと怪訝に思われたかもしれない。私は廊下をすいすい歩きリハビリを順調に進めてかなり早期に退院できたと思う。我ながらすごいと思う。それもこれも下水汚水男の、せい(おかげ)といっていい。「下水汚水男と空間をともにしたくない」、その一心でリハビリに励んでいた。ありがとう汚水男。ああ、なんて私の心はキレイなんだろう。あの汚水男に、ありがとうを言えるなんて。よ、ありがとうございますの大家。
病棟の廊下に、だみった下衆ボイスが響いていた。
下水男が電話で仲間と会話をしているのだ。
どんつきの廊下に下衆ボイスは折り返し隣近所の病室に漏れ伝わっていた。
下衆ボイスはつつぬけの丸聞こえで下水男はノリノリだった。
内容は看護師に対する下衆なハラスメント放談。
私は果てしない時間を、はらたちくんと落胆と怒りを抑えて過ごした。
「ゴッホのように耳をちょんぎってしまおうかと思いましたな。殿。」、間違いない。はらたちくんは時代劇にぞっこんだ。私は殿なり。
すると、下衆ボイスは一線を越えた。
看護師と性風俗をまぜこぜにした会話が静かな廊下をのたまう。
「どちらにも失礼でござりまするな。殿。この下水男、あつかましいにもほどがある」
うむ。わかるぞ、はらたちくん。職業に貴賎なしだ。
私は願う。看護師の耳には届かないでくれ。
「でも、書いてしまうのでしょうね。殿は」
ああ、それが私の性分。気品、気高さ、素養、非凡さ、ぐんまの太陽さま、うるわしきもののすべての所作のはじまりのもの。止まらない私の私による私の褒めごろし。
そんな、ストレスをかかえた入院生活。
一刻も早く逃げ出したかった。
むなぐらをつかむ勢いのいっぽ手前の私がいた。
私は0か100かの人間ではない。性格は大らかで下ネタの許容範囲もかなり広い。けれど、万人にむけて下ネタを喋る資格があるとは思っていない。それは危うい。私が下ネタをおおいに『喋る』には私の頭の回転はすこし足りない。勢いにまかせていたら取捨選択に失敗して、沈だ。だから、こうして時間をかけて文章にする必要がある。文章ならなんとか体裁が整う。センスいっぱいのセンシティブなセンスさんの私ですら、このようなかんじなのだ。下水男が看護師を野卑な下ネタにつかえるはずがない。そんな即興性は一般人にはない。センスがないなら下ネタには手をだすな。手痛いしっぺ返しをくうのが関の山。
つまるところ恥と質なのだと思う。恥と質が同居してはじめて下ネタは翼をえられるのというのに、それをしらない者がおおすぎる。学校はなにを教えている。私は憤懣やるかたない気分になった。昼休みでいい。伊集院光のラジオをみんなに聴かせよう。語にするどい子がそだつはず。
「殿。そのとおりでございまする。このはらたち、一命にかえても殿の『恥質道』をお守り致しまするっ。」
「はらたちくん。某と其方の間に主従はないぞよ。よきにはからえ、ぞよん、なり~」
「ははっ。ありがたき幸せ。殿のお言葉はいちいち拙者の胸にささりまするな。殿は何者でござりまするか?」
センスだ。はらたちくん、センスなんだ。私はセンスいっぽんでここまできたのだ。だから私の下ネタはひどくうつくしい。そうだろう?。
私はセンスうまれセンスそだちの努力しらずの過度にセンシティブなセンスさんなのサ。下ネタのライセンスだってあるハイセンスのせいのさんサ。
腹が立った文はむずかしい。
私は私の語がみだれて汚物まみれになるのを好まない。だからこのような文になる。告発や非難もしかり。
一応、私の美文の範囲におさまったように思う。そのため、正鵠を射ることには失敗している。ナンセンスでもある。目的は道半ばに頓挫している。せいぜいおぼろげに、「あのあたりくらい」に的をしぼった語が私の矢の限界でもある。それがセンス。それが私。くそくらえ。
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