ヤバい女にタゲられて人生をめちゃくちゃにされそうになった結果、なぜか小説家になった話【第20話(最終回):後日談】
マユミと別れてからしばらく後、携帯電話にメールが届いた。
『久しぶり。元気?』
Eからだった。上京2年目に働いたバイト先の蕎麦屋で知り合った女友達で、なんやかんやですでに7年近い付き合いだった。
久々に食事でもしようということになり、Eが行きつけだという二子玉川のアメリカンダイナーふうのレストランで待ち合わせした。
久しぶりの再会だったが、彼女とはそもそも頻繁に会うわけでもない。どちらかが思い出したように連絡し、食事しながら近況報告し合うような関係で、気づけば1年以上会わないこともざらだった。
というか、ほとんどの友人との関係はそうかもしれない。僕は特定の人間と頻繁につるむことは、あまりしないほうだ。縁を大事にしなければと思うのに、生来ものぐさなものでつい不義理を働いてしまう。こんな僕と関係を続けてくれる友人たちには、本当に感謝しかない。
「最近、彼女とはどうなん?」
Eのなにげない質問に、僕は苦笑した。マユミのことをどこまで話せばいいのだろう。
「別れた。実はかなり面倒くさいことになってて、大変だったんだよ。話せば長くなるんだけど」
「大変だったのは知ってる。私のとこにも電話かかってきたから」
驚いた。
マユミからEに連絡が行っていたなんて初耳だ。マユミとEの間には面識すらないはずだった。
「いきなり電話がかかってきて、2度と連絡しないでくださいって言われた」
「マジで?」
「ヤバいのに捕まってるなーって思ったよ。私になにかできるわけじゃないから放っておいたけど。別れられたんだね。よかった」
てっきり、いつものように気づけばしばらく会っていなかった、というだけかと思っていたら、マユミの裏工作があったのか。
『久しぶり。元気?』
このメールは、僕がまだマユミと付き合っているのか、そもそも僕が無事でいるのか、探りを入れようとしたものだったらしい。
この出来事をきっかけに、僕はアドレス帳に残った友人たちに積極的に連絡を取り始めた。
マユミはほかの女友達にも同じような連絡をしていた。
僕を孤立させるため、男友達には僕から暴力を振るわれていると相談を持ちかけ、女友達には僕に近づくなとストレートに伝えていた。僕の携帯電話からデータを抜き取り、片っ端から連絡していたらしい。
僕の番号から電話がかかってきたので僕だと思って応答したら、いきなりマユミから罵声を浴びせられたという人もいた。僕から絶縁宣言のショートメッセージを送られたという人もいた。僕自身の携帯番号から発信されたメッセージだったので、誤解を解くのが大変だった。
眠っている間に携帯電話をいじられたのに気づき、口論になったことは何度もあったが、マユミがそこまでしていたとは思いもよらなかった。
僕がマユミとかかわったせいで、考えていた以上にたくさんの人に迷惑をかけていたことを思い知らされた。
かろうじてつながった縁もあるが、切れてしまった縁のほうが圧倒的に多かった。バンド時代の友人でいまでも交流があるのは、数えるほどしかいない。
実は長崎から上京する時点での僕の目標は、『音楽で成功する』ではなく『東京の音楽シーンの一員になる』だった。才能がないのはわかっていたが、夢を諦めるふんぎりをつけたかった。最初のバンドが思いのほか上手くいったため目標を上方修正することになり、自分でもちょっと調子に乗ったものの、もともと高い志を抱いていたわけでも、自信があったわけでもなかった。成功できなくても、同じ趣味の仲間をたくさん作れればそれでよかった。
マユミと出会う前の僕は、対バンに積極的に話しかけ、友達のバンドのライブにもかなりの確率で出没する「なぜかいつもいる人」ポジションだった。
本当なら、僕には音楽仲間がたくさんいたはずなのだ。
それでも、いま命があることに感謝するべきなのだろう。
かつて交際していた男を自死で亡くしたと、マユミから聞かされたことがある。付き合っていくうちに、その男性を自死に追い込んだ原因はマユミ自身にあったのではと考えるようになった。
恋人の自死自体が狂言の可能性もあるし、真相はわからない。でもあの女が人を死なせていたとしても、僕はまったく驚かない。実際に僕自身が、生きるか死ぬかの窮地に追い詰められたのだから。
僕と別れた後のマユミについては、知りたくもないのにときどき動向が耳に入ってきた。サイン本希望者を募集したときのように自身の動向をメールマガジンのように一斉配信するため、人伝に噂が流れてくるのだ。
何人かの男と付き合っては別れを繰り返し、別れるたびに僕に連絡してきたのは先述した通りだが、ある時点からそれもなくなった。
そのころから、某ライブハウスのブッキングマネージャーと交際を開始したようだ。シンガーソングライターとして自身もステージに立つ人物だった。彼が勤務するライブハウスのホームページを覗いてみたところ、掲載されたライブ写真にいちいちマユミの名前がクレジットされていて、乾いた笑いが漏れた。どこにいってもやることは同じのようだ。彼はちゃんとやりたいことをやれているのだろうか、マユミのせいで不本意な活動になっているのではないかと、お節介な心配をせずにはいられなかった。
その後数年は続報もなかったし、僕自身も積極的に知ろうとはしなかったが(とはいえ、バイト先のコンビニに凸されたのはこの時期だったのだが)、あるとき風の噂で出産したらしいと聞いた。ということは、結婚したのだろうか。
相手がライブハウスのブッキングマネージャーの彼なのか、新たな別の男なのかはわからない。
久しぶりにライブハウスのホームページを確認してみたところ、どうやら彼は店を辞めたようだった。マユミの名前がクレジットされた写真も消えていた(写真の削除自体はホームページデザインのリニューアルによるもので、トラブルがあったわけではなさそうだ)。
その後どうなったのか知らないし、僕が首を突っ込む道理もない。
マユミはともかく、彼女の子どもがつらい目に遭わされることなく、無事に育っていて欲しいと願うのみだ。
普通に考えればマユミが夫と子どもを幸せにできるはずはないのだが、境界性パーソナリティ障害については、年齢とともに症状が改善する傾向があると、本で読んだことがある。たしか30代ぐらいから落ち着き始め、40代ではかなり安定すると書いてあった。治療というより、社会と折り合いをつける振る舞いを学習するためらしい。
正直に言うと、僕はその報告について懐疑的だ。人間はそう簡単に変われないし、あれほど激烈な症状が完全に治まるとは思えない。パーソナリティ障害でなくても、性格に難のある人間が加齢とともに丸くなって良いやつになったという例を、僕は知らない。逆ならたくさん知っているが。
そもそもが医師や専門家のもと継続的に治療やカウンセリングを行っている時点で、本人に変わりたいという強い意思がある。ほとんどのパーソナリティ障害者は病院を受診したりしないだろう。
それでも一縷の望みを抱いてしまうのは、あのときの記憶があるからだ。
いつだったか口論になったとき、マユミが泣きながらこう叫んだことがある。
「どうせ私は頭がおかしいから!」
どういう経緯だったのかは覚えていないが、言動の異常さに自覚があるんだとすごく驚いた。
もしあの台詞が本心からのものだったら、マユミ自身も他人や社会との折り合いがつけられずに苦しんでいる、ということになる。しかし、虚言で他人を支配し操るところからも、普通の人間がどう振る舞っているのか、自分がどう振る舞えば他人に好感を与えられるのか、あるいは逆に、どうすれば他人を傷つけることができるのかは、理解しているはずなのだ。理解しているのに、それができないということだろうか。本当は善い人間になりたいと願っているのに、暗い衝動を抑えられないのだろうか。
もしそうなら、とてもかわいそうな人だ。
でも、こういう考えがよくないのかもしれない。
理解できないものを理解しようとする過程で、つい自分のものさしを持ち出してしまう。
理解しようとしても理解できないものは、ある。
マユミは悪魔のような女で、怪物だった。
悪意を具現化したかのうような、邪悪な存在だった。
あの怒濤のような2年半で、どこまでが本当でどこからが嘘だったのだろうと考えるのも、不毛だ。
マユミは息をするように嘘をついた。
あの女にまつわるすべてが嘘だった。
それでいいのだろう。
少なくとも、なんの専門知識もない一般人が安易に同情を寄せるべきではないし、ぜったいに手を差しのべてはいけない。救いを求める手をつかんだが最後、底なし沼に引きずり込まれるだけなのだから。
マユミが専門家を頼ってくれているのを祈る。
最後に
以前からどこかでまとめようと思っていたタゲられ体験をnoteに書くことにした直接のきっかけは、パーソナリティ障害の小説家に遭遇したことだった。それ自体は意外なことでもない。ある統計によれば人口の10%が程度の差こそあれど、なんらかのパーソナリティ障害に該当するらしい。10人に1人の割合なのだから、小説家にも編集者にも普通に交じっているだろう。10年以上もこの業界にいると、ヤバい小説家や編集者の噂を聞くことも多い。
しかしそういったヤバい小説家がSNSを通じて日常的に発信する虚言を、一般の読者だけでなくプロの小説家までもが疑うことなく受け入れる様子に、僕は大きな危機感を抱いた。
僕がマユミとかかわった20年前よりもさらにSNSが普及した現代は、考えてみればパーソナリティ障害者にとって都合の良い時代だ。ネット上でいくらでも自分を偽れるし、実像より大きく見せることができる。自分ですらない架空の人格を作り上げることすらできる。「嘘を嘘であると見抜ける人でないと~」とは、某匿名掲示板の管理人が発した有名な言葉だが、SNSで発信された情報の真偽を見分けるのは本当に難しくなっている。デマに躍らされた経験がまったくない人のほうが少ないのではないか。
このnoteの連載を読んでくださった方ならすでにおわかりだと思うが、パーソナリティ障害者の虚言を鵜呑みにする行為は、たんなる被害者に終わらず、自らが共犯者や加害者になる危険をはらんでいる。SNSに流れてきたデマにいっちょかみして無邪気に支持を表明することは、虚偽の発信の信頼性を担保し、無自覚に加害の片棒を担ぐことにつながりかねない。
本文にも書いたが、誰かを無条件に信じるなど美徳でもなんでもないと、僕は考える。とくに言葉で商売する小説家は論理に拠るべきで、自らの発信に責任を持つべきだ。一時の感情に任せて勢いで発した投稿をのちに削除したからといって、発言がなかったことにはならない。
僕は無自覚な加害者になってしまう同業者を増やさないためにも(そして自衛のためにも)、自らの体験をここに綴り、パーソナリティ障害の周知と注意喚起を行うことにした。20年前の出来事なので時系列などの記憶が曖昧になっている部分はあるが、起こったことを覚えている限り正確に記述するよう心がけた。ネット上で錯綜する真偽不明の情報に惑わされがちな人にとっては、この連載がある種の回答になるかもしれない。
また、現時点でタゲられて苦しんでいる、あるいは過去のタゲられ体験を誰にも話せないでいるという方にとって、少しでも救いになるのであれば幸いだ。
タゲられ被害者の体験談は、パーソナリティ障害の人間に振り回された経験のない人にとって、あまりに現実離れして聞こえるだろう。おかげで被害を訴えたほうが嘘をついている、あるいは話を盛っているように受け取られがちだ。そのため被害者が口を噤み、一人で悩み苦しむことになる。
僕はタゲられ体験を普段から友人たちにネタとして話しているが、笑い話のオブラートにくるんでいるため、深刻さが完全に伝わることはないだろうと諦めている部分もある。
いくらなんでもそこまでしないだろう。
そんな嘘はつかないだろう。
普通の人間はそう考えがちだ。
そこがつけ込む隙になる。
人はあまりに堂々と嘘をつく人間に相対したとき、ここまで堂々としているのだからなにか根拠があるのだろうと解釈し、違和感に蓋をしてしまう。
そんなことはない。
相手の言動に違和感を覚えたら、その違和感はだいたい正しい。
良い人そうだから、やさしそうだから、ハキハキと流暢に話すから、プロの小説家なのだから、と強引に合理化せずに、一度立ち止まり、できれば距離をとって冷静に考えるようにしてほしい。
一時の注目欲しさに思いつきで嘘をつきまくるパーソナリティ障害者の虚言は辻褄が合わないことも多いので、バイアスを外してよく考えたら違和感に気づくことができる。
もちろん、僕のこの発信自体の真偽を疑い、検証してくれてもかまわない。
むしろそうするべきだ。
悪人は悪人の顔をしていないし、地位や肩書きは、人格の保証になどならないのだ。
(終わり)