ヤバい女にタゲられて人生をめちゃくちゃにされそうになった結果、なぜか小説家になった話【第14話:3度目の浮気】

マユミの情緒不安定が深刻になっていた。
言葉の揚げ足取りが酷くなり、やたらと突っかかってくる。
なにを言っても、なにをやっても怒りの琴線に触れる。
いつもと同じといえば同じだが、それにしても手に負えない状態が続いていた。
そしてなんとなくだが、攻撃の質がそれまでとは変わってきた気がしていた。
説明は難しいが、以前はひたすら僕の自由を奪い、引き留めるために攻撃していたのが、なぜ自分のそばにいるのがこの男なんだというふうな、苛立ちめいた本気の嫌悪が垣間見えるようになった。『バカ』とか『アホ』だったのが『キモい』になる感じといえば伝わるだろうか。実際には、そんな単純なワードで罵られたわけではないが。

そのころ、マユミは新たな派遣先で働き始めていた。
その派遣先のある男性社員について語るときだけは上機嫌になり、少女のように目を輝かせた。
もしかして――僕は思った。
こいつ、恋をしているんじゃないか?
だからあるとき、鎌をかけてみた。

「間違ってたらごめん。マユミ、その人のこと好きなんじゃない?」

答えを聞くまでもなかった。マユミは頬を真っ赤にして恥じらった。
この手があったかと、僕は内心でガッツポーズをした。
マユミの関心を、ほかの男に向けさせればいいのだ。
もともと男性への依存心が強い――というより、誰のことも信じられない猜疑心のかたまりのような人間だ。好きな男ができたら、その男の人生ごと支配しないといられない。べったりと依存して生活をともにしたがるだろうし、そうなれば当然、僕のアパートからも出ていく必要がある。

僕が把握しているだけで、それはマユミの3度目の浮気だった。
把握していないのも含めれば、きっともっとある。
つねづねいろんな男から言い寄られるというモテ自慢をしていたが、たぶんそれは逆で、マユミのほうがいろんな男に色目を使っていたのだと思う。その中には実際に関係を持った相手も、少なくなかったんじゃないだろうか。
貞操観念がぶっ壊れたかのような下半身のだらしなさだが、こういった性的逸脱はパーソナリティ障害あるあるらしい。

最初の浮気相手は、対バンのバンドメンバーだった。
一度対バンしたきりで、とくに親しくならなかった相手なのが救いだが、マユミの裏工作があったので親しくなるはずもなかった。
マユミはそのバンドメンバーから「口説かれて困っている」と話していた。だが実際には、困るどころか肉体関係を結んでいた。「口説かれて困っている」報告は、モテる私自慢と、浮気相手と僕が親しくしないようにするための工作を兼ねていた。おそらく「口説かれた」のではなくあえて隙を作って「口説かせた」のが実際ではないかと、僕は考えている。
浮気が発覚したのは付き合い始めてそれほど経っていない時期だったため、そのときは僕も怒った。だが「寂しかったの!」と逆ギレされ、最終的にはなぜか僕が謝る羽目になった。寂しくさせて浮気の原因を作った僕が悪いという理屈だ。「寂しかった」は男女にかかわらず、浮気バレした身勝手な人間が逆ギレする際に使用するワード不動の1位(佐藤青南調べ)としてお馴染みだが、多忙でほったらかしにしていたのならともかく、自宅に帰れないほど束縛された末に「寂しかった」と非難されるのもかなり理不尽だ。それでも狂気じみた逆ギレを収めるには、とりあえず謝るしかなかった。このときにも別れようとしたけど、自殺をほのめかされて別れられなかった。
浮気を理由に別れようとしたら自殺をほのめかされるって、あらためて文字にしてみると本当にむちゃくちゃだ。いまさらながら腹が立ってきた。

2度目の浮気相手は、前職の上司である森田だった。
森田についてはたまたま発覚したのが遅かっただけで、たぶんずっとそういう関係だったのだと考えている。
森田は一時期、無職になったマユミを、自分の会社でバイトとして雇っていた。時給も高く、気が向いたときに出勤すればいいという破格の待遇だった。あまりの好待遇を不審に思い、マユミに仕事の内容を訊ねたこともあるが、曖昧な返答しかなかった。森田が経営しているのはサーバーレンタルの会社だったが、マユミにはIT関連の専門知識がほとんどなく(前職は有名ゲームメーカーだが、開発ではなくイベント関連の部署だったらしい。どこまで事実かはわからない)、森田の会社の業務に貢献できるスキルがあるとはとても思えなかった。
マユミがラボと呼ぶ森田の会社のオフィスを、僕も訪ねたことがある。マンションの一室で、壁際にはサーバーがずらりと並んでいた。
オフィスにはいつも森田一人だけで、個人事業主が便宜上法人化したみたいな雰囲気だった。そこにマユミを呼んでよろしくやっていたわけだ。いまでいうパパ活みたいな関係だったのだろう。
正直、驚きはなかった。マユミには取り巻きのような男が何人かいたが、中でも森田の献身度合いは群を抜いていた。マユミが望めば、金も時間も労力も惜しみなく差し出す印象だった。マユミもときどき、森田を下の名前で呼び捨てにしたりして、異様な親密さを醸し出す瞬間があった。いくら付き合いが長くても、あれはたんなる前職の上司と部下の関係ではない。本来なら二人がくっつけばよかったと思うが、残念ながら森田には妻子がいた。

その2度の浮気については、実はマユミ自身から告白された。
マユミはこちらがまったく疑ってもいないのに、唐突に自分の嘘や隠しごとを告白することがあった。かなり時間が経ってから、あれは嘘だったと告白するのだ。こちらが追及するときにはかたくなに嘘を認めず自死すらほのめかすのに、自分ではとんでもない爆弾級の告白をぶちかましてくるのだから、本当にわけがわからない。
マユミにどういう意図があったのか、僕にはまったく想像もつかない。僕を混乱させて楽しんでいたのか、あるいは人並みに後ろめたさや罪悪感を抱えていたのか。かりに罪悪感があったとしても、勝手に吐き出して勝手にすっきりした気になるなんて、この上なく利己的な振る舞いだと思う。告白されて傷つく相手への配慮など、いっさいないのだから。

そして3度目だ。
初めて僕が暴いた――と書くとまるで僕が勘の鋭い名探偵みたいだが、マユミがその男に恋をしているのは、おそらく誰が見ても明らかだった。すっかり色ボケして恋する乙女と化したマユミは、僕に浮気を隠そうとする最低限のデリカシーすら失っていた。
おかげで少女のように頬を赤く染めながら、相手の男と肉体関係を結んでいることまでペラペラと話した。惚気を聞いてほしくてしかたないという感じだが、惚気る相手を決定的に間違っていた。マユミにとって僕は、もっとも惚気てはいけない相手のはずだった。
根本的に他人を思いやるということができない上に、いや、だからこそ、孤独な人なのだろう。マユミの周囲には取り巻きのような男はいても、同性の友人がまったくいなかった。森田の例をみてもわかる通り、取り巻きたちの献身の根底にあるのは性愛だろうから、本当の意味で友人と呼べる存在は一人もいなかったと思う。だから本来は友人にするべき告白を、もっとも相応しくない相手にしてしまったのかもしれない。

ともあれ、僕にとっては千載一遇のチャンス到来だった。
キングボンビーを押しつける候補が、ついに現れたのだ。
僕は喜色が表に出ないように心がけつつ、助言した。

「きっとそれは、浮気じゃなくて本気じゃないかな。僕はかまわないよ。好きな人と一緒にいたほうがいい。マユミが幸せになる選択をするのが、いちばんだと思う」

本当は別れたくないけどね、という表情を繕った。浮気を咎めることすらせずに自ら身を引こうとする、見事なまでの『理解ある彼くん』ムーブ。
マユミは異様にプライドが高いので、喜んではいけない。もし浮気を歓迎しているのが伝われば、へそを曲げて僕の望みを絶とうとする可能性もある。嫌がらせのためだけにそんなことするなんて信じられないかもしれないが、それがマユミという人間だ。欲しいものはなんとしても手に入れ、気に入らないものは徹底的に攻撃する。そのために手段は選ばないし、自分が損をしようとかまわない。というか、怒っているときには攻撃対象しか目に入らず視野狭窄に陥っているので、結果的に自分も損害を被ってしまう場合が多い。敵認定した相手に加害する際には、それほど我を忘れているのだ。2年近く翻弄されたおかげで、僕もだいぶマユミの行動パターンを読めるようになっていた。

話し合い(という体でマユミの惚気を聞いているだけ)の途中で、相手の男から電話がかかってきた。タイミングが合ったというより、たんに付き合い始めの浮かれている時期で、頻繁に連絡を取り合っていただけだろう。
マユミは電話に応答し、聞いたこともないような猫なで声で話し始めた。
相手の男も、まさかマユミの目の前に、マユミの交際相手の男がいるとは考えもしなかったに違いない。
マユミは僕から距離を取ることもなく、僕に背を向けることすらせずに、相手の男と二人だけの世界を築いていた。
恋人の目の前で浮気相手と電話し、デレるのだ。
僕の『理解ある彼くん』ムーブを真に受けたようだが、それにしても思いやりに欠けるし、後ろめたさすら感じさせないのが恐ろしい。
やっぱりこいつは、人の心のない悪魔だ。
けれど悪魔も恋をするらしい。
浮気相手さん、ぜひともこの悪魔を引き取ってください。
電話の向こうに気配を悟られないよう存在を殺しながら、僕は祈るような気持ちだった。

ところが、それから1か月もしないうちに僕の希望はあっさり潰えることになる。
相手の男に妻子がいることが判明したのだった。
マユミは浮気相手と別れたと、僕に胸を張って報告してきた。
さあ、あなたのもとに戻ってきてあげたわよと言わんばかりの態度で。
こいつ、やっぱり頭がおかしいなと再確認したが、とにもかくにも落ち込んだ。
マユミの気持ちは相手の男にかなりかたむいていた。
向こうが一言「おいで」と口にすれば、さっさと荷物をまとめて出ていきそうな勢いだった。
僕もしっかりマユミの背中を押してサポートしてやろうと、『そのとき』を心待ちにしていたのだ。
それなのに妻子持ちかよ……。
こういう器用に遊ぶタイプの男、本気で地獄に落ちてくれないかな。

ともあれ期待が大きかっただけに、落胆も計り知れなかった。
今度こそ、本当に別れられると期待したのだ。
マユミの目を、別の男に向けさせる。
方向性としては間違っていなかった。
相手の男が独身だったら、作戦は間違いなく成功したはずだ。
次にこんなチャンスが到来するのは、いつになるだろう。
来週かもしれないし、来月かもしれないし、来年かもしれない。
もしかしたら、一生ないかもしれない。
いつ訪れるかわからない機会を待つ間、マユミのご機嫌をうかがい、ロボットに徹しないとならないのか。
そう考えると気が遠くなるし、すべてがいやになってきた。
なんか疲れた。
もうどうでもいいや。
あの女がいる限り成功どころかまともに活動できる気もしないし、いっそバンドもやめちゃおうかな。
マユミとかかわるようになって2年以上経って初めて、音楽を捨てるという選択肢が脳裏をよぎった。
(続く)

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