ヤバい女にタゲられて人生をめちゃくちゃにされそうになった結果、なぜか小説家になった話【第17話:ライブハウス凸未遂事件】

マユミと別れてすぐに解放感でいっぱいになったかというと、実はそうでもない。
それまで時間的にも行動も交友も極端に制限され、つねにマユミの顔色をうかがいながら生活していた。それなのに急に制限がなくなり、自由を持て余すような感覚に陥ったのだ。過度に抑圧される環境に慣れすぎてしまっていたらしい。自由を不自由に感じるようなあの奇妙な心境を体験できたのは、小説家としてある意味貴重だったかもしれない。
僕は熱い風呂に身体を沈めるように、久しぶりに手に入れた自由にゆっくり身体を慣らしていった。

マユミからは、別れた1か月後ぐらいだろうか、深夜バイト中に電話がかかってきた。応答するか迷ったが、無視したら次の動きが怖い。与り知らないところで暗躍されるのがもっとも危険なので、着信拒否はしていなかった。着信拒否、あるいは電話番号の変更をするのは住まいを引き払い、ぜったいに行方を追われる心配がないと確信できたタイミングと決めていた。お金がないのですぐに引っ越すことができなかった。
僕は電話に出た。
寂しい、よりを戻したい、という内容だったが、比較的精神的に安定しているような口ぶりだった。
それはできない。付き合っていたときのことを思い返してみてほしい。いまは良いときの記憶ばかりよみがえっているのかもしれないけど、けっしてそうではなかった。僕らはお互いを傷つけ合っていて、あのままいったらどちらかがどちらかを殺す結果になったかもしれなかった。明るい未来はなかった。
冷静に諭すと納得してくれたようだった。
この後もマユミからは、男と別れたタイミングでときどき電話がかかってきた。
2年半も耐えた男が珍しかったのか、勝手に理解者認定されていたふしがある。
好きで2年半も我慢したわけではないのだが。
ともあれ感情的になって変に刺激することがないよう、対応には毎回細心の注意を払った。

それからさらに数か月後のことだった。
僕がバイトしているコンビニに、ギタリストのIくんが遊びに来た。僕のバンドの最後のギタリストで、たまに終電の時間が過ぎた深夜にバイクで遊びに来てはダベっていた。暇なら手伝ってくれよと、納品作業を手伝わせたりもしていた。
いつもはたわいのない話をして帰っていくのだが、その日のIくんは、僕に相談があるようだった。

Iくんは僕のバンドの活動休止後、新たに自分がリーダーとしてバンドを組み、活動を開始していた。ところが自分のバンド主催のイベントを組もうとライブハウスの日程を押さえたものの、バンドから自分以外のメンバーが全員脱退してしまったらしい。
そんなことあるの??
と思われる方もいるかもしれないが、似たような話はたまに聞く。いつだったか、ふらっと入ったライブハウスで演奏していたバンドがベースボーカルとドラムの2ピースという特殊な編成で、前衛的だなーと思いながら観ていたら、ベースボーカルがMCで「今日、ギターのやつがバックれまして……」みたいな恨み節をぶちかまし始めて度肝を抜かれたこともあった。そういう界隈なのだ。
ライブハウスを仮押さえの段階ならまだしも、本決まりにしてしまったのでキャンセルにもお金がかかる。Iくんの相談とは、一日だけ僕のバンドを再結成してイベントを打って欲しいというものだった。
そういうことならお安い御用だ。別にメンバーのことが嫌いでバンドを活動休止にしたわけではない。ほかのメンバーも快諾してくれ、仲の良かったバンドたちを対バンに誘って、およそ一年ぶり、一日だけの再結成ライブが決まった。

何度かリハーサルを重ね、本番当日。
僕はライブハウスに向かう前に、友人のマンションを訪ねた。服が好きな友人が、ステージ衣装をコーディネートしてくれることになっていた。
衣装合わせをしているとき、携帯電話にショートメッセージが届いた。
マユミからだった。

『今日のライブ、行こうか迷っています』

目を疑った。
迷う意味がわからない。
そもそもまだ僕の動向をチェックしていたとは。
そのうち活動再開するかもしれないと、ずっと目を光らせていたのだろうか。
かりに活動再開するにしても、ぜったいにマユミにかかわらせるつもりはないが。
僕は即座に『来ないでください』と返信した。
ステージで演奏していると、客席の様子は意外によく見える。こちらを見つめる観衆にマユミの顔が交ざっているのを想像しただけで、げんなりした。自分たちの出番前後ではホールやロビーをうろちょろすることもあるだろうし、マユミに出くわさないとも限らない。というかキャパ200程度の箱なら、確実に顔を合わせると考えたほうがいい。
直後こそ自由への戸惑いがあったものの、すでにマユミと別れて半年が経ち、僕は本来の自分を取り戻していた。二度とあの女とかかわりたくないし、顔も見たくない。とても健全な感覚だ。

するとマユミからふたたびメッセージが届いた。

『それは出禁ということですか?』

出禁かあ……と、その言葉のチョイスにせつなくなった。
マユミに促されて、熱心に応援してくれたファンに出禁を通達したことがあった。料金さえ払えば出入りできる空間を出入り禁止にするという発想すらなかった僕に、その言葉を最初に用いて出禁を示唆したのは、そういえばマユミだった。
完全に操られていたんだなあと、あらためて痛感した。
むろん、操られていたからといって、僕の罪は消えない。熱心なファンを傷つけたのはマユミではなく、僕自身だ。きっとショックだっただろうし、僕を恨んでいるだろう。

人間は世間や他人を鏡にして、自分を映しながら生きているというのが、僕の持論だ。
どうしても気になる他人の欠点は、自分のコンプレックスや後ろめたさを投影したものであることが多い。
嘘つきはつねに相手の嘘を疑い、浮気性の人間はパートナーの貞操を信じられず、守銭奴は誰もが金目当ての打算で行動していると考える。逆に正直な人は相手も正直だと思ってしまうから、なかなか他人を疑うことができず、詐欺師に騙されやすい。
実力のない人間ほど地位や肩書きや人脈を誇示したがり、自信のない人間ほど他人を屈服させて威張ろうとする。
そして気に入らない人間を出禁にして閉め出そうとする人間は、自らが出禁にされるのを恐れる。
おそらくマユミは、自分がもっとも恐れる仕打ちを、気に入らないファンにしていたのだ。
だったら、こうしてやろう。
僕はメッセージを送った。

『そう捉えていただいてかまいません。あなたは出入り禁止です』

しばらくすると、マユミから今度は電話がかかってきた。

「どうしてそんなことを言うの! なんで!」

音声が割れるほどの音量で、すでに半狂乱のような状態だった。相当効いている。予想通り、自分が出禁にされるのは、マユミにとってこの上ない屈辱だったようだ。
以前の僕なら怯んだろうが、すでに別れて半年以上が経過している。彼女のご機嫌うかがいしなければならない理由は、一つもなかった。

「なんでじゃねえだろ! 当たり前だろうが! おまえ、おれになにをしてきたかわかってるのか! おまえのためにどんだけ人生の無駄遣いしたと思ってるんだ! 二度と顔も見たくないんだよ! 来んな!」

やっと言いたいことを言えた。
僕はもともと、そこまで気の弱い人間というわけでもない。リア友ならご存じの通り、どちらかというとはっきり自己主張するタイプだ。コンビニの夜勤中には、クレーマー客とカウンターを挟んで怒鳴り合ったこともある。
それからは罵詈雑言の応酬になった。以前と違うのは、僕に遠慮がなくなった点だ。
マユミは会場に乗り込んでライブをむちゃくちゃにしてやると言い出したが、そんなことをしたら警察呼ぶからな、警察に突き出してやるからなと告げて電話を切った。
ライブに乗り込むと言っていたが、マユミは狡猾な上に実は気の小さい人間だ。周囲から見て明らかに自分が悪者に映る行動をとらないしとれない。たぶん来ない。
ほどなく、見知らぬ番号から電話がかかってきた。
誰だ。タイミング的に、さっきのマユミとの電話が関係していそうだが。
通話ボタンを押して電話を耳にあてると、聞こえてきたのは男の声だった。

「もしもし、佐藤さんですか」

「そうですが……あなたは?」

「マユミと付き合っている者です」

驚いた。
マユミの現在の恋人が、どうして僕に……?
っていうか、マユミも恋人がいるっていうのに連絡してくるなよ。

「タバコを買いに出かけて戻ってきたら、マユミがこんな状態になっていて……いったいなにがあったんですか」

こんな状態というのは、泣いていたということだろう。それにしてもマユミのやつ、恋人がタバコを買いに出かけた隙を見て、僕に電話していたのか。

「どうもこうもありません。彼女が僕のバンドのライブに来たいというので、断っただけです」

「そうですか」

声に疑念が滲んでいた。
ピンと来た。
たぶん、僕について事実と異なる伝え方をしている。僕のほうが未練たらたらで、マユミにしつこくつきまとっているとでも話しているのだろう。例のごとくギャンブル、借金、暴力設定を吹き込まれているだろうし、さっきもマユミが電話したのではなく、僕のほうから電話したことにされている可能性もある。

「マユミがどう言っているのか知りませんが、僕のほうはまったく未練はありません。二度とかかわりたくないと思っています。僕のことは気にしないでください」

毅然とした口調を意識した。

「わかりました。でしたらこちらはこちらで、大切にさせていただきます」

予想通り、その日のライブにマユミは姿を見せなかった。
そして電話をかけてきた新彼氏は二週間後に逃げ出したらしく、マユミから電話がかかってきた。
あれほどの怒鳴り合いの後でよくもまあ僕に連絡できるものだと驚かされるが、マユミは自分のしたことをなかったことにして都合よく歴史修正する天才だ。
それにしてもあの男、もうちょっと粘れよ。「こちらはこちらで、大切にさせていただきます」なんて、大見得切ってかっこつけたんだからさあ。
と思いながら、ふたたびマユミを諭す羽目になった。
だが、ケツをまくるなら早いに越したことはない。彼のその後の人生のためにも、その判断は正しかった。

ライブも無事終了し、すべての問題が片付いた。
僕はこの後、本格的な投稿生活に突入する。

……のだが!!!
(続く)

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