ヤバい女にタゲられて人生をめちゃくちゃにされそうになった結果、なぜか小説家になった話【第12話:ふたたび悪魔と暮らし始める】

アパートに居候することになったマユミに、僕は条件を出した。
家に金を入れてくれる必要はない。その代わり、ちゃんと働いてお金を貯め、引っ越し費用が出来たらすぐに出ていくこと。
当時の東京の城南エリアでのワンルームアパートは、7万円ぐらいが賃料の相場だった。もっと安い部屋もあるにはあるが(僕のアパートは家賃5万8,000円)、女性の一人暮らしであまり安すぎるのもよくない。7万円が現実的なところだろう。
敷金礼金仲介手数料に前家賃を加え、初期費用は家賃の6か月分が必要になる。ということは、7万円×6か月で42万円。派遣社員の手取りがどれぐらいになるのか知らないが、月給20万円と仮定しても、3、4か月もあれば引っ越し費用が貯まる計算だ。敷金礼金なしの物件であれば、もっと早い。レオパレスなど家具付きの物件もある。東京にこだわらなければ安い物件などいくらでもあるから、本気で頑張れば1、2か月での自立も可能だろう。
とにかく居候は緊急避難的な措置に過ぎないのだから、できる限り早く出ていけるよう、努力して欲しいと伝えた。

マユミも僕の出した条件を呑んだ。
それなのに、実際にマユミが僕のアパートを出ていったのは、1年以上後だった。
約束を反故にされたのだ。
うちに来てからほどなく、マユミは仕事を休みがちになった。
コンビニの夜勤バイトを終えた僕が帰宅する時間には、すでにマユミは出勤しており、顔を合わせないはずだった。彼女が昼の仕事、僕が夜の仕事で、普通に過ごせばほとんど顔を合わせる機会がないというのも、僕が彼女の居候を許可した理由の一つだった。
ところがいるのだ、夜勤を終えて帰宅すると、いないはずの女が、そこに。
毎日、帰宅して扉を開けるのが怖くなった。
仕事を休んでいるといっても、ただサボっているのではなく、体調不良で休んでいるという設定だ。発熱とか下痢とかの具体的な症状があるわけではなく、マユミが訴えるのはなんとなく身体が重くて動けないという、いわゆる不定愁訴だった。体調が悪いものを無理に仕事に行けと強制もできないし、内科を受診したところで、お医者さんの手を煩わせるだけだろう。

そのころにはマユミが体調不良を訴えても、真に受けるようなことはなくなっていた。ただもちろん、それを顔に出したりはしない。疑っているのが伝わると、ムキになってアピールがよりエスカレートするおそれがある。
アピールがエスカレートするというのも普通の感覚ではかなりおかしいが、パーソナリティ障害の人間はそうなのだ。嘘を指摘されるのを異常なほど嫌うし、なにがあっても嘘を嘘と認めることはない。屁理屈をこねて正当化したり、それができないと話題を逸らし、スタート地点とはまったく異なるところに議論を着地させてしまったりもする。たびたび自死をほのかめすのは相手の気を引くためし行動以外に、本来の議論から話題を逸らそうとしている場合もある。そうやって相手が疲れて匙を投げたタイミングを見計らい、自分の要求を押し通そうとする。
SNSなどでも謝ったら死ぬ病の人をたまに見かけるが、そういう人はパーソナリティ障害の傾向が強いと思う。
パーソナリティ障害者の恐ろしいほどのプライドの高さは、潜在的な自己肯定感の低さに由来していると、僕は考えている。自信がないので嘘で自分を飾り、実像より大きく見せようとするのだ。ゆえにパーソナリティ障害者は、権威や肩書きをありがたがる。マユミも前職の有名ゲームメーカーの仕事でかかわったという有名若手俳優や売れっ子アイドルの名前をよく挙げ、いかにも友人のように語っていたが、実際には連絡先すら知らなかっただろう。本当に一緒に仕事をしたのかすら怪しい。

少し話が逸れてしまった。
体調不良が仮病なのはわかっていたものの、最初のうちは、たまに仕事を休むぐらいならいいかと、重く受け止めてはいなかった。マユミの精神状態は比較的安定しているように見えたし、謝罪メールで深い反省を示してくれた通り、変わろうと努力してくれているのだろうと思っていた。だとしても人間そんなに簡単に変われるわけではないので、ときどき疲れて休みたくなるのかもしれない。それぐらいなら誰にだってある。休む理由はどうあれ、大事なのは休みながらでも仕事を続けることだ。
しかしマユミが仕事を休む頻度はみるみる高くなり、しまいには半分以上病休という週も出てきた。休む際には職場に連絡を入れていたようだが、きっと同僚にもあきれられていたと思う。そうなるとマユミとしても職場の居心地が悪くなり、会社に足が向かなくなる。悪循環だった。
「このままだと、仕事をクビになっちゃうよ……」
具合が悪そうな演技をしながらマユミが漏らす泣き言に、こっちが泣きたい気分だった。わかっているなら頼むから仕事に行ってくれよと、心の中で地団駄を踏むような心境になったのをよく覚えている。「お願いだから仕事に行ってくれ」と頼んだこともあったし、タクシーを呼んで職場までの料金を支払ったこともある。とにかく辞めてほしくなかった。収入の手段を確保することは、自立のための最低条件だ。なんとしても続けさせたかった。
しかし僕の願いも虚しく、本来ならアパートを出ていってくれているはずの3か月後には、マユミは無職に戻っていた。

この謎の体調不良アピールは、仕事を休むとき以外にもたびたび炸裂していた。
印象的なのが、神奈川に住む幼馴染みに会いに行こうとしたときのことだ。
一人で会いに行きたかったのに、マユミも一緒についてくることになった。というか、当時はどこに行くにも誰に会うにもマユミを伴っていた。仲睦まじいと受け取った人もいたかもしれないが(というか、ほとんどそう思っていただろう)、実際にはまったく逆だった。監視されていただけだ。
僕一人で出かけると、疑心暗鬼になったマユミが鬼電を寄越してくる。電話に気づかないふりをして遅く帰ると、本物の鬼と化したマユミが待っていて、恐ろしい修羅場になる。マユミは自分の目の届かないところで僕が動き回るのを極端に嫌がった。僕が誰かに救いを求めるのを恐れていたのだろう。だったらマユミの目の届く場所にいればいい。そういう理由で、どこにでも同行するしかなくなった。
ただマユミを同行したところで、会いたい人とゆっくり話をできるわけではなかった。そもそもが自分が話題の中心にいないと気が済まない人なので、話したいことが話せない。途中で不機嫌になったり、体調不良アピールをされたりして、話を早々に切り上げて帰らなければならないことも多かった。
その神奈川の幼馴染みには、会うことすらできなかった。
待ち合わせ場所に向かう途上、乗り換え駅のホームでマユミが突然しゃがみ込み、具合が悪いと言い出したのだ。ただでさえ約束の時間に遅れそうなのにいい加減にしてくれとうんざりしたが、一人で帰らせるわけにもいかない。一人で帰ってくれないかなとひそかに願いはしたが、当然叶うわけがなかった。しかたなくその場で幼馴染みに電話して、予定をキャンセルした。

あの一連の出来事について、つい最近、答えが見つかった気がする。
幼馴染みとはいまでも交友が続いていて、今月も会って食事した。そのとき、作家にもあの女みたいなのがいてさ、という話の流れから、マユミの話題になった。
「あいつ、おれが暴力を振るっていてギャンブルで借金を重ねているって、いろんな友達に相談してたらしいんだよ。そっちにも連絡いかなかった?」
そういえば幼馴染みには確認したことがなかった。あまりにも当然に付き合いを続けてくれていたので、確認する必要もなかったのだ。
たしかその幼馴染みとマユミは、一度だけ会ったことがある。そのときは普通に楽しそうに会話していた。約束をキャンセルすることになったのは、その後のアポイントだった。
幼馴染みはこう答えた。
「そういえば、そんなこともあった気がするな。すぐに嘘だってわかったから相手にもしなかったけど」
そのときは、幼馴染みにたいしてただありがたいと思っただけだった。
だが後になって考えると、マユミがその幼馴染みに会いたくない理由が浮かび上がってきた。
そりゃ会えないわ。
虚偽の相談を持ちかけて、歯牙にもかけられなかった相手なのだ。
もし三人で会ったら、話に食い違いが出てくる。だからといって、そんな理由で幼馴染みと会うなと言えるはずもない。だからいったん同行するふりをして、途中で体調不良を口実に引き返した。
そう考えると筋が通る。
僕が幼馴染みに会いに行くと言い出したとき、マユミはさぞ焦っただろう。
あれはけっして『謎の』体調不良ではなかった。
ということはそれ以外の体調不良にも、なにかマユミにとって不都合な背景が隠されていたと考えるべきだろう。

また話が逸れてしまった。今回は話が整理できてなくて申し訳ない。
ともかくマユミは無職になり、元の木阿弥になってしまった。
いや、むしろ以前より状況は悪化したといえる。
なにしろいまマユミがいるのは、僕のアパートだ。もうマユミの実家に引き取ってもらうのは期待できないし、僕にはこれ以上の逃げ場がない。強引に追い出したとしても、マユミが以前に住んでいたワンルームアパートは解約されていて行くあてがないため、すぐに戻ってくるだろう。

働く気のないマユミに引っ越し費用を作らせ、新居を見つけて引っ越しさせる。

とてつもなくハードルの高い、異常な難易度の死にゲーのようなミッションを課せられてしまった。
そして最初こそしおらしく振る舞っていたマユミは、時間が経つうちに本性を露わにし始めた。
切る(手首)、呑む(薬)、握る(包丁)の3点セットで、ふたたび僕を支配しようとし始めたのだ。
あなたが握ってるの、僕の包丁なんですけど……という真っ当な指摘は聞き入れられるはずもなく、包丁を振り上げるマユミの腕をつかんで包丁を奪い取り、という安い昼メロのような修羅場を日常的に繰り広げる、刺激的な毎日の再来だ。

本当に安い昼メロだった。
マユミと包丁を奪い合って死を身近に感じながら、いつも自分を見つめるもう一人の冷めた自分がいた。
こんなこと、現実に起こるんだ。
てっきりドラマの中の出来事だとばかり思っていた。
――ってことは昼メロって悪趣味を煮詰めたデフォルメの極致みたいに捉えていたけど、実はリアルだったの?

もしかしたら、制作の関係者にタゲられた当事者がいたのかもしれない。
(続く)

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