雨の理由 #描写遊び
窓を開けてると風の温度が変わる時がある。水辺にいるような涼しい空気が流れてくる。同時にむわっと蒸されるような空気が流れてくる。
雨が降るぞ。
東南アジア生活が長くなってくると風と空気の温度変化で「雨が降る」がわかるようになる。肌が空気と会話できるようになる。空気を構成してる酸素と水素のメッセージを肌が受け取るような、そんな感覚。
私は開けていた窓を半分ほど閉める。東南アジアの雨は容赦ない。窓を開けっぱなしにしておくと室内に池が発生するような雨が降り込む時がある。
部屋の中に池を作るわけにはいかない。でも涼しい風も欲しい。私はギリギリを攻めたポイントで窓を半分ほど閉める。空気と会話した後は、雨との会話を試みる。まだ降っていない雨との会話。
東南アジアの雨は激しい。最初はポツポツと降り始めるのだけど気がつくと手が届く先も見えないほど激しく降る。そして風も容赦ない。大きな雨粒と激しい風が同時に来られる様は食べても食べても終わらない東南アジアの宴のようだ。
現在外国で厳しいロックダウンの真っ只中の私は雨が降ると少しだけほっとする。雨が外出しない「理由」を届けてくれるからだ。なぜ外出できないの。なぜ出かけてはいけないの。そんな気持ちを雨は「でも雨が降ってるから」と出かけることができない理由を与えてくれる。
ちなみに東南アジアの雨は日本のゲリラ豪雨並みだけど、基本1時間程度で止む。だから傘を持たない人も多い。そして1時間以内に止まなくても別に気にしない。自然と会話し、自然に身を任せる。まだ任せ切ることができない私はすぐ先が見えないほどに白く、激しく降り続く雨を見ながら想う。
雨が止んだら、全部流れてくれてたらいいのに。