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日本でシッターさんを普及させるには大漁旗を部屋に飾るといいと思う。
お昼前後、あっちこっち動いていた最中、こんなnoteを読みました。
この母さんの気持ち、わかるわあ。そして「シッターは掃除を含めた環境整備が仕事なのに、その仕事にお金払ってるのに、なんで事前に自分で掃除するの?」というtweetもあって、そっちもすごく納得。
このnoteのような感覚が全くなくて、それはやっぱりフィリピンで4年&マレーシア3年目で「家事や育児は誰かに助けてもらうのが当たり前」って感覚がよくも悪くも身についたから、なのかなぁ。
— Suni Kang@YOYO🇲🇾マレーシア在住 (@suni) September 26, 2019
それか日本人は外ヅラ気にしすぎ?
どっちの気持ちも超わかる。
両方納得できるんだから、いい解説策を見つけられないか?と考えてたんです。そこで考えたのが
「シッターさんが来る日は大漁旗を部屋に飾る!」
????って思うでしょ。まあ話聞いてくださいよ。
1:そもそもなぜシッターさんが来るのに自分で掃除してしまうのか
「いい母親に思われたいという潜在的意識」とこのnoteを書いた方はコメントしておられましたが、そこにもう1点大事な点があると思うんです。それは
「このシッターさんは絶対に誰かに「仕事で行った家が汚くてねえ」って言うはず!そんなの嫌!耐えられない!」
つまり、「人は必ず自分の噂をする」という強い思い込み。ここだと思うんですよね。それは自分が(私を含めて)「ねえねえこの前ね。。。」と人を話題にして、その行為が「自分がするのはいいけど、自分がされたらほんと嫌」って思っているから。だから、自分が話題にならないように掃除をする。だと思うんですよ。
2:日本語思考は「言葉と行為とその人自身」が密接すぎる
特に、日本語思考だと「発せられた言葉と行為、そしてその人自身を親密に思考しすぎる傾向が強い」と思います。ぶっちゃけ、埃では死にません。家が散らかってても怪我はするかもしれないけどでも死ぬことはないと思うんです。その時家が散らかってるのは色々な事情故。別にその人が一生片付けられない人でもない。いや、別に部屋の中で片付けられなくても、別にいいわけですよ。
でも、でも「その時家が片付いていない」ということで「あの人は母親失格!いや、人間失格!」って思われないか、思われたらどうしよう、いや、自分の中で「今日片付けてない私は人間失格」って自分を責めてないかって思うんですよ。
じゃあこの負のループを断ち切るにはどうしたらいいか。
3:マイノリティになれないのなら他をぶっ飛ばす「強烈な話題」を設置すべし
他の人の考えなんて気にしなきゃいいじゃない!って気持ちを切り替えられた人が言うでしょう。そう考える人は元々家が散らかっていることを自分のせいにしません。でも、そんな風に思考転換なんてできない。。
じゃあね。そういう思考をぶっ飛ばすくらいの「強烈な話題」を部屋に用意するといいと思うんですよ。自分という人格、印象が全てそこに集約されるもの。どこにでもあるのものでは困ります。でも、あまりに強烈すぎるのも困る。もちろん犯罪に近いのとか絶対だめ。そこで考えたのが
「大漁旗」!!!!!
なんで?って思うでしょ。そのなんで?が重要なんですよ。部屋に来た時、シッターさんはきっと大漁旗のことしか記憶に残りません。部屋がどんなだったとか話題にする際、大漁旗の話しかしないでしょう。それがあなたが望んだことですよね。自分の部屋がどうだとか、母親としてどうだとかそういう話題一切なし。大漁旗、いいですよ。カラフルだから赤ちゃん喜ぶし。おめでたいものだし、犯罪の匂いもしない。お休みの日に漁港に行って購入して、そこで美味しいお魚を楽しむのもいいですよね。関東だと三崎港とかに実店舗があるようです。
「マイノリティアイデンティティ」を自ら構築できないのなら、その時だけ出してきちゃえばいいんですよ。大漁旗はおめでたい。しかもそこまで高額でもない。旗だから使わないときは小さくたたんでしまっておける。
そしてお子さんが大きくなって、結婚式で「この旗は家族を応援してきてくれたのよ。。」って親から贈呈したらもう感動ですよ。最高じゃないですか。
日本でシッターさんの普及には大漁旗を部屋に飾るといいと思います。ぜひご検討ください。