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ペッパーミルの使いどきは実はとっても難しいのだよ。って話。


臨機応変に出来ないのならそこから出ないのもありかもです。


サッカー派で好きなプロ野球は大洋ホエルズの私ですが、まだWBCの話題を書きます。

これを日本の政治家が言ってると聞いてマジで脱力しました。この思想マジで危険です。これは私が昨日から書いてる「日本の年功序列(体育会)思想」のまま世界に行くと地雷踏むをそのまま表してると思うからです。


ペッパーミルパフォーマンスについて振り返りし直してみます。(私も知らなかったんで)

ペッパーミルパフォーマンスの意味・由来
侍ジャパンのチーム内で定着した「ペッパーミルパフォーマンス」は、「小さなことからコツコツと継続して進んでいけば、良いことが起きる」という意味が込められている。

引用:【動画】ペッパーミルパフォーマンスの意味・由来は?ヌートバーWITH侍ジャパンで大流行のセレブレーション

ペッパーミルパフォーマンスは「打者自身がヒットやホームランを打つとペッパーミルで胡椒を挽くようなポーズをする。」ここに「打者自身がヒットやホームランを打つ」と明確に定義されています。ここには「失策の際は行わない」という意味も含まれていると思われます。

なので、高校球児が遊失(ショートのエラー)で出塁した際にパフォーマンスしたらこれはアウトです。相手への侮辱と捉えられる可能性があります。なのでここで審判が注意したのは私は良い指導だと思います。


なので政治家の玉木議員をはじめ「楽しいからいいんじゃないの」というのは「楽しければ相手を侮辱してもいい」という思考につながるのでは???と脱力のち、強い恐怖感を感じたのです。

セクハラ、パワハラ、文化の盗用、LGBTQの差別に関して日本国内で「楽しければいいんじゃないの」「悪気がなければいいんじゃないの」「ルールとして書いてなければいいんじゃないの」という考えを主張する方を一定数見かけますがこの状態で日本語思考外の世界に出るとマジで地雷踏みます。それは相手への背景を知ろうという感情が皆無だからです。


ルールが明確じゃないじゃん。そんな事言ったら何も話せないし何もできないじゃん。という意見もあります。だから相手を観察し、相手の背景を知ろうとし、相手の意向を読み取る必要があるんです。

これ、意識しないとすごく難しいと思います。今回のWBCやサッカーW杯でもそうですが体育会気質や上下関係気質がなくなった!とても良い!っていう意見は多い。それはとてもいいと思います。でも同時にそれは「上下関係という明確で単純なルールがなくなったので、「新しい関係を個対個で築き上げなければならない」。この新しい関係をどう築くかは本当に個の観察力と所作にかかってる。つまり強い観察眼とその観察から生まれた所作を臨機応変に出すことが必須になってくる。これマジで大変ですよ。

本当にオオタニさんはすごいですよ。オオタニさんの可愛さを目指すべきですよ。


日本語思考が強い人の場合はこの「新しい関係を築くための自分の観察力と所作を根本的に見直す」ことが怖い、というかめんどくさいし自分の今までを根本から否定されるからやりたくない。というのが本音なのでは?って感じます。


新しい思考、生き方を批評するのは大歓迎なんです。ただそこに必要なのは自分を、相手を観察し、自分の今までの考え方を根本的に見直し、そして討論し直すこと。これが必須なんですよね。これをしないで自分の世界の今までのルールだけで「別にいいじゃん」って言ってるとマジで己が滅びるきっかけになりかねない。


書いてて思ったのですが、これっ国外に限った話じゃないですね。同じ日本国内でも世代、環境、生き方によって全然違う。テクノロジーもそう。相手を知ろうとせずに自分の世界の中で判断して「これでいいじゃん」で済ます訳にはいかない時代に突入したことを自覚すべきなんです。もし「自分を、相手を観察し、自分の今までの考え方を根本的に見直した上で行動すること」がめんどくさい、傷つくのが嫌と思うのなら接触する機会を減らすしかない。ペッパーミルの使いどき1つでここまで思考が深まるのだからすごい時代だ。


では、Chat GTP Plusに課金してきます。