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共感してほしくないならどうしてほしかった?と問いかけてみて見えてきたものー共感OFF会に参加してみたー

東京都現代美術館「あ、共感とかじゃなくて。」のゆるゆるイベント共感OFF会に参加してみました。



この展覧会。わからんことでも良きなのよ、が快感で何回も鑑賞させて頂いています。

今回はその「わからんこと」について、人の言葉で対話できるのか、面白い予感しかない!ということで、興味津々で参加しました。


突然ですが、私、共感っ言葉めっちゃ日本的だと思うんですよ。ちなみに、「共感」をウキペディアで調べてみると、かなり深い。

ここで共感の定義ってすごく揺れてるんですよね。ちょっとピックアップするだけでもこれだけ矛盾してる。

「人は魅力的や自らと類似点のある人々に共感を感じるが、数字や統計には敏感ではない」

「共感されることは自分の存在の承認欲求を満たし、精神的な援助となるが、強い共感を持つ人は、うつ病や不安症などの疾患に悩む傾向がある」

「被災者や高齢者の心のケアを行う対話スキルとして共感は研修で学ぶ機会が増加傾向にあるが、カウンセリングの共感はクライアントの苦しみを追体験し理解することを指すが、完全に理解することは難しい」

共感ってマジ難しい。そして共感という言葉をあえて掘り下げれば掘り下げるほど、とても日本語的だなと感じます。なぜか「共感が日本的か」と思うのかというと、共感って言葉に主語がつきにくいから。日本語の言葉で

「あ、共感するーわかるー!」

ってめっちゃ言うけど「私、わかる!」って言う人は少ない気がするんです。この主語があるかどうかってこと。結構重要。

ちなみに今回の展覧会の英語のタイトルだとこちら。

How I feel is not your problem, period.

意味はこんな感じでしょうか。
:私がどう感じるか、あなたには関係ないでしょ(これ以上言わせんなよ、失せろ)。


ちなみにPeriodは文の終わりに付けるあの記号。Period!ということで、それ以降付け足すものはない、文句は言わせない!という意味を出すことができるそうです。

英語での「I」がある、日本語ではない。っていうことで自分がどう思うか、っていうことをどう出すかってすごく日本語ではあいまいなんだなー。って思ったんですよね。

今回の会話は予想以上にとても面白かった。哲学対話形式だったのですごくゆるゆるのんびり進みました。
哲学対話っていうのはこんな感じ。

ちなみにここで出てくる「コミュニティボール」はこんな感じで作るそうです。

この展覧会関係の哲学対話は以前も行われていたみたい。

これってこの展覧会以降も続けてみても良きなのではないかしら。。



とっても緩やかに進むのが気持ちよかったなー。そうそう、私、この会に参加するとしたら1つ聞こうと思っていたことがあったんです。

安易に共感されるのが嫌だ
共感って軽い感じがする
自分はそんな簡単に共感しない


的な話をする方が数名おられたのですが、私、そういう発言をする方に前から聞いてみたいことがあったのです。それは

「共感が嫌だった、と言うことはでは、どうしてほしかったのでしょう?
スルー?否定しない相槌?それとも?」

と問いかけてみたんです。そうしたら会場の皆様最初、凝固しちゃいましてね。ボールをどこに投げようか、一瞬こちらも固まってしまいました。お隣の人に投げちゃったけど。

これってすごく聞きたかったんですよ。だってここで「自分は相手にこうして欲しかった」と言語化するってすごく自己的な表明じゃないですか。今回はとても抽象的なお返事がなお返事が多くて、それもすごく日本語的で面白かったです。そうなんですよ、「自分がこうして欲しかった」って日本語ですごく言いにくい。特に大人なら尚更。


今回はタイトルについての話からだったのでタイトルについての考え方も各自それぞれで面白かったのです。私が一番面白かったのは「正解を探したい(正解があるに違いない)」という要求があるということ。
正解を探さない方法、っていくつかあると思うのですが、私はこんな感じでしょうかと想像しています。

1:正解を探すことをまず止めてみる。
2:正解を探したいのならまず自分の中の正解を定義化する。
3:2が出来ない場合、正解がないことを認める
4:2が出来た場合、2の正解は「自分が決めた正解」であることを認める


これってほんまに難しい。ちなみに私は正解を探すことを止めることはかなり出来るようになった気がします。それはイスラム圏に4年半ほど住んだ海外生活が大きく影響しています。だって。「(私はイスラム教なので)豚肉を食べるくらいなら死ぬ」と言い切る人と別の食べ物の話が盛り上がる体験するとね、正解なんてどこにもない、今、話をしてる世界のみで結論が出ればそれでよくね?って思えるようになるんです。正解、何それ美味しいの?と吹っ切れるようになりました。



この日の対話は自分の体験を話せたのも楽しかったし、色々な場所で色々な人の体験があって、そこで色々な意見があるのだなーと実感出来ました。すごく面白い体験でした。


哲学対話において「あなたの正解はなんですか」と答えを求めるのって違うのかもしれないけど、私はとても面白かったので、この度遭遇出来た方も面白!とだけ思ってくれたら嬉しいです。
あ、でもとりあえず現美に行ったら100本のスプーンのオムライスは食べるべき、ってのはぜひ覚えていてほしい。(私の記憶違いでハヤシライスだと思ってたらデミグラスソースのオムライスでした。すみません。でもほんまに美味しかったので本気でオススメです。)


ちなみにサムネはAIいらすとやに「分かり合えない男と女」でお願いしますと依頼したのですが、これは分かり合えませんね。。