中近世ドイツ傭兵「ランツクネヒト」の紹介
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ドイツ傭兵ランツクネヒトは、十五世紀終わり頃から十六世紀にかけ、神聖ローマ帝国を中心に存在しました。
中世とも近世ともつかない時代ですね。
まず当時の欧州の軍事的状況を紹介しましょう。
十四世紀始まり頃までは、重装騎兵という、騎兵としてはとても特殊な兵科が突撃をすることで戦争の勝ち負けが決まっていました。
農民に毛が生えたような歩兵を馬に乗って鎧でガチガチに固めた貴族サマが蹂躙する……。
それが中世の戦のイメージでした。
それがヤン・ジェシカなどの野戦築城によって歩兵でも破れる事が証明されていきます。
弓兵や最初期の銃兵、大砲、即席の陣地、ワゴンブルクと呼ばれる荷車を並べた障壁、地面に打たれた杭や溝、そんなもので重装騎士の突撃を封じることができたのです。
そしてバノックバーンの戦いにおけるシルトロン隊形、モルガルテンの戦いにおけるハルバードが重装騎士を打ち破ることができると判明すると、野戦築城すらいらないことが判明していきます。
つまり、長槍(パイク)を用いた歩兵による長槍密集方陣です。
太古のマケドニアやローマの戦術が蘇ったこの戦術は、騎兵の突撃を完全に防ぐことができました。
ウニかハリネズミのように長槍(パイク)を騎兵に向ければ、もう騎士は手が出せないのです。
そこに銃兵や弩兵や弓兵が加わり、大砲の支援までもが加わると、一気に騎兵中心の戦場が歩兵中心の戦場に変わったのです。
これが一つの軍事的パラダイムシフトです。
少数精鋭の騎士ではなく、大量運用が基本の歩兵が中心になるということは、ある程度の質の担保された兵が大量に必要となるということでした。
しかしまだ王様に絶対の権力が集中して富の寡占が起きるほど社会は中央集権化していません。
地方分権的な封建制から絶対王政に至る過渡期がこの時代です。
つまり、そんな大量の歩兵たちを常備軍として維持できる国、王など、どこにもいなかったのです。
ではいちいち徴兵によって農民を兵に変えるのが良いのでしょうか。
それも一つの手ではありますが、もっといい手があります。
常備軍でない職業軍人、傭兵にたくさん生まれてもらうことです。
つまりこの中世から近世への過渡期において、戦場の主役になったのは傭兵だったということなのです。
傭兵……この時代の傭兵は中世の傭兵たちとは異なります。
まず最初にこの時代の歩兵中心の傭兵として存在感を示し始めたのはスイス傭兵でした。
前述のモルガルテンの戦い以降、訓練された農兵中心の歩兵たちの活躍によってハプスブルク家から独立を勝ち取ったスイスは、その軍事技術=騎兵に勝てる歩兵を各地に輸出し始めます。
いわゆる血の輸出、出稼ぎ傭兵としてヨーロッパ各地でその強さが有名になっていきます。
城の番兵として、旅の護衛として、軍役につきたくない市民の代わりとして、そして何より戦場の主役として。
その伝統的に強力でブランド価値のあるスイス傭兵の模倣品として、ドイツ傭兵ランツクネヒトは誕生しました。
ドイツ王マクシミリアン一世の指導のもとで、です。
最初、ランツクネヒトはスイス傭兵を教師として模範としていました。
同じような長槍(パイク)陣形をとり、ともに戦列に立ち、あるときは商売仇同士として凄惨に戦い、スイス傭兵に擬えられることを喜んでいました。
しかしだんだんと枝分かれしていきます。
独自のランツクネヒトとしてのアイデンティティを獲得するようになるのですね。
ランツクネヒトたちが獲得した個性、それは、長槍(パイク)方陣に両手大剣(ツヴァイヘンダー)を混ぜ込んで長槍(パイク)同士の戦いを有利に進める独自戦術だけではありません。
その残虐性です。
彼らはスイス人にはない酒盛り文化を原動力として、平和な時期、町や村を占領している時期、雇われていない無職の時期、遠征の途中の野営地で、暇さえあれば酒を飲んで乱暴狼藉を働きました。
皇帝に送るワイン樽を強奪して勝手に宴会を始めるなんてことはザラ、火付け強盗は日常茶飯事です。
彼らのいるところ、婦女暴行、無用としか思えない過剰な虐殺、一切合切を持っていく略奪、仲間同士の喧嘩、なんでもありでした。
そもそも新しく入ってくる傭兵の一部は自分の意思で戦争に加わる一攫千金目当ての冒険野郎というよりは、そういった人為的な戦災によって焼け出された農民でした。
彼らの軍隊が通るところ、家々は戸を固く閉ざして過ぎ去るのを待つか、あるいは勇敢にも、強かにも、パンやワインを高値で売りつけようとするかでした。
まるで災害のようなランツクネヒトですが、経済にとって重要な一部であったことは確かです。
購買力を持つ集団が各地で溜め込まれた財を暴力的な手段を介してとはいえ各地に売り捌くことで経済が回り、武具や装備などの需要で工業も発達します。
集約された食料の需要で大プロジェクトを運用可能な大商人も生まれます。
略奪が基本の戦争経済というわけです。
ランツクネヒト関連の経済といえば、面白い存在がいます。
酒保商人です。
ランツクネヒトの遠征があるたびに彼らの後ろをついて回った商人の一段です。
この時代、軍隊それ自体が管理し、自営し自給自足できる補給システムを構築することは不可能でした。
だから、兵士たちは自分の手持ちのお金で自分の傭兵団をついて回る商人や、街道の農家から食料を買い付けるしかなかったのです。
憲兵などのシステムが生きている限り、そして雇い主の領地内である限り、そうそう掠奪はできないので、傭兵の兵士自身が自分のポケットマネーで糧食や装備を買うことが多かったのです。
酒保商人を乱暴に扱って物品を奪うこともできませんでした。
なぜなら、彼らの機嫌を損ねて遠征中にいなくなりでもされたら、それは途端に傭兵団全体の飢餓を意味するからです。
こうして、危うい暴力と金銭の間のバランスとはいえ、この補給システムは機能していました。
民間と協調して自活する軍隊というわけです。
そして兵士たちは略奪品や死んだ仲間の持ち物を酒保商人に売って経済が回るのです。
それでいいのかとは思いますが、そういうものでした。
この商人の一段は時に兵団の構成員の数にすら匹敵しました。
5000人の行列の後ろに5000人の商人の行列がくっついて周る様子を想像してみてください。
まさに壮観。
食料、武器、日用品を売る馬車や曳き車、すべてを担いで歩くしかない個人商人、そしてランツクネヒトの妻を気取る娼婦の一団。
料理人、仕立て屋、鍛冶屋、肉屋、牧畜番。
はたまた、彼らの管理する馬、豚、牛、鶏、酒を片手に歩く従軍神官、占い師、墓掘り人……。
とにかくたくさんの存在がランツクネヒトを追って長大な蛇のようにヨーロッパ各地を這い回りました。
それが、当時の傭兵を中心とした戦争経済の正体でした。
最後に、彼らランツクネヒトを語る上で外せない要素、独特な服装について話しておきましょう。
特徴的な色とりどりの服こそ彼らのアイデンティティでした。
皇帝すら、「あまりに危険な仕事の彼らの、最後の楽しみとして、あれくらい許してやっても良いではないか」と言ったとか。
そう、当時の服装は、誰も彼も勝手気ままな服は着てはいけなかったのです。
農民なら農民、市民なら市民、聖職者なら聖職者、貴族なら貴族……。
……と言った風に、厳格な規定によって服装の自由はありませんでした。
そんな中で傭兵ランツクネヒトたちは唯一、服装を自由にできました。
軍隊に制服を用意する金も文化も制度もなかったので、彼らは自由に着飾れました。
自分の金の許す限りは、でしたが、傭兵だけが服装自由だったというわけです。
ダボダボな袖、裂け目から見える下地、左右の手足で全部色が違ったり……。
そんな奇抜な服装も、彼らの自由な身分への挑戦だとすると、何だか愛おしく見えてきませんか?
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ではではここまでお読みくださりありがとうございました。