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やさしい易経入門(2)「坤為地(こんいち)」

本稿は『易経』特有の難解な漢字表現を、可能な限りやさしい漢字表現に置き換えて解説することで、学習の間口を広げることを目的としています。まず、「原文」と「書き下し文」を記載し、続けて「現代漢字表現」「現代語訳」と「解説」を加えています。

坤為地(こんいち)

【坤(コン/つち・ひつじさる】会意。「土+申」で、上に伸びないで逆に土の下に引っ込むこと。

『漢字源 改訂第五版』(Gakken)

原文
坤、元亨。利牝馬之貞。君子往攸有、先迷後得主利。西南得朋、東北喪朋。安貞吉。

書き下し文
坤は、元いに亨る。牝馬(ひんば)の貞に利ろし。君子往く攸(ところ)有るに、先んずれば迷い、後るれば主を得て利ろし。西南には朋を得、東北には朋を喪う。貞に安(やす)んずれば吉なり。

現代漢字表現
坤は、おおいに通る。牝馬の貞によろし。君子行く所(ところ)あるに、先んずれば迷い、後るれば主を得てよろし。西南には友(とも)を得、東北には友(とも)を失(うしな)う。貞に安んずれば吉なり。

現代語訳
夫人や臣下など、付き従うべき立場にあるものは、牝馬のように従順であることで、その志をまっとうできる。君子であるあなたに心に決めた目標がある場合、自分の判断をたのみに進むのであれば、(君子といえども)行くべき道を見失い、迷うことになる。先人に学ぼうとしていけば、よい主人や師匠の導きを得て、その目標を果たすことができる。また、志を同じくする仲間を得ることもあれば、仲間を失うこともあるだろう。ただ、どんなときであっても、天の意図だと思って落ち着いた態度でいれば、良い結果となろう。

解説
「坤」は、たゆまなく努力を積み重ねて進む「乾」と真逆で、ただひたすらに従順であれと説く卦です。その従順であり続けるさまを「牝馬(のようであれ)」というのです。ただ、従順であり続けるのは簡単ではありません。納得できないことや、疑問に思うことに直面することもあるでしょう。それでも、何事にも付き従う姿勢でのぞむことが、天の意図に導かれ、志をまっとうする道であるので、そうすべきであると説いています。

孔子は『論語』の中で「七十而従心所欲、不踰矩。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず。/七十になると、心のままに従っても、道をはずすことがなくなった」といっています。これは、孔子でさえもその境地に至るまでに七十年の歳月が必要だというわけですから、人は心のままに振る舞えば道を踏みはずすことを警告しているともいえます。ですので、ここでは、どんなに立派な徳を備えた人であっても、自己の経験や判断のみをたよりにするようでは道に迷う。よって、先人から学ぶことや、よい主人や師匠を得て指導を受けることが大事だといっているのです。

「西南得朋」や「東北喪朋」については諸説あり、そのまま「方位」として「西南に行けば友を得る」「東北に行けば友を失う」とする説もあれば、「従うことで友を得る」と「進むことで友を失う」とする説もあります。本稿では、続く「貞に安んずれば」を「天の意図(神意)に委ねる」とあわせて解釈することで「人間の価値基準(物事の得失)を超えること」をこの坤のテーマととらえ、逐語訳に固執せず「(友を得る)よいとき」「(友を失う)つらいとき」としました。

注釈
「朋」は、古代の財貨を形(かたど)ったさまをあらわす字ですが、対等の姿で肩を並べたともだちをあらわします。孔子の『論語』にも「有朋自遠方来、不亦楽乎。(友遠方より来たるあり、また楽しからずや。/友が遠方よりはるばるたずねてきた、なんと嬉しいことであるか。」との用例があります。財貨の意味に用いるときは『詩経』に「錫我百朋。(我に百朋をたまう」と数詞を伴います。

【朋(ホウ/とも・なかま)】象形。数個の貝をひもでつらぬいて二すじ並べたさまを描いたもの。同等のものが並んだ意えお含み、のち肩をならべたとものこと。

『漢字源 改訂第五版』(Gakken)

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「天の意図(神意)」は、易経の背後にある大きなテーマです。古代中国の文化の根底にある考え方でもあります。人類は、その起源より、人知を超える存在を認めるとともに、積極的にその意図をたずねてきました。数千年後の現代においても、どれだけ知を結集したとして、全知全能にはほど遠いのが現状です。易経が現代に至るまで支持されている理由は、そのようなところにあるのかもしれません。

初九以降は準備中です。

*原文の字句を解説で改めて用いる場合( )で読みがなを明記し、字句の対応がわかるようにしています。また、必要に応じて注釈を添えています。また、Web上で読みやすいよう原文のレイアウトを変更しています。

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