感情権威:感情を待つってどういうこと?

今日は、プロジェクターだけでなく
全タイプで
感情ありタイプについて
私が最近考えていることを
書いてみたいと思います。


最近、特に思うのです。
「待つ」って本当は
どういうことなのか?
単にとにかく待つ、とか
決めるのに時間をかける、
とかじゃないんだと思うんです。


ヒューマンデザインの
一番のかなめって
「頭が
身体の自動操縦を
邪魔しないようにする」
ということなんだと
思っています。


「身体(デザイン)が
自然と動く方へ、
動かしてあげる」


それをいわゆるNOT SELF
(本来の自動操縦でない)で
邪魔しようとするのが


Raveではない私たち

Home Sapiens in Transitus
(ホモサピエンスとレイブの架け橋)

の頭脳崇拝7チャクラデザイン&
地球上におけるサバイバルの
ためのデザインの名残りの
本能であり
神経回路であり
染みついたクセであり。


そう考えた時
「感情を待つ」って
本来何のために待つんでしょう?


それは
「感情
(または感情に
乗っ取られた頭脳)によって
身体の自動操縦を
邪魔しないようにするため」
なんだと思います。


なので
逆に身体が
自然と動いているのに
それを頭で
「私は感情タイプだから
待たないといけない」って
「教科書に書いてある通りに
しないとダメだ」って
頭脳でコントロール
しようとすれば
それはデザイン通りに
動いているのではなく
頭で身体の
自動操縦を邪魔している
ことに他ならないんだと
思うのです。


ヒューマンデザインの教科書は
Raさんという
マニフェスターであり
Raさん固有のデザイン
というフィルターを通って
形になったものです。


もし他の人を通って
形にされたら
またぜんぜん違った風に
表現される可能性も
大いに秘めています。


(現に、
私の最初のヒューマンデザインの先生
Raの直弟子のテレサさんは
現在教えられている
オーソリティ(権威)すら
疑っています!


本当は「身体」が
権威なんだから
黒じゃなくて、
赤を見ないと。


しかも
トーンを見ないと
いけないんじゃないか
と臨床実験をされています。)


Raさん自身も
「私の言うことは
信じないで。
自分の身体(デザイン)で
自分自身で実験して確かめて」
ということは
いつも折に触れて
話されていましたよね。


なので
教科書に書いてあることは
「決まり」ではなく
「実験のためのガイドライン」
に過ぎない。


そのことを忘れて
単に教科書に書いてあることをもとに
自分を決めつけるのは
ヒューマンデザインそもそもの
目的とだいぶかけ離れて
しまうんじゃないかって
思うのです。


だからある程度
自分の感情との
付き合い方に慣れて
感情に動かされているのではなく
「身体が
自動操縦で動いている」
っていう感覚が
分かるようになれば
「感情を待つ」
っていうことは
しなくてもいいんだって
思うんです。


例えばなんですけども
私が今年初めてある方の
サロンへお伺いした時
それを決めたのは
私の身体でした。


頭で考えるより先に
もう身体が
動いていたんです。
なのでただ
身体に従ったら
そのことが
多くの方と繋がる
大きなキッカケとなった。


私がやっている
シャーマニック占星術の
資格を取ると決めた時も
頭じゃなくて
タロットとか
ハイヤーセルフに
何度も聞いて
「やらないと
こんなお宝逃したら
もったいない!」
「やりなさい~!」って
言われ続けたので
実際のところ
「そこまで言うなら
分かったよー
やってみるよ!」と
しぶしぶやってみたことが
始まりだったのです(^^ゞ


その後
身体が健康になったから
「身体が動いてる

こっちでいいんだ」
で進み続けている状態。


頭で
決めなかった。


(ちなみに
ジェネレーターさん
マニジェネさんは
身体に「カードの結果に
反応させる」
のもおススメです♪)


「待つ」

「自動操縦が
分かるようになるための
実験方法」
なのだと思います。


「待つ」

「とりあえず
リトマス試験紙
入れて
自分の身体が
どんな反応するのか
観察してみ」
ってことなんだと
なのだと思います。


答えは
その先にある。


「待つ」ことが
答えじゃない。


最近は
「感情を待つ」
っていう感覚が
あんまり自分の中で
なくなってきたな~
って思って


「待つ」「待つ」
っていうことを
あちらこちらで
聞くうちに
なんだか
こんな風に
自分は今考えている
っていうことを
言葉にしてみました☺



何かヒントになれば幸いです♪

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