濡れた青色と灰色の間で遠くの空気を想像した朝
今日も朝早くに目が覚めてしまった。
ここのところ、23~24時には眠りにつくものの、夜中の3時か4時くらいには目が覚めて、朝方6時くらいに二度寝するという日々が続いている。暗い布団の中でFacebookを開くと必ず誰かは起きていて、どこかの暗く静まりかえった部屋でひとりもぞもぞと活動する姿を想像してしまう。
福岡は昨晩から春の嵐なのかやけに風が強く、今朝は雨が降っている。カーテンの隙間からみえる、少しずつ明けていく、濡れたような青色と灰色の間の空気が、映像を通してみるウクライナの街の空気の色に似ている気がした。
半年ほど前から、ラテンアメリカ文化センターというところで働き始めた。日々の仕事は、その名から受ける印象とは真逆なほど忙しく、思い描くラテン感はほぼほぼ無いといっても過言ではないけれど、そこのセンター長が少し前に作ったという、彼が若い時に経験した旅のビデオを見てこの人の下で働いていることは、素敵なことのように思った。https://youtu.be/7qy8m2OYi-0
旅の中で皮膚に触れた風や光は、揺るがない個としての問いを生むし、それは言葉を生む。そしてそれは押し寄せる嵐のようなプロパガンダへの唯一の抵抗の方法に思える。
そんなことを考えた朝。
写真は何の関係もない、いつかの旅の景色。阿蘇周辺。