My house
8月に引っ越しをした。
新しい家は、築70年ほど経っていると思われる木造の戸建てで、街のど真ん中まで自転車圏内にありながら、ここだけ時代の流れから取り残されたような佇まいだ。
家探しを始めて間もない頃、写真だけ見ていたときは、まずこの家に住むことはないだろうなと思っていたのに、内見からの帰り道には、私も夫もお互いが高揚しているのを感じた。
広い敷地は、90歳をこえた大家さんが母親から譲り受けたものらしく、この現代の”土地さえあればどんな隙間でもマンションが建つ時代” には不自然なほど4戸の家が妙に広々と建っている。
私たちが内見に来た時は夏の盛りで、これまた微妙な形の畑にスイカや野菜がなる横で柑橘類の木が乱立し、さらには住居の木壁にはぶどうが生っていた。大家さんご夫妻は、玄関に正座をして頭をたれて私たちを出迎え、伊太利亜のお菓子と一緒にお茶を出し、その出迎え方にどこか謙虚ながらも、誇りと、かくしゃくとした人柄を感じさせた。家の中は適度にリノベーションが済ませてあり、経年の味のある焦げ茶色の柱と白い壁はぴたりと相性が良く、またDIY好きな私たち夫婦にとっては、何でも取り付けていいという余白がこの上なく心地よかった。
入居して4ヶ月、季節が変わって行く中で、朝、カーテンを開けるときに庭の枝ぶりの良いざくろの木を見るようになった。生成り色だった大きな実はルビーのように赤く熟れて落ち、秋の訪れとともに黄色くなった葉っぱが風とともに舞い散るたびに、仕事をする手が止まり、しばし目を奪われた。大家さんが夏にわけてくれたぶどうからはカタツムリから出てきたし、敷地内に借りている私たち専用の小さな畑からは、今や大根の頭が元気に飛び出し、ネギが荒れ狂っている。お隣の同じ造りの家に住む同世代のご夫婦の部屋からは、いつもジャズのような、シャンソンのような、とてもセンスのいい音楽が聴こえ、夜に帰ったときの水銀灯のない玄関前は闇より暗く鍵穴を探すのに苦労する。
少し前に大家さんがこの家のことを教えてくれた。戦後ほとんど家のなかった時代には麻生家一族が住んでいたこと、実のお姉さんが芥川賞をとった小説家であったため文人界の交友があり、近所のお寺にちなんでこの界隈が「大圓寺文学横丁」などと呼ばれていたことなどなど。
正直、家自体は引っ越した割にまだ少し狭いし、容赦なく吹き付ける玄界灘からの海風はこの先の冬に恐怖を感じさせる。昼間に見る家の外観は、つぎはぎだらけで崩れかかり退廃的な様相で、せんたくものを干していると板塀に囲まれ、何時代にいるのかとタイムスリップ感は半端ない。
けれど、なぜかこの家に住む時間が、私たちの人生にあったこと。それがとても貴重なことのように思える。おそらく最後の住人となる私たちも、いずれ去った後にこの家で過ごした時間を思い出すだろうと思う。
この前ふと、誰もいない家でひとり、食卓の夫の席に座ってみた。そこからの景色は、この4ヶ月の間、夫とともに作ったり飾り付けたりしたモノたちがにぎやかにおしゃべりをしているようで、なかなかいい家になっていた。