買い物依存症の自助会に繋がるまで
はじめて、ちょっとおかしいかも?と思ったのは数年前。
友達に、わたしの当初お気に入りだったセレクトショップに付き合ってもらい、数点服を購入した。会計は3~4万円くらいだった。
試着して気に入ったし、一点物なので迷いはない。ただし金もない。
なのでいつも通り、クレカで6回払いにした。レジで横にいた友達が一瞬「えっ6回?」と小さく声を漏らした。
そのときはじめて悟った。6回払いは恥ずかしいらしい。店を出たとき、友達が「6回払いって・・・大丈夫?」と心配してきたので、わたしの買い方は何かおかしいのだと、やっとちょっとわかった。
5年日記をつけていて、5年目になる。(同じ月日の、5年分が見開きで見られてけっこうおもしろい。)
今月もまたクレカの請求額が給料を上回ったので、分割にした。それでもどうせまた生活費が足りなくなってくるので、たぶんまた来月も分割にする。それでも分割には限度があるので、それ以上は渋々リボ払いに設定する。
日記をみたら5年前も同じように生活していた。(というかこれで“独立して生活できている”といえるかどうかは疑問。)
どうりで。と感心した。だって、だいたいお金がないことの不安と、クレカ返済額で常に頭がいっぱいだったから。やっぱずっとそうだったんじゃん、辛いなわたし!。
わたしは、どうやら、昔の記憶がすっぽ抜けているっぽかった。
だいたい5年以上前のことになると、極めて断片的にしか思い出せず、酷いと何年も付き合っていた人の名前や、学生時代の仲良しグループの顔も名前も思いだせなかったりする。
ずいぶんと、自分は薄情な人間だなぁと思う反面、本当に記憶がないんだからしょうがないし、こんなときに5年日記が頼りになるな、なんて呑気に(でも本気で)思った。
5年前もクレカの返済のことで気を病んでいたなら、もっともっとだいぶ前からそうだったような気もしてくる。
もうこれは認めるべきじゃない?
「わたしは、買い物依存症だよ。」
だって、わたしの最もこころが満たされるのは、買い物だった。ずっと前から。(これだけは断言できる。)古着、スニーカー、古道具、家具、コスメ。これだ!、ピンときたらだいたい即購入している。
「モノ」と目が合ってレジでお金を払うまで(もしくは購入ボタンをポチるまで)のわたしの動作といったら、とにかく淀みなくなめらかに行われてきた。「絶対に逃すまい」といった執念。まるで秘密裏に行われる犯行のような気持ちが下腹部を熱くした。
自分が買うべき服、買うべき家具、買うべき物は無数にあった。
コロナ禍になってからはネットでその欲望を発散させた。
「ご注文が完了いたしました。発送までお待ちください」のメールが、わたしを数日間の間だけ大丈夫にさせた。
購入品が届いたり家に持ち帰ると、嬉しい。可愛い。素敵。最高。幸福で包まれた。
次はそれにあう靴、それにあうバッグ、それにあうアクセサリー、、際限がなかった。入口だけあって、出口のない螺旋の迷路をグルグル歩き続けていて止まれないみたいなイメージ。
メルカリ、ZOZOTOWN、オンラインShop、Instagram、スマホのスクロールに追われるわたしの寝不足な眼球と、スマホの持ちすぎで痺れた腕。
そういうとき、気づくと外は真っ暗だった。
最近になって風向きが変わった。
長期間の休職でうっすら借金ができて、非正規雇用でボーナスもなくなった今のわたしは、今月・来月生きることがいっぱいいっぱいになった。
はじめて、真正面から買い物と自分の関係性を問い始めた。これは、己との戦いになりそう。(長期戦の予感・・・)
わかってはいた。
わかってはいたんだけど、やめれなかった。たぶん買い物が唯一無二の癒しで励ましでわたしの安定剤だったから。
こうなったら、わたしは、「自分は買い物依存症である!オオー!」と声を大にして、思いっきり認めてやろうと開き直った。開き直ることからしか、この不気味な螺旋迷路から抜け出すすべがない。
その試みの第一歩として、早速ネット検索して一番安全そうな雰囲気のサイトの自助会に応募し、数日後にはバッチリ参加してきた。(ADHDの衝動性は時々役に立つ。)
自助会で話しをするときのルールは、言いっぱなし・聴きっぱなし。それって空しいんじゃないのと思ったけど、違った。
誰も感想や励ましの言葉を言ってくれないのに、不思議と、はじめてちゃんと話をきいてもらえた、受け入れてもらえた、と感じた。
ー次回は、その自助会に参加したときの感想を書いてみようと思います。
※他の参加者が語ったエピソード等には一切触れることができないので、あくまで自分の感想だけになります。