ヨロモタ夫婦ほっこり旅 奈良編
ヨロモタ夫婦ほっこり旅 奈良編
年を重ね、弱った身体で、ヨロヨロモタモタしながら、ひとり旅をした奈良でしたが、今度は、夫婦で巡ることになりました。さて、どんな旅になるのでしょうか?
私は、身体は丈夫なのですが目が悪い。妻は、目は良いのですが身体が弱い。二人合わせて一人前。年を重ねると、あちこち故障したり、ストライキを起こしたりして、常に絶好調とはいきません。そのような夫婦が少なくないようですね。友人は、私たちのような夫婦のことを、「ニコイチ」と言っていました。文字どうり、二人合わせて一人前という意味です。今の状態を上手く表現しているなと感心しました。
今回は、妻の運動を兼ねて、奈良の寺社を巡る旅をします。妻は、いわゆる「御朱印」を収集する趣味があり、日本各地のお寺や神社を参拝しては、御朱印帳や納経帳に記帳してもらっています。妻は「私は御朱印コレクターでもないし、神社マニアでもありません。お寺や神社に行って手を合わせ、感謝やお願いの気持ちを込めて参拝しているだけなのよ!」と言っています。
でも、私は、明らかに御朱印や御朱印帳のコレクターに間違いないと密かに思っているのです。(決して声には出さないのですが……)
なぜかというと、旅行に行って神社やお寺を訪ねた時、必ず、御朱印の有無を、前もってチェックしているし、偶然見つけた神社でも御朱印の文字を探しているからです。
近年、ご当地神社のオリジナル御朱印帳を販売している寺社も多いですよね。素敵なデザインや、変わった処では、木製の表紙など、それぞれ工夫を凝らしているようです。また御朱印をいただく参拝者も多く、有名な神社では、社務所に列ができていることも少なくありません。
私は、これは良い現象だなと思っています。神社やお寺を維持するためには、莫大な費用がかかることが知られています。神社の本殿や他の建造物、摂社、末社の維持、清掃など。寺院についても同様です。明治時代に、新政府によって進められた「廃仏毀釈」によって、寺院が破却されたり、縮小された影響で、本堂もないお寺も少なくないとのこと。(今回、訪れる予定の薬師寺や、興福寺も近年やっと再建された建物がありました)
日本の文化を保護する意味でも、多くの人々が参拝し、御朱印をいただくことは有意義であると思います。などと偉そうなことを言っていますが、最近読んだ、ある本に共感したことも大いにあるのかも……
最近読んだ本というのは、神主さんが書いたエッセイ集です。神主をしていた親の病気をきっかけとして、息子が会社を退職して跡を引き継ぎます。その次世代神主さんの奮闘ぶりが面白おかしく描かれていました。以下に紹介しますので、ぜひご一読ください。
新井俊邦(著)「神主はつらいよ」
ユニークな書名ですが、現代の神社経営の実情が、肩を貼らず紹介されている秀作だと思います。今まで知らなかったことや、注意しなければならないことなど、神社に関する知識も深まりますよ。
さて、話を戻しましょう。
そのような訳で、今回は奈良の神社やお寺を、ゆっくり巡る旅となります。船中二泊、ホテル三泊 計五泊の長旅に出発です。
奈良の旅 一日目 大阪行きフェリー
愛媛県から奈良に行く方法は、鉄道を利用する方法と、船を使う方法があります。
奈良ひとり旅では、東予港からフェリーを利用し、新しい船で、とても快適だったことは、第三章で紹介しました。
妻も長時間鉄道で揺られるよりは、快適な船室で、寝ていれば着いてるという船旅に触手が動いたようです。ということで、今回の旅もフェリーを利用することになりました。
今回は、少し贅沢なのですが、ツインルームを往復予約しました。シングルルームは、前回利用しましたが、ツインルームというのは、どのような部屋なのでしょうか、楽しみです。
東予港からオレンジフェリーで、夜十時に出港し、朝六時に大阪南港に到着します。
私は家で早めの夕食と入浴を済ませ、もう寝るだけモードです。妻は「私は、船内の大浴場に行こうっと!」と、準備万端。
夜八時から乗船できるので、少し前に着くように東予港に向かいました。乗船手続きを済ませ、デイバッグを背負い、妻のキャスター付きバッグを転がしながら乗船します。
客室フロアに入ると、係員が部屋の場所を案内してくれました。ツインルームは、一つ上のフロアとのこと。フロント横の階段を上って、廊下を進みます。私たちの部屋は右側にありました。
このフェリーは、内装が綺麗なだけでなく、アイディア満載です。例えば、サイクリストは、マイ自転車を自室に入れて管理することができるし、ペット好きの利用者のためには、愛犬や愛猫と同室できるプランが用意されています。さまざまな人が楽しめるよう工夫されているのです。
今までの二等船室のような、ごろ寝タイプや二等寝台の二段ベッドタイプの客室はなくなり、すべて個室仕様となり、快適な船旅ができるようになりました。
しかも、シングルルームも、部屋の内側からロックすることができるのでプライバシーが保持されています。ベッドの横には、机・椅子・コンセントなども装備されており、とても快適でした
今回は、初めてツインルームに宿泊するので、どんな部屋か紹介しましょう。
部屋に入ってビックリ! 妻が歓声をあげました。
「すごーい! 部屋も広いね。ビジネスホテルのツインルームみたいだね。でもトイレとお風呂はないか。そうそうお風呂にいかなくちゃ」
ルンルン気分で、大浴場に出かけていきました。
ツインルームに入ると、正面に窓があり、海が見えます。今は真っ暗ですが、明日の朝の大阪港入港が楽しみです。
部屋の入口から見て、奥にある窓の手前には、寝心地の良さそうなベッドが二台置かれています。ベッドの間には、床頭台があり、ライトやコンセント、時計などが配置され、ビギネスホテルの部屋と同じような仕様です。
その手間には、二人掛けのソファとローテーブル、壁には大型液晶テレビが取付られています。部屋に入ってすぐ右には、クローゼットと洗面台、反対側には、テーブルが配置されていました。床は、カーペットであり、トイレと浴室がない以外は、ビジネスホテルのツインと同等の設備でした。
「あー気持ちよかった。展望バスルーム、また帰りにも行こうっと……」
ご機嫌で妻が戻ってきました。少しお酒でも飲んでゆっくり船旅を楽しみたいところですが、明日は、朝が早いので早々に布団にもぐり込みます。
ーーおやすみなさい。
奈良の旅 二日目 春日大社
朝五時起床。用意していたパンと野菜ジュースをお腹に入れて、下船準備。
六時に大阪南港に着岸。二人で連絡通路をゆっくりと歩きます。連絡通路は、屋根と壁があり、屋内の廊下を歩いている感じで快適。皆さん、速足で私たちを追い抜いて行きました。
ニュートラムのフェリータームナル駅までは、約三百メートル。妻の足に合わせて、急がず安全第一。ここから、何回も乗換ながら大阪市内を抜け、奈良まで行くのですが、その間うまく座れるかな? 今回は、とにかく妻の足が疲労しないように注意しなくては……
スマホを出して、スイカを起動します。妻も、準備できたみたい。
「便利になったわよね。いちいち乗車券を買わなくてよくなったんだから」
「そうそう、料金表を見たり、慣れない券売機の前でモタモタしながら操作しなくてよくなったんやから、本当に楽になったよね」
などと「いつの時代の話をしとるんじゃぁ」と笑われそうな会話をしながら、ヨロヨロとホームに向かいます。
まもなくやってきたニュュートラムに乗車。座席に並んで座って、タワーマンションの林立する窓外を眺めていると、二十歳の時、国家試験を受験するために、ひとりで大阪に来たことを思い出しました。運転手がいない自動運転が珍しくて、ドキドキしながら、このニュー
トラムに乗ったものでした。
ーーあれから四十五年か……
などと、思いにふけっている間に終点のコスモスクウェアに到着。
今度は、階段を降りて、地下鉄中央線に乗換です。早朝なので人は少なく。ここでも座ることができました。弁天町で降り、改札を抜けて、また階段を降ります。今度は、JRの改札を通って環状線のホームに立ちます。新今宮は、大阪環状線に乗って四駅目。新今宮で降りたら、地下通路を通って、隣の大和路線ホームに移動しました。
早朝といえども、もうこの時間は通勤時間帯。乗車口には長蛇の列ができていました。
「これは、奈良まで座れんかもしれんね」
「あっ! でも、この列は普通電車に乗る人みたいよ」
私たちは快速に乗る予定なので、皆さんのすぐ横に立って待ちます。普通電車にほとんどの人が乗り込み、ラッキー!
普通電車の発車直後に、快速電車が到着、余裕で座ることができました。ここまでなんとか百パーセント座れたことに感謝、感謝です。このような人の多い大阪での乗り換え区間を、通過しさえすれば、もう安心です。
七時五二分奈良に到着。通勤時間前に大阪を通過できるのがこのルートの利点かな? JR奈良駅の改札を抜けて外に出ると、二人から大きな安堵のため息がでました。
ーーやったー! 大阪をクリアしたぞー!
今回、三連泊予定のホテルは、JR奈良駅のすぐ近くにあります。早速、場所を確認し、荷物を預かっていただきました。身軽になったところで、さあ、奈良を楽しもう!
初日でもあり、疲れないように、歩行距離が少ないコースを設定しています。まずは、駅前からタクシーで春日大社に向かいましょう。
「やはり寺社を訪問するのは、早朝が一番だな」と、いつも感じます。朝の静けさと鳥の声、澄んだ空気を胸に吸い込みながら参道を歩くと、身も心もひきしまってきます
春日大社
春日大社は、藤原摂関家によって創建された神社で、背後にある春日山原始林とともに世界遺産に指定されています。春日山原始林は、前回、私ひとりで全行程を歩きました。
今回は、妻の足に合わせて、春日大社本殿と摂社、末社を巡る予定です。
春日大社には、「十五社めぐり」というプランがあり、十五の摂社をめぐると、最後に御朱印をいただけるらしい。大きな声では言えないが、妻は「御朱印マニア」かも……
ーーマニアというと叱られそうですが……)
御朱印帳を何冊も持ち歩いて記帳していただいています。
ーー持ち運ぶと言っても、持つのは僕なんだけどな。これが、結構重たいんだな。僕のザックは、いつもギッシリ荷物が詰まっている。ほとんど妻の荷物なんやけど……
前回の、ひとり旅の時は、春日山遊歩道を廻って降りてきたら、迷ってしまって大変でした。その時は、疲れていたので、さらっと簡単にお参りしたのですが、今回は、ゆっくり参拝させていただきましょう。
スマホのAIに「春日大社をできるだけ歩行距離を少なく参拝したいのだが、どんなルートがいい?」と質問してみたら、「二之鳥居までタクシーで行き、そこから歩いて……」とのことで、
ーーやっぱりな。それしかないわな。
二之鳥居で、タクシーを降り、あたりを見渡すと、かなりの人がいました。もうこの時間になると、駐車場には結構車が停車していますが、まだバスはほとんど止まっていません。団体さんは、まだ食事中かな?
広い表参道をゆっくりと本殿に向かって歩きます。二之鳥居を通って少し歩くと、春日大社の正門ともいえる南門が見えてきました。
「きれいだね」妻の静かな歓声が漏れます。
深山を想わせるような緑の巨木に囲まれ、朱色に塗られた大門が、浮かび上がっているようにみえました。思わず足を止めて見とれてしまうほど美しい景色です。
二階建ての南門は、高さ十二メートルと大きく、春日大社では、最大の門です。(重要文化財)
また、門の左右には、ご本殿や数多くの重要な建物を四方から取り囲むように、回廊が巡らされています。カタカナの「ロ」の字の形の回廊を思い浮かべてください。(重要文化財)
南回廊は、長さが二一メートルあり、東回廊(三七メートル)と西回廊(五七メートル)に続いています。南門をくぐって、南回廊内に入ります。
今回は、回廊内部もお参りすることができる特別参拝を申し込むことにしました。初穂料をお納めし、灯篭が並ぶ回廊をゆっくり進みます。
中央には、目が覚めるような朱塗りの中門があります。中門は、高さが約十メートルあり、左右に羽を広げたように赤い御廊が広がっていました。(重要文化財)
奥には、ご本殿があり、この中門から参拝するとのこと。こうして、元気に夫婦そろって参拝できたことに感謝、感謝です。
特別参拝をしている人は、比較的少なく、静かにお参りすることができました。
(本殿は、七六八年の創建で、国宝に指定)
参拝を済ませて、左側を見ると、西回廊の手前に、杉の巨木があり、近づくと更に大きく圧倒的な存在感を感じます。樹齢約千年の大杉と記述されていました。鎌倉時代から、ずっとここにいて、春日大社を見守ってきてくれたのでしょう。二人で杉の木肌に触れ、大杉の声を聴き、永い年月を想像しました。
いつの世も
見守ってきた
大杉に
そっと手を触れ
そっと見上げる
秀翁
回廊内には、御神宝を収めた宝庫や数多くの重要文化財に指定された建物があります。それらを身近に見学させていただくことができました。南回廊に戻った時、
「あら、いい香り!」
妻の視線の先を見ると、回廊の近くに、きれいな藤の花が咲いていました。説明板によると「樹齢七百年の藤の木で、摂関近衛家からの献木」とのこと。五月には、花弁が約一メートルにも延び、地面に届くくらいになることから「砂ずりの藤」と呼ばれているそうです。
参拝を終えて、南門を出ようとすると、
「そうそう、御朱印をいただかなくっちゃ
。お父さん、御朱印帳を出してください」
と妻が嬉しそうに言っています。
ザックから、御朱印帳を数冊取り出すと、必要なものを選んで社務所に向かいました。
ーーそうだ、これを忘れてた。最近は、宮司さんも大変だよな。御朱印帳に記帳する仕事が増えて。僕なんか、字がヘタだから、もし宮司になったら大変だろうな。僕が書いたものを見て、参拝者は、どう思うだろう。思わず笑顔になること間違いなし。心の中で「この神主さん、字がへただなあ。でも、味があっていいかも……」などと思うんだろうな……
などと、妄想していると、
「御朱印書いてもらったよ。次は若宮十五社めぐりに行きますよ」と、張り切った妻の声が聞こえてきました。
ーー元気やなぁ。きっと、思ったような御朱印がいただけたのだろうな。
御朱印帳をザックに収め、南門を後にします。門を出ると道は左右に分かれていました。右に行くと表参道なので、左の道に向かいます。少し歩くと、たくさんの摂社、末社が並んでいる場所があり、その中に目的の夫婦大国社が見えてきました。ここで「若宮十五社めぐり」の受付をするとのことです。
この夫婦大国社は、平安時代に、出雲大社から、御心霊をお迎えし、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と「須勢理姫命(すせりひめのみこと)」の御神像を彫刻したことがはじまりとのこと。
ひとつ屋根の下に二体の像が一緒にお祀りされ、仲睦まじい夫婦を見守ってくれる、夫婦円満の神さまとして親しまれてきたそうです。
また、御神像がとてもユニークで、しゃもじを持って、頭には桶をのせているお姿なのです。そのため夫婦大国社の入口横には、ハート型や、しゃもじ型の絵馬がたくさん備えられていました。
若宮十五社めぐり
人間が一生をおくる間に起きる、さまざまな難問を守護してくださる神々が、若宮様を中心にお祭りされています。その十五の神様を、心を込めて参拝するのが「若宮十五社めぐり」です。
夫婦大国社で受付をし、玉串札をいただきます。これは、かまぼこ板を薄くしたような形状で、十五枚が、ひとつの布袋に入れられていました。
まず手水所にてお清めをして、各神社に玉串札を納め、祈願します。最後に夫婦大国社に参拝すると、授与所にて御朱印とおしるしをいただけるとのこと。
第一番 若宮(わかみや)
正しい知恵をお授けくださる神様
第二番 三輪(みわ)神社
子孫繁栄、子供の成長をお守りくださる神様
第三番 兵主(ひょうす)神社
延命長寿の神様
第四番 南宮(なんぐう)神社
金運守護の神様
第五番 広瀬(ひろせ)神社
衣食住をご守護くださる神様
第六番 葛城(かつらぎ)神社
心願成就の神様
第七番 三十八所(さんじゅうはっしょ)神社
正しい勇気と力をお授けくださる神様
第八番 佐良気(さらけ)神社
商売繁盛、交渉成立をお守りくださる神様
第九番 春日明神(かすがみょうじん)遥拝所
ひらめきの神様
第十番 宗像(むなかた)神社
諸芸発達をお守りくださる弁天様
第十一番 紀伊(きい)神社
命の根源をお守りくださる神様
第十二番 伊勢神宮(いせじんぐう)遥拝所
天地の恵みに感謝する所
第十三番 元春日枚岡神社(ひらおかじんじゃ)
延命長寿の神様
第十四番 金龍(きんりゅう)神社
開運財運の神様、後醍醐天皇ゆかりのお宮
第十五番 夫婦大国社(めおとだいこくしゃ)
夫婦円満、良縁、福運守護の神様
神社の多くが夫婦大国社の周囲にお祭りされているため、比較的短時間で巡ることができました。
夫婦旅
大国さまに
守られて
静かに巡る
若宮の森
秀翁
表参道から二之鳥居を通って、国宝館の近くまで戻ります。バスや車の数が増え、もうここは賑やかな観光地。国宝館の隣にあるカフェを覗いてみたのですが、ランチの時間にはまだ早いみたい。朝が早かったので、若干空腹気味。近くのベンチで座って捕食することにしましょう。
ところが、周囲を見渡してもベンチがありません。しかたないので、なんとか二人で座れそうな石を見つけて腰掛けました。座って、クッキーや、おにぎりをムシャムシャ!
「なんだか、ちょっと恥ずかしいけど……」
と言いながら、妻もおにぎりに、かぶりついています。
ーーやはり年の功だな。人の目があまり気にならなくなってきたんだなぁ。いいこと、いいこと。
おなかの虫も落ち着いてきたので、国宝殿を見学しましょう。
春日大社国宝殿
ここには、春日大社所有の国宝三五四点、重要文化財一四八二点を所蔵し展示しています。
その多くが、貴重な平安時代の宝物であることから「平安の正倉院」と呼ばれているらしい。
一階展示室に入ると、いきなり暗闇につつまれてしまいました。
「これはまいった。ちょっと肩につかまらせてよ」
急に暗い所に入ると、まったく見えなくなるので、私は、妻の肩を持ち、妻の後ろからヨロヨロモタモタ。眼が慣れてくると、
大きな水盤の輝きに、したたる光る水滴。網状のスクリーンに投影された光や映像により、幻想的な雰囲気が演出されていました。
次の部屋には、日本最大級の太鼓(高さ六・五メートル)を展示していたのが印象的。
二階展示室にも大きな太鼓があり、これは、一階にある太鼓のオリジナルであり国宝に指定されているとのこと。他にも多数の美術工芸品が展示されていました。
国宝殿を出ると、前の道にたくさんの人が集まっています。
「あそこで何かあるんやろか?」
「そうねぇ。たくさんの人が入っているみたいよ。入口には、萬葉植物園と書いてるよ。あら? 看板に藤の花が…… なにやら書いているみたいよ。行ってみましょう」
どうやら藤の花が満開で、それを見に、多くの人が来ているらしい。当然、どれどれと私達も中に入って行きました。
春日大社 萬葉植物園
この植物園は、日本で最も歴史のある萬葉植物園で、昭和七年開園とのこと。約三百種の万葉集ゆかりの植物が栽培されています。
園内に入ると、一面に藤の花が咲き乱れていて、とてもいい香りに包まれ、二人とも合わせたように深呼吸。
同じ藤の花でも、薄紫やピンク色など、さまざまな色があり、たくさんの品種が栽培されていることがわかります。約二十種、二百本の藤が栽培されているそうです。
藤は、棚作りが一般的で、今までに見た藤は、すべて藤棚だったように記憶しています。
しかし、ここの藤は、自然な形で栽培されているため、すぐ目の前に花が咲く様子を見ることができて感動的でした。
春日大社の付近では、古くから、あちこちに藤が樹勢していたらしいです、そのため春日大社の社紋は「下り藤」となっているのですね。
園内を歩いていると、だんだん人の数が増えてきて、ゆっくりと鑑賞できる状態ではなくなってきました。どちらかというと、人酔いしそうな雰囲気かも……
お腹もすいてきたし、ランチタイムの時間にもなっているので、国宝殿の中にあるカフエに行って食事をしましょう。
国宝殿の一階にあるカフェは、ガラス張りで、近代的なデザイン。
「やはり奈良といえば、三輪そうめんと柿の葉寿司やろうね」
「私は、温かいにゅーめんにしようっと。お父さん、薬草の入った中華そばがあるよ」
「やはり萬葉植物園の影響かな? よし、それと、柿の葉寿司にしよう」
お味の方は、看板メニューの薬草ラーメンは、少し薬草の香りのする昔懐かしい味のラーメンといったところかな?
柿の葉寿司は、皆さんご存じのように、押しずしを柿の葉でくるんだもので、二人で美味しくいただきました。
ところで、三輪そうめんといえば、コシが強いことで有名ですが、私は、まだ食べたことがありませんでした。
「にゅーめんの味はどう? 三輪そうめんは、コシが強いらしいけど、さすがにあたたかいニューメンにするとどう?」
妻のにゅーめんを一口試食させてもらいましたが、味は美味しかったものの、コシは普通でした。ごちそうさまでした。食べた後、
「さて、これからどうする??」
妻は少し考え込んで
「足はだいぶ疲れているけど、まだ、大丈夫よ。それにチェックインは二時だから、疲れたら、いつでもホテルに帰れると思うと気が楽よね」
「では、ここから奈良国立博物館まで歩いて行って、博物館を見学して帰ろうか」
ということで予定がきまり、カフェを出て、表参道を、一之鳥居を目指して歩くことにしました。
一之鳥居に向かって歩きだすと、
「お父さん、どこに行くん?」
と妻に呼び止められ、
「えっ! 国立博物館やろ。一之鳥居の方に行くんよ」
「そっちじゃないよ。一之鳥居は、こっちと矢印があるよ」
「あれ? また方向がこんがらがってきたぞ」
どうも、春日大社での方向感覚がおかしいようです。後日、わかったことなのですが、iPadに入れていた、春日大社の境内マップの方向が北を左にして描かれていたようなのです。通常の地図は、北を上にして表示することが決まりとなっており、登山の際にも使う国土地理院の地形図に慣れている私はついつい同じ感覚で見てしまうのです。スマホに入れているグーグルマップやジオグラフィカも当然、北が上です。それで地理感覚が、九十度ずれてしまったのでしょう。一度間違った情報を脳にいれてしまうと、なかなか修正し難く、今でもすっきりしていません。(お恥ずかしい限りです。トホホホ)
大きな木々を眺めながら表参道をゆっくり歩きます。前に横断歩道が見えてきました。これを右に進むと東大寺です。きょうは、真っすぐ歩きます。少し歩くと右に奈良国立博物館の建物が見えてきました。そして、目の前には一之鳥居が聳えています。小道を右に曲がって国立博物館の方向に進むことにします。
「あれ? えっ! まさか……」
と、妻が小さな声でつぶやいたのです。
「博物館、休みじゃないの?」
「そんなことないよ。今日は休館日ではないし、ネットでもそんなこと書いてなかったように思ったんだけど……」
と、私の声のトーンは徐々に下がり気味に……
やがて二人で、玄関ホールの前に立って、呆然。
「えっ! うそ! 前回来たときも臨時休館だったのに、また今回もなんて……」
私は、とことん奈良国立博物館には縁がないようです。そうなると、行くところはひとつ。前回と同じように「なら仏像博物館」に直行でしょう。やはり、ここは前回同様開いてくれていました。
ーーありがとう! 助かったよ。
博物館に入り、音声ガイドの貸し出し受付に行き、妻用に機器を貸してもらいました。私は、前回、じっくり聞いているので今回はパスします。
ーー前回は、最後まで解説を聞くのに二時間半ほどかかったので、それまでオーディオブックでも聞きながら、仏像を見学するとするか。
なら仏像博物館
この博物館は、国宝級の仏像を多数展示していて、結構、人気のスポットなのです。
。おススメは、音声ガイドです。仏像を見学しながら、音声で、多くの展示されている仏像の解説をきくことができます。
私は、仏像マニアではないので詳しいことはわかりませんが、目の前の三メートル以上もあるような仏像が、小さなパーツに分けて彫られ、最後にピタッと正確に合わさるという神業とでもいうべき伝統の巧の技に感動します。中には、仏像の腹部や胸部にひびが入っているものもあります。これは、一本の木をそのまま使って彫ったためです。どうしても樹の円周方向と放射線方向の乾燥による収縮率が異なるので、ひびが入ってしまうのです。そんなことを考えながら立っていると、
「大体見終わったので、お茶でもしようか?」
「えっ! もういいの? もっとゆっくり見てもらっていいんだけど……」
ーー文字解説も見ていたので、早かったのかな?
階段を降りて、ミュージアムショップとカフェのある地下連絡通路に向かいます。仏像館と国立博物館本館とは、地下でつながっていて、本館が休みの時も、カフェやお店は開いています。
地下通路の先には、広いホールがあって、博物館の関連グッズが並んでいました。地下ではありますが、外からの日差しが入り開放的な空間となっています。カフェも広く、今日は、三・四組のお客さんがいるだけでした。
ゆっくり、コーヒーを飲みながら、
「ホテルまでタクシーで帰る?」
「そうねぇ。もう歩いて帰る元気はないみたい」
仏像博物館を出て、大宮通りを、近鉄奈良駅に向かって歩きながら、タクシーを探すことにします。
ところが、タクシーが、なかなか通ってくれません。
それなら、バスにしようと、少し歩いて県庁前のバス停で、しばしバスを待つと、案外すぐにやってきました。妻に、行先が「JR奈良駅であることを確認してもらって乗車します。
東大寺、興福寺、春日大社などの寺社巡りには、近鉄奈良駅が近くて便利ですね。JR奈良駅と近鉄奈良駅は1キロほど離れているので、いろいろ乗り継ぎの際には不便を感じることがあります。愛媛県の松山でも伊予鉄の市駅とJR松山駅が離れているので不便を感じることがありますが、それと同じような感覚かな。
JR奈良駅でバスを下車し、観光案内書を除いてみることにしました。JR奈良駅前にある観光案内書は、旧奈良駅の駅舎を再利用したもので、レトロな雰囲気で味わいのある建物です。中に入ると、木の建物独特の音の響きが感じられます。取り壊す予定だったものを市民運動によって保存されるようになったそうです。市民の方々に感謝です。
妻は、そこで、奈良の観光パンフレットを入手。ありがとうございました。
その後、西口に戻って、ホテルに向かいます。ホテルは目と鼻の先。チェックインして、部屋に入ると、ほっと一息。
今回宿泊したホテルは、チェックインが二時で、しかも連泊しているので、いつ部屋に戻っても良く気分は楽です。
妻は足の疲れを癒すために、早速温泉に入りに行きました。私も一時間爆睡して休憩。
ーーやはり、船旅の一日目は、早朝から動くので、ちょっと疲れたかな?
ひとり旅の時は、こんな早い時間にホテルに入ることはないのですが、こういうゆったりとした旅も悪くないですね。
今日はお昼寝していないので、ちょっと失礼。
お互い休息して、リフレッシュしたので、元気パワーが復活しました。
「お店が込み合う前に、食事に行きましょう」
「そうそう、朝、見つけておいたお店にしよう。早めに行かないと混みそうやね」
五時にホテルを出ます。夕食のお店は決めていました。今朝、奈良駅に着いた時、奈良駅構内に、美味しそうな朝食のお店があるのをチェックしていたのです。でも朝は残念ながら、お客さんがいっぱいで、入れませんでした。
今回は大丈夫だろうかと、ドキドキしながらお店に向かいます。
「うまいもんプラザ」の中に入ッて奥を見ると、まだお客さんは誰もいない様子。
思わず笑みがこぼれます。
「うまいもんプラザ」というと、かなり広いお店をイメージされるかもしれませんが、はっきり言って広くはありません。入口近くは、奈良の特産品の販売コーナーで、奥が、食事スペースになっています。カウンターとテーブル席が五席くらいある程度だったでしょうか? アットホームな雰囲気のお店です。
早速、二人掛けのテーブルに座って、妻にメニューを見てもらいます。私は地鶏のからあげと野菜サラダ、そして地ビールと地酒三種類飲み比べセット。妻は地元ポークのハンバーグセットを注文しました。
地ビールは「あをによし」という名前で、美味かった。ビールの名称は、万葉集に記される「あをによし」からとったもので、奈良にかかる枕詞だそうです。
地酒も三種類、それぞれ美味しい。
ーー私に食レポは無理なんだ。何を飲んでも美味しいのだから……
以前、私はワインに凝っていたことがありました。ワインに関する書物を読み、さまざまなワインを味わい、悦にいっていたのでした
ある時、ワイン好きの友人と、ブラインドテストをしてみようということになり、二種類のワインを用意しました。
ひとつは、ある有名俳優が、結婚披露宴の際に使用した高級ワインで、他の一つは、チリ産のワインで、価格は前者の約八分の一の、家飲み用ワインでした。目隠しをして、それぞれテイスティングをします。
その結果、二人の意見は一致しました。
「案外簡単だったね。香りが全然違うよ」
「そうそう、飲む前から違いがわかる感じだね」と言いながら、目隠しを取って、しばらく無言になりました。なんと、二人とも、チリ産のワインの方を選んでいたのです。それ以来、高いワインを買うことはなくなりました。
私は、こう考えています。どんなお酒でも美味しく感じるということは、一番幸せなのではないでしょうか。
何を飲んでも美味しい!
いいじゃないの、それで……
話を戻しましょう。
「美味しかったね。会計も安かったので、びっくりした」
「野菜サラダもたっぷりあって、家でいつも食べてるくらいの量があったな。全部地元の食材ということだから、実家が農家なんじゃないかな?」
リーズナブルで良いお店でした。新鮮な野菜がたっぷりとれて身体の内側から元気になった感じがしました。
その後、駅前のスーパーに寄って、明日の食糧やお茶など必需品を揃えます。
これから三泊する予定のホテルは、奈良駅西口を出て、左折した所にあります。
このホテルは、温泉の大浴場がある割には、リーズナブルできれいなホテルでした。温泉の泉質もいいみたいで、妻はとても気に入った様子。歩いた後も、ゆっくり温泉につかって、疲れをとることができたと喜んでいました。
私は、慣れていない浴場にひとりで行くのは、段差などが不安なので部屋のお風呂に入ることにしていますが、いつも私がひとり旅で宿泊するホテルよりは、ややハイレベルの備品がある感じかな。値段とサービスを考えると、いいホテルだなと二人で高評価。これから二人で泊まる時は、このホテルチェーンにしようと話し合ったのでした。
今日は、初日でしたが、早めにホテルに入って、休息したので疲れることなく終えました。 早めに寝ることにしましょう。おやすみなさい。
奈良の旅 三日目 唐招提寺 薬師寺
朝、起きて外を見ると、少し薄暗い。天気予報を見ると、小雨が降ったり止んだりと、はっきりしないお天気のようです。雨が降っても大丈夫なように、今日は近場の寺院を巡ることにしよう。
朝は遅めにスタートして、まずは世界遺産の唐招提寺にタクシーで向かいます。JR奈良駅から唐招提寺は、西方向に約四キロ弱。ひとり旅なら町並みを見ながら歩くところですが、妻の脚には、その選択肢はありません。とにかく無理は禁物。
唐招提寺
唐招提寺は、唐の僧である鑑真(がんじん)が創建した寺です。奈良時代、日本からの招きに応え、遣唐使船で渡来しようと試みましたが、なんと五回も風雨に阻まれてしまいました。六回目にやっと日本にたどりつくことができたのです。盲目の僧侶でありながら、素晴らしい教えを広めた偉人です。
タクシーを降りると、そこはもう唐招提寺の南大門でした。南大門の前は、車が二台離合で
きる程度の道が東西に通っていて、道の北側が唐招提寺境内になっています。南側には「お食事どころ」「喫茶○○」「うどん〇〇」など古いお店が数件並んでいて、ミニ門前町といった様子。
改めて南大門を見上げます。これは、一九六〇年に天平様式で再建された、比較的新しい門とのこと。
南大門から中に入ると、左側に拝観受付がありました。受付をして境内に入ると、真っすぐ前に金堂が見えます。早朝で人影もなく、朝もやの中に歴史ある建物が静かに横たわっていました。思わず足を止めて、目を閉じ、古代から流れてくる空気を胸一杯に吸い込み、深呼吸。心静かな気持ちで境内を散策しましょう。
金堂に向かって歩いていると、左側に「世界文化遺産」の石碑がありました。
金堂は、奈良時代(八世紀後半)の創建で、寄棟造り・瓦葺きで国宝に指定されています。金堂内には、本尊をはじめ数体の仏像が安置されておりいずれも国宝です。まずは金堂のご本尊の前で手を合わせ、こうして夫婦共に参拝できたことに感謝します。
金堂の後ろには、講堂があり、やはり同年代の創建で、入母屋造・瓦葺でやはり国宝です。
金堂の東側には、宝蔵と経蔵が並んでいました。双方とも校倉造りで正倉院を小さくしたような外観。両方ともに唐招提寺と同時に創建されたとのこと。(国宝)
古くから変わらず、同じ場所に存在し続けている建物のそばにいると、人間の行動や考えがほんの一瞬の泡のように感じます。世界の指導者は、こうした時を感じる場所で静かな時間を過ごし、皆が仲良く平和に共存できる仕組みを謙虚に創造していただきたいものですね。
今、この時間も、世界のどこかで戦争をしています。戦っている人々は、誰も、人を殺したいわけではないでしょう。ごく一部の指導者によって踊らされているだけなのだから……
金堂と宝蔵の間を抜け、右の木々の間の小道に歩を進めます。
「あらっ! あの鳥はなんという名前かな? 不思議な鳴き声をしているわよ」
「何だろうね。聴いたことがあるような気がするんだけど……」
巨木に囲まれた、静かな境内に、小鳥のさえずりが響いていました。
二人とも足を止めて、小鳥の声に耳を傾けます。かすかに聞こえる水の流れる音。目を閉じて深呼吸。すがすがしい気持ちで、また歩きます。
小道の先には、新宝蔵がありました。近代的な建物で、金堂や講堂に安置されていた数多くの国宝、重要文化財級の木造が安置されていました
宝蔵を出て、小道を右に歩いていると、
「もう 花は見られましたか?」
と寺の管理をされている方から声を掛けられました。
「いいえ、よくわからないのですが……」
「こちらです」と案内されました。
北に進むと、小さな池があり、その先には「開山御廟」の表示があります。この境内の北東の奥の静かな場所に、鑑真和上の御廟がありました。
係りの方は、御廟に上がる石段の手前にある花を指さして、
「この花が『瓊花(けいか)』です。鑑真和上様の故郷である揚州から昭和三十八年に贈られました。今ちょうど開花していますよ」
あじさいのような、小さな白い花が咲いていました。その花から、いい香りも漂っています
。
「この『瓊花(けいか)』は、隋の皇帝のお気に入りで門外不出とされていた花なんです。国内で見られる場所は少なく、皇居と東大寺で栽培されているだけだと思います。咲いている期間はとても短く、今の時期、ちょうど一般公開しているところです」
と説明してくださいました。妻と二人で、
「偶然とはいえ、その時期にお参りできてよかったね」
と、小さなかわいい花を見つめました。
改めて御廟の前て、感謝の気持ちを込めて手を合わせます。
その後も、鳥の声を聴きながらゆっくり歩き、静かな時間を過ごすことができました。境内の、りんと張り詰めた静寂さが、とても印象的で、早朝の小雨と霧の中に浮かぶ荘厳で幻想的な金堂や伽藍は感動的でした。
朝霧に
静けさ響く
水の音
鑑真眠れる
唐招提寺
秀翁
唐招提寺を出て、参道を右に歩きます。唐招提寺から薬師寺までは、五百メートルくらいなので歩いて移動します。一応、グーグルマップを設定しておきましょう。
両側に松の木が植えられた参道を、三十メートル程進み、小道を左折すると、そこはもう住宅街でした。三百メートル程歩いた所で妻の足が止まりました。
「あっ、おそば屋さんがあるよ。それも、十割そばと書いているよ」
「じゃぁ、休憩も兼ねて食べようか」
と意見が一致。
お店のなまえは「よしむら」とあります。営業時間は、十一時からとなっていました。
妻がひそひそ声で、
「駐車場に、二台車が止まっていて、中でお店が空くのを待っているみたいよ」
「開店を待つほどやから、かなり評判のいいお店だろうね」
十一時までには、あと少々あるが、しばし店先で待たせていただくことにします。
開店と同時に、他にも二・三組のお客さんが入店しました。店内は、四人掛けのテーブルが五台とカウンターに五席くらいで、明るく清潔な雰囲気。
妻は温かいとろろそば、私は、おろしそばを注文しました。運ばれてきたそばを一口すすり、
ーーこしがあり、風味がいい。旨いそばだなぁ。(私としては、もう少し太いそばが好きなのだが、これはそれぞれの好みだからなぁ)
「おとうさん、皆さん十割そばを注文されていますよ。そっちにした方がよかったのでは?」
「どうもそうみたいやね。皆の注文の様子を聞いてから、たのんだら良かったね」
と、お店の、いちおしメニューを食べれなかったくやしさで、ちょっと、しょぼんとなったのでありました。
「今度来た時は、十割そばを食べよう」
おいしいそばを頂いて、二人とも元気モリモリ。
ーーそういえば、淡路島に行った時に、いい経験したなぁ。
お昼に、なんでもいいからお腹に入れとくか、と言ってまったく知らないうどん屋さんに入った時のこと。何を注文しようかと思っていると、ほとんどの人が「カレーうどん」を注文しているではないか。みんなが注文するなら、と私も「カレーうどん」を注文しました。それが、めっちゃ美味しかったのです。肉にホルモンを使っていて、今までに食べたカレーーうどんの中では、最高でした。また食べたい味なのですが、どこのお店か妻も私も覚えていない。今度淡路島に行く時は、前もって調べておいて、絶対に食べようと思っています。今度から様子見をしようと反省。
おそば屋さんを出て、南に歩きます。右側に近鉄橿原線が通っているため、電車の通貨音が聞こえてきます。道の両側には松が植えられていて、寺町らしい風情のある道が続いています。
左に土塀を見ながら、しばらく歩くと、正面に寺の門が見えてきました。
「あれ? この道を行くと、あの門に突き当たるんだけど、行き止まりかな?」
「そうねぇ。いや、左右に道が続いているみたいよ。あれが薬師寺かも?」
正面に見えてきた門は、やはり薬師寺の興楽門でした。門を入って、左に受付があります。
薬師寺
薬師寺は、天武天皇が、妻(持統天皇)の病快癒を祈願して六九七年に藤原京に創建した寺です。その後、平城京遷都の際、現在の地に移されました。当時は、天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂などは「龍宮造り」と呼ばれていました。
しかし、その後、室町時代の兵火で、ほとんどの伽藍が消失し、その後長い期間、仮の建物でした。そのため、昭和時代に復元された建物が多いとのこと。五重塔だけは奇跡的に戦火を免れて国宝に指定されています。
境内の雰囲気は明るく、唐招提寺とは、かなり違った印象です。
薬師寺の伽藍復興の話
薬師寺は、天下の四大寺と呼ばれたほどの大寺院でしたが、室町時代の兵火によりほとんどの伽藍が消失したため、その後は、仮金堂や仮講堂などの仮の建造物で細々と運営されていました。当時の管主は、一九六八年、お写経による伽藍復興を呼びかけ、一巻千円のご納経料をいただき、金堂復興を目指しました。全国行脚の結果、一九七六年に金堂が落慶されたとのこと。
その後も、お写経による伽藍復興は継続され、西塔、中門、回廊、大講堂、食堂と多くの伽藍が興されました。これらの伽藍復興は、日本人の美しい心の結果といえるでしょう。
この薬師寺復興の話は、私もNHKの番組で見たように記憶しています。白黒放送の時代でしたが、住職が、廃寺寸前の様子を紹介し、復興への協力を訴えていたことを覚えています。
薬師寺受付を通り、真っすぐ進むと左に東塔、右に巨大な金堂があります。
こうして、復元された大伽藍を目の前にすると、復興を支援された方々に対して、改めて感謝の気持ちが沸いてきます。
二人で金堂の前に立って、改めて手を合わせます。金堂には、薬師三尊像、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩(すべて国宝)が安置されていました。
金堂に向かって右側に東塔があります。東塔は、薬師寺創建当初から唯一現存している、平城京最古の建造物です。構造としては、六つの屋根があるため六重の塔のように見えますが、内部は三層で、三重塔です。
金堂の北側に大講堂、西に西塔があります。大講堂は、二〇〇三年に創建当初の規模で再建されました。薬師寺は、日本で初めて東西に二つの塔を建立した双塔式伽藍として有名であり、西塔も、一九八一年に再建されました。
再建された数々の伽藍を見学させていただき元の道に戻ります。門を出ると、道は左右に分かれています。右に進むとすぐに、玄奘三蔵院伽藍入口と書かれた標識がありました。
西遊記でおなじみの玄奘三蔵は、唐の時代に活躍した僧侶です。玄奘三蔵は、当時の中国に未だ伝来していなかった経典を求めて、二十七歳のときインドに旅にでました。インドで学び、経典や仏像を携えて十七年後、帰国しました。
帰国後は、持ち帰った経典六五七部の中から七五部一三三五巻を翻訳しました。最もよく知られる「般若心経」も玄奘三蔵の翻訳によるものです。
薬師寺では玄奘三蔵の業績を後世に伝えるために、一九九一年に玄奘三蔵院伽藍を建立しました。伽藍中央の玄奘塔には、玄奘三蔵の頭部の遺骨が納められているとのことです。(一九四二年中国南京で発見)
インドとの往復や翻訳事業等の大変さを思い、感謝の気持ちを込めて手を合わせます。
ーーやっぱり、夏目雅子が演じた三蔵法師や、堺正章の孫悟空、西田敏行の猪八戒を思い出すなぁ。夏目雅子は、大好きだったなぁ。般若心経も、玄奘三蔵が持ち帰ったとは知らなかった。
詳しくは知らないけど、持ち帰った仏典を翻訳するのに数十年の月日を要したらしい。約三十名の人とプロジョクトを組んで、原文からの意味の抽出、漢文への翻訳、清書を行ったらしい。
そこで不思議に思うことが二つある。まず、日本では、なんで漢文のままで「お経」の形式で読み上げるんやろう。唐で玄奘三蔵がしたみたいに、日本語に翻訳して、それを読み上げたら、みんな意味がわかっていいと思うんだけどな。それに、仏教が日本に伝わって来て、なんでいくつもの宗派に分かれんといかんのやろな。最澄と空海の関係や、親鸞への比叡山の迫害などの歴史を勉強していると、つくづく疑問に思うんだけど、他の人は、そんなことは考えんのやろか。(これは、あくまで私の個人的な疑問です)
在りし日の夏目雅子を思い浮かべながら、外に出ました。大きな寺院をじっくり鑑賞するには、かなりの時間を必要とします。また、境内も広いので歩行距離もそこそこ多くなります。夢中になって歩き回っていると、だんだん妻の疲労が顔に現れてきました。
ーーこれは、いかん! とりあえず、今日はこのくらいかなと、ホテルに引き上げることにしよう。
薬師寺を出て西に歩くと、すぐに近鉄西ノ京駅です。約十分ごとに電車があるのですぐに乗車でき、ラッキー!
二駅目の大和西大寺駅で乗り換えて、近鉄奈良駅に向かいます。途中の電車の中から、平城京跡に復元された朱雀門や大極殿を、一瞬だが見ることができました。この平城京跡は、非常に恵まれた遺跡だと思います。平城京のほとんどの場所が水田で、ずっと開発されず残されてきたのです。現在も、東西南北二キロ四方くらいの規模で発掘、復元中です。
前回のひとり旅の際に、朱雀門や大極殿、庭園や様々な復元物をみてまわることができました。それぞれが、かなり離れているのですべて歩いてかなり疲れましたが、これからの発掘に期待したいところです。。
妻は、平城京には興味ないとのことなので、今回の予定にはありません。
近鉄奈良駅は、地下にあります。最初それを知らなかったものだから、グーグルマップをみながら、ひとしきり迷いました。
その時は、平城京を見た後、大宮通りを通って、厩王の屋敷跡を確認し、歩いて近鉄奈良駅方向に向ったのです。気が付いたら左にあった線路がなくなっているし、高架の駅舎もないし、忽然と、近鉄がなくなったと、あわてたものでした。
まさか、線路が途中から地下にもぐっているとは想像もしなかったのです。
ーーまいった! まいった!
さて、話を戻しましょう。
「さて、ここからホテルまで、タクシーか、バスか、街を見ながら歩くか、どうする?」
「まだ歩けそうだから、お店を見ながら歩く」
ということで、近鉄奈良駅から、街を散策しながら歩いてJR奈良駅まで戻ることにします。
「あれ? 天輪焼きって何やろね?」
「普通の大判焼きみたいやね。奈良では、大判焼きのことを天輪焼きというんやろか?」
二人で話しながら、お店の前に……
若いお姉さんが、大判焼きらしきものを焼いていました。お姉さんに、
「奈良では、大判焼きのことを、天輪焼きというんですか?」
「いえ、このお店だけなんですよ」
と教えてくれました。せっかくなので、二つ買って食べながら歩くことにしました。
大判焼きは、地方によってさまざまな呼び名があります。松山では「ひぎり焼き」、岡山では「ふうまん」、姫路では「御座候」とか、それぞれに歴史があっておもしろいのです。
天輪焼きは、お好み焼きも同様に呼ばれているのかもしれませんが、お好み焼きもおいしそうでした。
小西さくら通りを南に歩きます。いろいろな店があるようですが、妻はいつものように店内に入ろうとはしません。
ーーこれは、結構疲れているな。
妻が左を指さして、
「このひとつ東側にアーケード街があるよ。出張で来た時に通ったことがある。でも今日はもういい」
私は前回のひとり旅の時も、そのアーケード街は歩いていなかったので、ちょっと、覗いてみたいなと思ったのですが、どうも疲れているようなのでまた今度かな。
途中から右折し、三条通りを西に進みます。突き当りがJR奈良駅になります。
さすがに妻が疲れてきたので、途中にあった、カフェに入ってお茶にしました。
私はコーヒー、妻は紅茶とホットケーキ。私はひとり旅の時は、カフェには百パーセント入ることはありません。何故かというと、間がもたないのです。昼食も、たいていは、公園で鳩と一緒にクッキーをかじってすませることがほとんどかな? 夜は、ホテル近くのスーパーでお弁当とおつまみ、納豆やヨーグルト野菜ジュースなどを買い込み、部屋でテレビを見ながら、ゆっくり食事を楽しみます。安上りでしょ。どうしても、その地方でしか食べられないもの以外は、そんな感じやね。
妻と一緒に旅をする時は、お店に入れるので食べる楽しみが追加されますね。妻にメニューを読んでもらって、郷土料理や珍しい食材を味わったり、地酒を飲み比べたりして楽しく食事ができます。それに、ひとり旅の時と違って、歩行距離が少ないので、多少、次の日にお酒が残っていても大丈夫かな。ひとり旅の時は、いつも、二十キロくらいは歩いて移動するので、深酒は禁物なのです。
カフェを出ると、すぐJR奈良駅。ホテルに戻って、ほっと一息。妻は、ひとっ風呂、私はひと眠り。しばし休息して充電タイム。連泊していると、この自由があるので気楽ですよね。
ホテルでのんびり休んだら、妻もだいぶ元気になってきたようです。混雑する前に夕食を済ませましょう。
昨日と同じように、五時前に外出して、JR奈良駅構内にあるレストラン街を見て回ります
「昨日は、ボリウムがあるものを、たくさん食べたので、今日はあっさりしたものがいいな」
「そうやね。毎日毎日ご馳走を食べていると、胃がしんどくなってくるよな。今日は普通の定食にしようよ」
今日は、あっさりといこうということで、普通の定食屋さんに入りました。定食屋というと、おいちゃんとおばちゃんが忙しそうにしているお店が想像されるのですが、最近は定食屋さんも進化しているみたい。
チェーン店になっていて、入口の自動券売機で欲しい定食や飲み物券を購入します。(これが問題で、後ろに誰かが待っていると、慌ててしまって、モタモタしてしまうんですよね。)
店内に入ると、活気ムンムン。居酒屋モードで、びっくり!
若いおねえちゃんと大学生らしきお兄ちゃんが、めまぐるしく働いています。妻は、焼き魚定食、私は、からあげと団子汁定食、それにハイボール。やはり、連泊での旅行の時は、食べすぎ飲みすぎに注意ですよね。
明日は、メインの山の辺の道と大神神社です。疲れをとるために今日も早く寝ることにしましょう。
妻は寝る前に、またお風呂に入るらしい。入浴すると、足が楽になるとのこと。
ーー大浴場付きのホテルを選んで正解だったな。
奈良の旅 四日目 山の辺の道
今日は天気も良いので、予定どうり、第一目標の大神神社、石上神宮に参拝することにしましょう。
まず、JR奈良駅から、万葉まほろば線で天理に行きます。妻と天理行の電車を待っていると、
「王寺行電車が入ります」と、アナウンスがありました。
「あれ? 王寺は、大阪から大和路線で来る途中にあった駅だぞ。おかしいな。万葉まほろば線は奈良から南にずっと桜井まで伸びている路線なのに……」
「そう? 天理行だと思うけど……」
ーーこんな時は、躊躇せず、聞くに限ります。
前に並んでいる、これから出勤らしいおにいさんに、
「この電車は天理に行きますか?」
と聞くと、さも当然のごとく、
「はい、行きますよ」
と教えてくれました。すると妻も、
「天理に行くにきまっとるやない」
と、どや顔で笑っていました。
ーー西の大阪に行く路線と、南に行く路線がいっしょになるなんて不思議やなぁ。
その後も、頭の中で未解決な問題として、くすぶり続けていました。
後で、ホテルに帰って調べると、なんと、万葉まほろば線は奈良から桜井まで真っすぐに南下した後、JR和歌山線となり、アルファベットの「J]の字のように、大きくカーブして、大阪方面にある王寺駅にのびていました。不思議な経路の路線でした。とりあえず疑問が解決して良かった、良かった。
天理までは、四駅、十三分。天理駅に降りて駅前を見渡すと、前回のひとり旅のことを思い出しました。石上神宮までは、約二キロちょっとです。前回は、四人で歩いたなと思い出しながら、タクシー乗り場に向かいます。今日は、山の辺の道を少し歩くので、、妻の足の状態を考慮し、途中までタクシーを使うことにしました。
タクシーで石上神宮に行く途中、天理教のさまざまな施設が見えました。
「へぇ~っ! ここの建物は、全部同じデザインで統一されているんやねぇ」
「そうよ、病院も学校もマンションも同じじゃねぇ」
鉄筋コンクリートの近代的なビルの屋上には、瓦葺き屋根が乗っかっていて、お城のような破風が作られています。天理教関連施設ならではのデザインですね。妻と道の左右に点在している、さまざまな施設をみていると、車は大きな鳥居の前に止まりました。運転手さんんに
「石上神宮を参拝したら、檜原神社に行きたいのですが、電話したら、来ていただけますか?」
「いいですよ。ここに電話してください」と、名刺を頂きました。車を降りて、改めて鳥居を見上げます。
この石上神宮をお参りする前に、整理しておきたいことがあります。それは、古事記や日本書紀に記録されている日本の神話についての話です。
神話については、ヤマタノオロチの話、因幡の白うさぎの話、出雲の国譲りの話など、古代史マニアの方でなくても子供の頃から耳にしたことがあると思います。これらの神話は、すべてフィクションだと思っておられる方も少なくないでしょう。しかし、近年、各地での遺跡発掘により、史実も多く含まれていることが明らかになってきました。そのような意味で、妻と神話について少し勉強したので、頭の整理がてら紹介したいと思います。
この神話の様々な話の中に、数多くの剣が出てくるのですが、特に重要な三種の剣があります。
神代三剣(かみよさんけん)と呼ばれているものです。この剣が、石上神宮に関係しているので、以下に紹介します。
一 草薙剣(くさなぎのつるぎ)
別名、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ) スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した時に、オロチの尾から出てきた剣です。三種の神器のひとつとなっているのでご存じの方も多いと思います。
二 十拳剣(とつかのつるぎ)
スサノオノミコトがヤマタノオロチ退治で使った剣です。 石上神宮では、この剣の霊威を「布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)」と称え、合わせてご祭神としているとのことです。
また、オロチ退治の後、石上布都魂神社(岡山県赤磐市)に十握剣を祀ったが、その後、石上神宮に移されたとの説もあります。
三 布都御魂(ふつのみたま)
別名、布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)
タケミカヅチノカミが出雲平定に使った剣で、神武東征の際にも、タカクラジが神武天皇に献上した不思議な力を持つ剣です。古事記において「この刀は石上神宮に坐す」と記述されています。
そして、この剣を「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」としてお祀りしているとあります。
・スサノオノミコトは、アマテラスオオミカミの弟です。
・出雲の国を作り上げたのは、スサノオノミコトの子孫のオオクニヌシノカミです。
・オオクニヌシノカミから、タケミカヅチノカミが出雲を譲り受けました。
・神武天皇が、九州から、中国地方を経由して、大和を平定しました。(神武東征)
ということで、二と三は、同じ剣の可能性もありそうです。
もし、詳しい方がおられたら、ご教示いただきたい。
藁をもつかむ気持ちでAIに質問してみたら……
質問:
「十拳剣と布都御魂剣は、両方とも石上神宮にあるのでしょうか?」
AIの回答
「私の知識は、二年前のものであり、その後の出来事については、把握していませんが、その時点では、十拳剣と布都御魂剣が石上神宮にあるかどうかについての情報はありませんでした。十拳剣と布都御魂剣は、いずれも日本の伝説や神話に関連する宝剣で、それぞれ異なる起源や由来が語られていますが、一般的には石上神宮に所在するとされているという情報はありませんでした。
ただし、神社や寺院は保管されている宝物を公開する場合があるため、最新の情報を知りたい場合は公式の石上神宮のウェブサイトや直接問い合わせることをお勧めします」
という何ともわからない回答でした。
とはいえ、二と三の剣と石上神宮は関係が深いのは間違いないでしょうね。
石上神宮(いそのかみじんぐう)
石上神宮は、日本最古の神社の一つで、主祭神は第十代崇神天皇です。平安時代後期、白河天皇により、現在の拝殿(国宝)が寄進されたものと伝えられています。明治時代には、神祇の国家管理となり、神宮号復称が許されています。
石上神宮には、かつて本殿がなく、拝殿後方の禁足地の中央に主祭神が埋斎されていました。明治七年、禁足地が発掘調査され、古事記の記載どうり、御神剣が出土されたのでした。フィクションの神話ではなかったのですね。
禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています。
さて、大鳥居の前で、一礼して参道を進みましょう。周囲を見渡すと、巨木が目にとびこんできました。参道のすぐ左に杉の巨木があり、御神杉とあります。この石神神宮には、樹齢三百年以上の杉の木が数多く樹生しており、歴史を感じます。
手水所で、身体を清めようと歩いていると、
「コケコッコー!」と元気なニワトリの声が聞こえてきました。
「あらっ! ニワトリがたくさんいるよ」
「そうそう、石上神宮では、ニワトリが神の使いとされているらしいよ」
あちらこちらで色鮮やかなニワトリが放し飼いで動き廻っています。近づいても逃げる様子もなく、じっと、こちらを見ています。
ーーかわいい!
参道に戻ると、目の前に回廊が続き、その中央には、立派な楼門がありました。これは、鎌倉時代に後醍醐天皇により創建されたもので、重要文化財に指定されています。当初は、上部に鐘が吊るされていたらしいのですが、明治時代の神仏分離令により撤去されたとのことです。
門を潜ると、眼前に朱色の拝殿が現れました。鎌倉時代に白川天皇により寄進されたもので、国宝に指定されています。拝殿の前に立つと、その奥に本殿が見えます。
かつては、本殿はなく、禁則地の御神剣が埋祀されていた場所を本殿として参拝していたそうです。。
その後、明治時代の発掘調査により、禁則地から神剣が本当に出土したので、勾玉と共に神剣を、新たに建設された建物に安置し、本殿としたとのことです。
無事参拝できたことに感謝し、手を合わせます。妻は早速、社務所に行き、御朱印帳に記帳してもらい、満足の様子です。
楼門を出て左に曲がり、回廊に沿って更に奥に足を進めます。左に曲がると、樹齢三百年の大イチョウの木がありました。気持ちの良い小道がさらに奥まで続いています。
ーーこの道が、山の辺の道として奈良まで続いているんだな。今度は、ここから奈良まで歩いてみるかな。
私たちは、元の道を楼門まで戻って、参道を下りました。手水所の手前までくると、ニワトリがたくさん集まっていました。左奥には鶏舎が並んでいます。
ーー夜にはちゃんと、自分の家に入ってくれるのだろうか?
などと心配しながら、ニワトリと記念撮影。ニワトリもこう慣れていると結構かわいいものですね。
ふと、左を見ると、古い年代物の休憩所のような建物がありました。
「お父さん、これ国宝って書いてあるよ」
「なに? えっ! この建物、国宝?」
驚いて、妻に説明板の内容を読んでもらうと「摂社 出雲建雄神社拝殿」いずもたけおじんじゃ)「国宝」とありました。
これは、元来、内山永久寺内にあった、神社の拝殿だったのを移築したものらしい。内山永久寺は、前回、山の辺の道を歩いていた時に、通ったところです。
鳥羽天皇が創建した大寺院だったのですが、明治政府の神仏分離令に伴う廃仏毀釈により、廃絶してしまったのです。更に、境内にあった鎮魂者の住吉神社も放火によって消失しました。
その後、放置され、荒廃していた拝殿を、石上神宮が、当地に移築し、出雲建雄神社拝殿として存続させているらしいのです。
従って、この拝殿は、唯一、内山永久寺の遺構であるため、国宝に指定されているとのこと。
こうして、さまざまな寺社を巡っていると、政治の影響を受けて、寺社が荒廃してしまった例をよくみます。
特に、明治時代になって、多くの寺院が破却されてしまったのは、とても残念に思います。もし、外国人研究者が、政府に、寺院の破壊中止を提言してくれなければ、中国の文化大革命によって、貴重な寺院が破壊されたように、日本のお寺のほとんどが消失していたかもしれないのです。
外国の研究者と、その声に耳を傾けた方々に感謝、感謝です。
国宝の拝殿の横に、かわいい本殿があった。
摂社 出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)
草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)である 出雲建雄神(いずもたけおのかみ)がお祀りされているとのことでした。
大鳥居まで歩いて、タクシーに電話をすると、ほんの数分で迎えにきてくれました。
ーーこれは、参拝する間、近くで待っていてくれたんだな。感謝、感謝です。
タクシーに乗って、石上神宮について考えました。私が興味深かったのは、神話の中に出てくる神の剣が、実際に、明治時代の発掘により、禁足地から出土されたことです。古事記の神話が、単なるフィクションではなく、何らかの史実を記述しているらしいということ。その時代に、どのようなことが、本当にあったのか、なんとも言えないロマンを感じます。
実際に、禁足地の周辺を歩いてみましたが、この地で、大和政権と地方豪族とのなんらかの戦いがあり、神話としてのこったのだろうなと想像を膨らませると、ワクワクしてきます。
古事記や日本書紀に書かれていることは、すべて勝者の記録であり、勝者に都合のいい話にまとめられているのだろうと推測します。
また、日本書紀は、外国を意識して、かなり年代を古く記載しているようだから、つじつまが合わなくなってきています。
それで実際はどうだったのだろうか、などと考えをめぐらせるのが古代史を学ぶ楽しみでしょうか。そのようなロマンを話しながら石上神宮を散策しました。妻も御朱印がいただけて大満足の様子です。
近年、神社経営の困難さを耳にします。特に中規模以下の宮司さんは、収入が少なく、兼業しないと生活が苦しいらしいです。御朱印などを含めて、できることで応援したいなと思っています。
石上神宮の参拝を終えたあと、タクシーで檜原神社に向かいます。前回のひとり旅の時は、山の辺の道を歩いて移動しました。山の辺の道を歩くと、約九キロあります。
今回この区間は、タクシーで移動することにしました。妻の足に合わせて、檜原神社から大神神社までの、約二キロの山の辺の道を歩くプランです
タクシーで、檜原神社のすぐ近くまで移動できました。前回の歩いた記憶が頭をよぎります。
ーー景行天皇や崇神天皇御陵の横を歩いたなぁぁ。のどかな道だったなぁ。
「やはり、ちゃんと鳥居をくぐってお参りしましょう」との妻の声で回想モードから抜けました。
檜原神社
檜原神舎は、大神神舎の摂社であり、また、現在の伊勢神宮の前者と称されています。
小道を歩いて、神社の正面に回ります。神社は、やや小高い場所にあり、背面が山になっているため、陽当たりが良く明るい雰囲気。遠くから見たら地域の公園のように見えるかもしれませんね。
左右に樹の柱が二本立っており、しめ縄で結ばれている鳥居をくぐって境内に入ります。
こじんまりとした境内ではありますが、綺麗に清掃されています。足元を見ると、玉砂利が綺麗に掃き清められていて、その上を歩くのが申し訳ない気持ちになりました。
境内に入って、真っすぐ先に拝殿があります。向かって右が、天照大神若御魂神・伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冊命(いざなみのみこと)です。
檜原神社の鳥居は、三つの鳥居を一つに組み合わせた「三ツ鳥居」と呼ばれている珍しい形式の鳥居とのこと。
向かって左が、豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)
それぞれの神様の参拝を済ませて社務所の方向に行こうとすると、
「お父さん、元伊勢についての説明書きがありますよ」
「どれどれ、ちょっと読んでみて」
以下、説明板より引用
「第十代崇神天皇の御代、それまで皇居で祀られていた「天照大御神」を、皇女・豊鍬入姫命に託し、ここ檜原の地(倭笠縫邑)に遷しお祀りしたのが始まりです。その後、大神様は第十一代垂仁天皇二十五年に永久の宮居を求め各地を巡幸され、最後に伊勢の五十鈴川の上流に御鎮まり、これが伊勢の神宮(内宮)の創祀と云われる」
説明板を読み終えると、妻は御朱印帳に記帳していただくため社務所に向かいました。私は、社務所横の休憩所で待っことにします。
そこには、すでに三人組の女性も休憩していました。山の辺の道をあるいているらしく、足づくりもしっかりしています。ザックも登山用なので、おそらく登山もするのでしょう。
その方々の話を、それとなく聞いていると、ここからは、二上山がきれいに見えるそうです。夕日が沈む姿は、とても美しいとのことでした。
私もかつては山好きだったので、上りたい気持ちが出てきて、ふと寂しさを呼びます。ふと、後ろを見上げると、遠くにかすむ二上山が見えるような気がしました。
妻が御朱印をいただいて戻ってきました。さあ、ここからが、山の辺の道です。大神神社までは約二キロ、山の辺の道を歩きます。
山の辺の道は、日本最古の道として有名ですね。私たちも、これからヤマトタケルが飛鳥から奈良まで歩いた道を、古代の風を感じながら歩くことにします。
道幅が、一メートル程の道が山肌を縫うように延び、石畳みの道から山道、そして整備された階段へと、静かな道が続いています。所々に、野菜や果物の無人販売所があったり、休憩所も整備されていて、至れり尽くせりの古道といえますね。
時々行きかう人と「こんにちは」と挨拶を交わしながら、ゆっくり歩みを楽しみます。のどかな景色に溶け込むように、のんびり歩きました。
三輪山の
古代の神に
みちびかれ
妻と歩いた
山の辺の道
秀翁
途中、休憩所に座ってしばし足を休めます。
クッキーを食べて、水分を補給、鳥の声を聴いてリラックス。ゆっくり休みました。
さて、出発しましょう! 檜原神社から約二キロ歩いて、摂社の狭井神社に到着しました。
ーーよし、ここまでくればもう安心だな。後は、そんなに歩くところはないやろ。ゆっくり参拝して、三輪そうめんを食べて帰るとするか。
狭井神社の境内に入る手前で足が止まりました。
「ここだよ。前回、工事中で道に迷ったのは。この先を左に行ったばかりに、一時間以上うろうろして大変だったんだ」
「へぇ~、でも道を整備したような感じはなかったね」
「ほんと、そうやね。どこが崩れていたんろうね」
狭井神社
狭井神社は、大神神社の摂社で、あらゆる病を治すとのことで、多くの方が参拝されていました。前回のひとり旅の際には、私の勘違いで、スルーしていたので、今回は、ゆっくり参拝させていただきましょう。
狭井神社の「狭井」の名称は、神聖な泉を指すとされています。拝殿と本殿の間に、三輪山より湧き出る霊泉があります。
この御神水は、古くから万病に効くと伝えられており「くすり水」と呼ばれています
現在では、祭事の際に近畿各地の製薬業者や医療関係者が参列しており「薬まつり」とも呼ばれているそうです。
左に小さな池を見ながら境内に入ります。周囲を木々に囲まれ、やや薄暗いので足元に注意しましょう。
参道の左側にある手水所で身体を清め、参道を進むと正面に石段があり、約十段ほどの石段を上ると鳥居がありました。二本の柱にしめ縄がかけられていて、檜原神社と同じ形式ですね。
階段を上った正面に、拝殿がありました。本殿は、拝殿の後ろにあるらしいのですが、ここからは見ることはできないようです。二人で感謝の心を込めて手を合わせます。
多くの人が参拝をした後、拝殿の後ろの方に移動している様子。
「なんだろうね。行ってみよう」
「あっ! ここだ。御神水が湧き出しているところだ!!」
と、妻の眼が光った。(……ように感じたのです)
拝殿と本殿の間に「くすり水」と呼ばれる井戸があり、この水を飲めば万病に効くとして信仰されています。丸い石に設置されているボタンを押すとポンプアップされ水が出てくるようです。
飲用が可能なようで、皆さん飲んでおられました。私たちもいただいて、お互いの病気平癒を祈りしました。(狭井神社の霊泉)
参拝を済ませると、妻は社務所に直行です。私は拝殿の横で待ち状態。右を見ると、登山口がありました。
ーーあぁ、これだな、三輪山への登山口は、登ってみたいけど、大神神社の御神体の山だから、私は遠慮しておこう。物見遊山で登山ではないのだから……
そんなことを考えていると、妻が、まんべんの笑顔で、ペットボトルを抱えて戻ってきました。
「御神水を三本いただいてきたよ。子供や孫の分だよ」
ーーやはり、ここで飲んだだけでは、足りなかったようだな。それにしても、重そうやな。誰が持つんやろ…… あっ、俺か!
ペットボトルと御朱印帳を、ザックに入れると、ずっしりとした感触が両肩に伝わってきました。
「この前に大きな池と展望台があるけど、行ってみる?」と私が聞くと、
「もう、そう歩くところはないのよね。じゃぁ、行ってみる」
石段を降り、山の辺の道に戻ります。
途中、右手に池があります。「鎮女池(しずめいけ)」と呼ばれています。鎮女池の中に小さな祠「市杵島姫神社」があり、朱の鳥居が建っています。そこもお参りして展望台に向かいました。
池の横の道を進むと「左展望台」の標識があり、指示にしただって階段を上ると、懐かしの展望台が現れました。
ーー前回、迷いに迷って、ここで休憩したんだったよなぁ。あの時は、まいったなぁ。
前回と同様、このベンチでしばし休憩することにしました。お茶を飲みながら、三輪の田園地帯を眺めます。
「ここから、右に降りると、知らない名前の神社に行きついて、また道迷いをする結果になってしまったんだよ」
「それなら、今回は来た道を戻りましょう」
と、妻は無難な道を勧めます。これには私も同意見です。狭井神社まで戻って、最後の目的地、大神神社に向かいます。
大神神社までは、山の辺の道を二百メートル足らず。整備された道を歩きます。
すると、大神神社の手前で妻の絶叫が、
「キャッ!」
後ろを歩いていた私も、思わず足がすくみました。
「なに? どうした?」
「それ!」と指さす先を見ると、
なんと、一メートルくらいの長さの白蛇が二匹、もつれあいながら、道横の石垣を登ろうとしていたのでした。二人とも足がすくんでしまって……
私は、白蛇だと思ったのですが、妻は、
「少し黄色味がかっていたよ」と教えてくれました。
大神神社には、オオモノヌシノカミの白蛇伝説というのがあります。古事記にでてくる由緒正しい神話なのです。
「三輪山のふもとで、この二匹の白蛇に会えたのも何かの縁で、ありがたいことです」
と、妻は白蛇が去って行った方向に向かって手を合わせていました。
私も古代史を勉強しているだけに、不思議な遭遇だと感動しました。
ここで、三輪明神 大神神社の神話を紹介しましょう。古事記、日本書紀の話を要約すると、
「崇神天皇の時代に百襲姫という美しい姫がいました。大神と恋仲になったのですが、大神は、夜しか姫の所に来ません。姫は、顔をはっきり見たいと大神に言いました。そうすると、大神は、
「私は、箱の中にいるが、箱を開けても決して驚いてはいけないよ」と言いました。不審に思い、明朝に姫が箱を開けると、そこには、小蛇がおり、姫は悲鳴をあげてしまいました。
大神は、蛇から男性に姿を変え、約束を破ったことを責め、二度と姫には会わないと言い、三輪山に帰ってしまったのです。後悔した姫は、自分で命を落としてしまいます」
大物主大神が蛇に姿を変えた話は、日本書紀の雄略天皇のところにも出てきます。
大神神社で蛇は「巳さん」と親しみを込めて呼ばれており、福徳をもたらす霊威として崇められています。境内の各所に卵がお供えされているのも、巳さんの好物の卵をお供えしようという信仰の表れとのことです。
大神神社の境内に入ると、多くの人が訪れていました。
三輪明神 大神神社
大神神社は、古事記や日本書紀の神武天皇東征に出てくる日本最古の神社です。本殿はなく、背後の三輪山をご神体としてお祭りしています。
古事記、日本書紀によれば、
「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が、出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に、三輪山に祀られることを望んだ、とされています。
古来、本殿を設けずに、三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初の神祀りの様を今に伝えており、その祭祀の姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれているのです。
三ツ鳥居と拝殿(重要文化財)
大神神社拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所です。
拝殿の後方には、三ツ鳥居があり、これは鳥居を横に三つ並べた独特の鳥居です。
拝殿は鎌倉時代に創建。現在の拝殿は
一六六四年、特川四代将軍家綱公によって再建されたものです。(重要文化財)
大神神社には、ほかにも多くの神話が伝えられています。興味ある神話をいくつか紹介しましょう。
「三輪」地名の由来について(古事記より)
大物主大神と活玉依姫(いくたまよりひめ)の恋物語
美しい活玉依姫と若者が恋に落ち、妊娠しました。両親は、若者を不審に思い、糸巻きの糸を若者の衣に、針で縫いつけるように指示します。
翌朝になって見ると、糸は鍵穴を通って外に出ていました。後に残っていた糸巻きは、三勾(みわ)だけでした。そして、糸を辿ってゆくと、三輪山にたどり着いたのです。これによって、若者が大物主大神であることが分かりました。この時に、糸巻きが三巻き(三勾)残っていたことから、この地を美和(三輪)と名付けたらしいです。
お酒の神様の話
崇神天皇は、高橋邑の活日(いくひ)に、神酒の醸造を命じました。そして、活日は一夜にして美酒を作ったのです。活日は、御酒を天皇に捧げ、
「この神酒は、私が造った酒ではありません。大和の国をお造りになった大物主大神が醸されたお酒です」と言いました。
これより、大物主大神は、酒造りの神として敬われるようになったといいます。
大神神社のご神木は杉で、酒の神である大物主大神の霊威が宿る杉の枝を酒屋の看板とする風習が生まれ、軒先に酒ばやし(杉玉)を吊るすようになったらしいです。
ーーいろいろ興味深い話が残っているものだな
拝殿の前に立ち、奥の三輪山を見上げ、それぞれの感謝の気持ちを込めて手を合わせます。参拝の後、御朱印をいただき境内を後にしました。
参道に戻ってすぐの道を右に曲がると、「三輪そうめん」と書いたお店がありました。
三輪は、そうめんで有名であり、私も奈良の食べ物としては、最も期待しています。その本命の登場ですよ。その店は、ネット動画やガイドブックに紹介されていた、三輪そうめんの老舗 有名店「森正」という店でした。
武家屋敷の立派な門構えから中に入ると、屋敷の中庭に、机といすが並べられていました。
早速、私は、冷やしそうめんと柿の葉寿司のセット、妻は、にゅうめんを注文しました。三輪そうめんというのは、コシが強いのが特徴で、かなり高価な品と聞いています。大いに期待をし、期待度は最高レベル。
運ばれてきたそうめんには、美味しそうなしいたけやエビと一緒に、氷の上にのせられたそうめんが、つやっぽく光っています。氷の上のそうめんを、つゆにつけ、すすりました。
「アレ?!」
「ん?」
ーー美味しい! でも、いつも家で食べている、小豆島そうめんと変わりないのかなぁ~!
美味しかった。コシもあるし、だしもいいお味だったし、そうめんとしては言うことなしの美味しい冷やしそうめんでした。その日は、少し暑く、汗をかいていたので、そうめんの冷たさに体が生き返ったような気がしました。
家内も美味しいねと言って大満足でした。食事をした後、元気になった家内は、
「まだいける!」と、やる気満々です。
そうめんのお店を出て、参道の反対側、左に進みます。
「神社のDVDにこの突き当りの神社を紹介していたね」
「なんという神社だだったか覚えてないんだけど……」
二人とも、同じDVDを見たので、確かに、この奥の神社も、お参りしようと勧めていたような気が……
数十メートル歩くと、右に「子安地蔵尊 ボケ封じ地蔵尊」と表されたお地蔵様がいらっしゃったのでお参りさせていただきました。
さらに進むと「若宮」と書かれた鳥居が見えてきました。
「ここだ、若宮社だった」
低い石段を十段ほど上がり、鳥居をくぐって境内に入ります。拝殿で参拝を済ませましたが、妻のボルテージは上がっていません。
ーーやはり、御朱印がないのが原因かいな?
などと思いまながら、石段を降ります。
階段を降りると、左にまだ小径が続いていました。妻がその道の先を指さして、
「この先に神社があるみたいよ。知恵の神様 久延彦神社と書いてある。前に迷い込んだと言っていた神社じゃない?」
ーー私には、道の先には何も見えないが……
とりあえず、その標識のところまで行ってみよう。
両側に二本の柱としめ縄の鳥居井があり、その奥に石の階段が続いています。
「こんな長い階段ではなかったと思うけど……
それに、拝殿から降りたけど、階段は少しだったよ」
「とりあえず、行ってみましょう!」
ーー元気やなぁ~! 妻は、御朱印帳を手にすると人格が変わるのではと思えるほどだ。これは言えない! 言えない!
結構長い自然石でできた石段を上ると、
「あっ! ここだ! ここに迷い込んだんだ」
そこには前回迷い込んだ、懐かしい神社がありました。
ーー人間の記憶というのは、いいかげんなものやなぁ~!
しみじみと自分の記憶の不正確さにあきれてしまいました。そんなことを考えていると、もう妻は御朱印帳を持って準備万端の様子。
知恵の神さまに、これ以上知恵がなくならないようにお願いしました。
久延彦(くえひこ)神社
この神社は、 「くえひこさん」と呼ばれ、全国から受験生が、たくさんお参りに来ている知恵の神様だそうです。そのため境内には、合格祈願等の絵馬がたくさん掛かっていました。
ところで御祭神は久延毘古命だそうで、面白いことに「かかし」だそうです。ただ立っているだけの「案山子」ですが、常に世の中を見ている事から、知恵の神様として信仰されているとのことでした。
古事記の話として、大国主命の国作りを多くの神々が手伝っているのですが、誰も知らなかった名前を、久延毘古命だけは、知っていて、大国主命にお教えになったという話が伝わっています。
社殿の前には、展望台があり、大神神社の大鳥居が見えて絶景でした。ぜひ皆さんも迷い込んでみてくださいね。
ゆっくり石段を降り、参道にもどって、JR三輪駅に向かって歩きます。三輪駅に着くと同時に「カンカンカン」と踏切の音が聞こえてきました。
「あっ!これに乗ろう!」
ラッキーなことに、ちょうどやってきたのは、上り電車。シートに座って、ほっと溜息が漏れます。今日も体調を崩すことなく、予定道理巡れたことに感謝です。
ホテルに戻ってからは、同じパターンでの疲労回復の時間。五時になり、二人とも元気回復。
今夜は奈良最後の夜なので、贅沢をしようと
、JR奈良駅近くのお店を散策することになりました。
「このお店はどう?」
「ちょっと高そうよ」
「ここはどうかな?」
と、二階にある看板を指さします。ビルの中に入り、様子を見ると
「ちょっと、入りにくいかも……」
などと、あちこち、覗いては、ブツブツ言ってなかなか決まりません。
結局、奈良駅から、三条東リに入ってすぐの居酒屋に入りました。
奈良○○という店だったので、
ーー奈良の名物がいろいろ食べられるのかな?
と思い、期待したのですが、ごく普通の居酒屋メニューにちょっとがっかり。
奈良とは無関係の、お互いの好きなものを注文して、食べたのですが、何を食べたか?
いろいろ美味しくいただきました。あまり覚えてないですが、焼き鳥とか……
「お母さん、奈良の居酒屋で何を食べたっけ?」
「ん? 何を食べたのかな? 覚えてな~い!」
奈良の旅 五日目 元興寺/法隆寺
いよいよ旅行最終日です。妻の足が、疲労しすぎないようにプランをたてたつもりなのですが、それでも、毎日一万三千歩くらいにはなってしまいました。
最終日は、最も疲れることが予想されます。
何故かというと、帰りのフェリーの乗船時刻が二十時。つまり夜八時まで、外で時間をつぶさないといけないのです。疲れても、今までのようにホテルにもどって休憩をとることはできません。
しかも、通勤時間帯までには大阪の混雑地帯を抜けていたい。さあ、いちばん長い日のはじまり、はじまり!
ホテルをチェックアウトし、荷物を駅のコインロッカーに預けます。まずは、元興寺を目指しましょう。JR奈良駅から元興寺までは、約一キロ半、念のためグーグルマップに元興寺を登録し、スタート!
奈良駅東口を出て横断歩道を渡り、右に進みます。樹津横田線の大きな道を南に歩き、最初の大きな交差点を左折し、ならまち大通りに入ります。歩道があって、歩きやすい道を選びましょう。この道をひたすらまっすぐ歩きます。
ーー普通の街中を歩いている感じなので、退屈なのだろう。妻の表情がやや険しくなってきているようだ。朝の散歩にしては、暑いので、ちょっとハードだったかな?
ひたすら歩いていると、私の五感が、目的地到着を知らせてくれました。スマホの画面を見ると、右側に元興寺があるはずなのだが……
「あれ? おかしいな? この右側にあるはずなんだけどな?」
「特に、標識もないわねぇ」
「とりあえず、右側の小道に入ってみようか」
グーグルマップを頼りに、右の小道に入ります
ーーグーグルマップには、たまにやられるからなぁ~。
半信半疑で、小道を進むと、道の先にお寺の門らしきものが見えてきました。
「これは分かりにくいね。でも見つかってよかった」
「こっちの細い路地を廻るみたいよ」
小道から更に路地を廻って、受付に到着。ほっと一息。
元興寺は、寺の周囲ぐるりを、民家が取り巻いているため、入口だけでなく、お寺の存在自体も分かり難いようです。まさか、世界遺産のお寺が、民家の中に包まれているように存在しているとは思いませんでした。
ーーまいった、まいった。
元興寺(がんごうじ)
元興寺は、七一八年の創建で、飛鳥寺の名前で知られている、日本初の本格的寺院(法興寺)が、平城京に遷都した際に改名して移された寺です。奈良時代には、広大な境内を有し、現在のならまちも元興寺の境内だったそうです。
境内に入ると、本堂、極楽堂(国宝)があります。この極楽堂の瓦は、飛鳥時代の様式で葺かれており、当時飛鳥から持ってきた、千五百年前の瓦を使用しているとのこと。ビューポイントが指定されており、そこから見るとよく理解できました。迷いながらもこうしてお参りできたことに感謝し、手を合わせました。
極楽堂の右には、禅室(国宝)、左には、東門(重要文化財)を見学することができます。
また、境内にある「法輪館」には、五重小塔(国宝)が展示されています。
これは、奈良時代、光明皇后が創建した「西小塔堂」に安置されていた当時製作された五重塔の模型です。高さが、約五・五メートルあり、当時の建築様式や、内部の構造を見ることができる貴重な資料です。
元興寺を出て、小道をまっすぐ北の方向に歩きます。まもなく池が見えてきました。有名な猿沢の池です。
ーー前回のひとり旅の時には、鹿の足を踏んでしまって、鹿ちゃんに申し訳ないことをしたな。今日は、踏まないように、ちゃんと前を向いて歩かないといかんな。
猿沢の池周辺は公園になっていてベンチもあちこちに設置されています。その中のベンチに座って、小休止。妻といつものクッキーを口に入れます。実は「何か簡単に食べれる物を売っているお店はないかな?」と探してみたのですが、残念ながら見当たりませんでした。ーー残念!!
時計を見ると、十時過ぎになっていました。
「タクシーかバスでJR奈良駅に戻ろうか?」
「大丈夫! 歩いて、ぼちぼち戻れるよ」
この界隈は、お土産や様々な民芸品のお店があるようです。それらのお店を見ながら、奈良駅まで戻ることにします。
やはり、この興福寺・東大寺ゾーンから近鉄奈良駅からJR奈良駅の間は、観光客が多いので、人酔いしそう。昨日の、山の辺の道の静けさがうそのよう。
さて、次の予定は、法隆寺。法隆寺駅は、大阪に戻る途中にあるので、コインロッカーから荷物を出して準備します。
「JR奈良駅から、大和路線で法隆寺駅まで行って、荷物はコインロッカーに預けよう」
法隆寺駅までは、約十一分 三駅目と近い。
法隆寺駅に着くと、早速、コインロッカーを探します。心配していたコインロッカーーも空いていて、無事荷物を預けることができました。もし、ここで空いているコインロッカーがなかったら、重たい荷物を持って法隆寺に行かなけれたならないところでした。これで一安心。
南口からでると、すぐ前にバス停があり、法隆寺行のバスがすでに停車していました。
バスは数分で法隆寺参道前に到着。
法隆寺は、JR法隆寺駅から、一キロちょっとなので北口から出て歩いても近い。
法隆寺参道前で降りて、時間を見ると、もう十一時近くになっていました。周りを見ると、大型観光バスがずらり。
ーーこれは、今のうちにお昼を食べておかないと混雑するかも……
妻がチェックしていた参道にある、柿の葉寿しの有名店に向います。
私は、三輪そうめんと柿の葉寿司のセット、妻は相変わらず、にゅーめん。
もう、三輪そうめんは何回もたべているので、あまり期待はせず、何気なく冷やしそうめんを口にいれました。
「おっ!!」
「どうしたの?」
「これは違う。麺のコシがすごい!!」
今までに食べたことがない食観でした。
ーーこれが三輪そうめんなんだなぁ! これは、美味い!!
と、ひとしきり感動。そうめんは、今までにも、たくさん食べてきましたが、これだけコシのある麺は初めてです。他のそうめんと比較して、完全に有意差あり。
柿の葉寿司もとても美味しく、妻も、
「今までのそうめんやお寿司とは全然違うね」
と喜んでいます。当然、お店の前で記念撮影です。
柿の葉寿司専門店 平宗(ひらむね)
「平宗」は、創業一八六一年の老舗でした。
さすが三輪そうめん!
さすが柿の葉寿司!
伝統の味との出会いに感謝、感謝です。
両側に松の木を配した参道を、ゆっくり歩くと、法隆寺の五重塔が見えてきました。
法隆寺
法隆寺は、六〇七年に聖徳太子が創建した寺です。聖徳太子は、冠位十二階、憲法十七条の制定、遣隋使の派遣などで有名ですが、最近は教科書で「厩戸王」と称されているようです。
法隆寺は、その後、六七〇年に全焼したのですが、奈良時代に飛鳥時代の様式で復興されました。
参道を突き当たると、南大門があります。ここが法隆寺の入口です。(南大門 室町時代 国宝)
創建時のものは、一四三五年に焼失したのですが、三年後に再建され現在に至っているとのこと。
南大門を通って、真っすぐ進むと、中門があります。(中門 飛鳥時代 国宝)
中門の両側には、金剛力士像が立っています。奈良時代創建の像で、長年の風雨にさらされた為、痛々しく感じました。中門の両側には、回廊が巡らされていますが、中門から中にはいることはできません。回廊に沿って西に、見学者用の入口がありました。
中に入り、回廊に沿って右に進むと、先ほどの中門の内側に到着。(回廊 飛鳥時代 国宝)
回廊は、東に鐘楼、中央に大講堂、西に経蔵を繋ぎ、五重塔と金堂を囲んでいます。
中門の付近で、回廊の柱にそっと触れると、古代の木材独特の優しさと柔らかさを感じます。しばらく、木肌に触れ、時の流れと会話します。
回廊の柱は下が細く、中央下部が最も太くなり、そこから上に向かってまた細くなっています。理由は、よくわかっていないそうですが、強度を上げるためではないかという説があります。ギリシャのパルテノン神殿も、エンタシスの柱として有名ですが、これは下から見上げた姿を意識したものとのことです。
回廊に沿って、東に、そして曲がって北に歩くと、鐘楼があります。(鐘楼 平安時代 国宝)この鐘は、現在でも年中行事で使用されているそうです。
回廊を西に曲がると、大講堂があります。
間口が九間もあり、存在感があります。(大講堂 平安時代 国宝)
回廊を南に曲がると経蔵があります。(経蔵 奈良時代 国宝)元々は、経典を納める施設でしたが、現在は、百済の学僧、観勒僧正像(平安時代)を安置しています。
回廊を一巡し、中門前に戻ります。中門から北を望むと、左に五重塔、右に金堂が鎮座しています。テレビなどでよく見る構図ですね。
金堂は、西院伽藍最古の建築(飛鳥時代)で、国宝に指定されています。五重塔は、日本最古の塔で、飛鳥時代建築(国宝)です。
このあたりは、さまざまな番組で紹介されていますので詳細は省略します。
西院伽藍を出て、左の東院に進みます。横の壁は、年度を何層にも突き固めた築地塀(重要文化財)が続いています。
東大門(奈良時代 国宝)を通って、東院に入るとすぐ、夢殿(奈良時代 国宝)が迎えてくれました。ここは聖徳太子の斑鳩の宮の跡とのこと。
法隆寺はあまりにも有名で、写真やテレビなどで何度も見たことがありますが、実際に目の前で見ると、その歴史的重さを感じますね。広い境内をゆっくり鑑賞しました。もう有名なので詳しい説明は省略しましたが、木の建造物独特の香りとそれらが年を重ねた雰囲気とが一体となり、なんとも言えない重厚感を醸し出していました。
私は仏像は、ぼやっとしか見えないので、妻が説明してくれましたが、心の眼で鑑賞することができました。
夢殿は、特別拝観中で、直接本尊を拝むことができ、ラッキーでした。よくぞ、この時代に、このような建造物が作れたものだなと感心します。
ロケットの打ち上げや月面探査、新型ジェット機など失敗続きの日本ですが、これら先人の仕事を見て、再起してほしいものですね。
じっくり鑑賞していると時間のたつのも早いもので、もう三時半になっていました
とりあえず混雑する大阪中心部を早く通り抜け、海遊館などがある大阪港に行くことにしましょう。
バスで法隆寺駅に戻り、JR大和路線で弁天町まで行きます。この時間帯は、弁天町まで乗り換えなしで行くことができました。
JRの改札を出て、階段を上り、地下鉄中央線に乗換えます。間もなく大阪港駅に到達。
ーーここまでくれば一安心。もう混雑に悩まされることはないな。妻もほっとした顔をしている。荷物をコインロッカーに預けてと。
この時間帯でも、海遊館などがあるためか、ほとんどの人がここで降りるようです。欧米や台湾、東南アジアの人々が多く、どこかの国に迷い込んだような気持になります。彼らの後に続いて、海の方向に歩きます。風が強く、時折突風に足が止まります。
風の様子を見るように、前方を眺めると、すごいものがありました。
このエリアで最も目立つ巨大な観覧車が目の前に、ドーンとありました。
「これはでかいね。松山にある高島屋の観覧車とは比較にならんね」
「ほんと、大きいわねぇ。でもこんなに風が強いのに大丈夫なのかな?」
「人は、乗ってる?」
「たくさん乗っているよ。怖くないのかな?」
「せっかく来たのだから乗ろうか?」
「えっ! 大丈夫かな?」
道を渡って、乗車券(?)を買い、エレベーターで二階の乗り場に行きました。
ところが、そこには十数メートルの長蛇の列が……
呆然として、立っていると、案内係りのお姉さんが近づいてきて
「ご利用は、シースルーゴンドラですか、通常タイプですか?」
と聞いてきました。とりあえず、
「普通のタイプで」
というと、
「こちらからどうぞ」
と、長い列の横のゲートに案内されました。
なんと、誰も待っていません。すぐに乗ることができたのです。妻が、
「シースルーゴンドラって、床も椅子も透明になっているよ。恐ろしい……」
と、後ろのゴンドラを見ながら言いました。
「えっ! この床や壁が透明……恐ろしい!」
シースルーゴンドラに乗るために、あんなに長い列を待っていることに、二人で驚き。
説明板によると、天保山大観覧車は、直径百メートル、地上百十二メートルの大きさで、ゴンドラの数は、六十台(うちシースルーゴンドラは八台)で、一周十五分とのことです。
地上では、風が強いので、揺れないかなと心配だったのですが、ゴンドラが、時折きしみ音をたて、少し揺れるくらいで、生命の危機を感じるほどではなかったです。夕日と大阪港が遠くまで見通せ、まさに絶景でした。
天保山マーケットプレイス
観覧車のあるビルは、天保山マーケットプレイスと呼ばれていて、フードコートやさまざまなお店があります。
それらのお店を妻と見て回っていると、大阪らしいお土産屋さんがありました。さすが浪花のお店という感じで、ギンギラしていて、「おもろいもの」が並んでいます。
昔懐かしい「岩おこし」が目について。
「コレコレ、大阪のおじさんたちは必ずこれを買ってきてくれたな」
「京都のお土産は、八つ橋やったね」
包装も以前のままのように思えます。ついつい買ってしまいました。
その後、フードコートでビールを飲みながら三種類のたこ焼きを食べて、お腹の虫をおちつかせます。
近くの、日本一低い山、標高四・五五メートルの天保山にも登頂しました。
六時近くになったので、そろそろフェリーターミナルに行くかということで、地下鉄中央線の大阪港駅に向かいます。そして、地下鉄、ニュートラムを乗り継ぎ、大阪南港フェリーターミナル駅に到着。
私は、定年前後に、ひとり旅で、福井三回、京都二回、奈良一回、滋賀県長浜、安土に一回行き、その度にこのフェリーを利用しています。そして、いつもこのフェリーターミナル駅の、この改札を通る時、
「あ~、旅も終わりか~、楽しかったな~」
と、寂しく感じたものでした。
今回も、同様の思いにふけっていると、
妻が横で
「あ~、やっと帰れる! 疲れた!」
と、一言。
「エー、つまらなかったの?」というと、
「楽しかったけど、もう体が、いっぱい、いっぱいよ」それでも、よくがんばったと思います。いい運動の旅になったのではないでしょうか? ヨロヨロモタモタの夫婦珍道中も終宴となりました。
追記
旅行から帰って四日経過しました。妻は、以前よりは、確実に元気になったようです。私は、一昨日から昨日まで頭痛で寝込んでいましたーーやっぱり年かな?