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嘆くのではなく、望む。
日本に着き、またこちらでの生活が始まりました。
今回は遊びで行ったわけではないのですが、私は西洋のお城が大好きなので、お城のような建物で出来上がっているストックホルムの街は、いるだけでテンションの上がる場所です。
向こうに行くとこっちに住みたい!という気持ちがムクムクと湧き上がってきます。非日常だからこそ良く見えるのかも知れませんが。
それに、私はお義母さんが好きです。何をやっても喜んでくれる。自分の親がかなりテンションを下げにかかってくるような人たちなので、もうすごく良いお義母さんだなと感じるんですね。そんなお義母さんに、旦那がワガママな態度をとっているとイラッとします。自分がどんなに恵まれた環境に生まれ育ったのかまるで分かってない、と思う。(それは外部からひょっこりやってきた人間の感想で、親子にしか分からない引っかかりのようなものがそこにはあるのかも知れませんが。)
そんな良いお義母さんを置いてスウェーデンを去るのは忍びないし、向こうに住めたらいいのにな、という気持ちもあります。でも現状はおいそれと動きそうにはないし、自分の気持ちもそこまで定まっていません。
そういう時、今までだったら自分の力不足を嘆き、ただただ悲観的になっていました。でも今は違う。お葬式に参列して、人生にはやはり終わりが来るということを再確認したことも大きいかも知れません。ただ嘆いてるのは時間のムダ。楽しまなくては。と普通に思うようになりました。
そしてここからまた突然話がスピな方向に行って興味のない方には申し訳ないんですが、個人的にこの人は本物だ!と思ってよく本を読んだりしている並木良和さんというサイキックの方がいるんですが、向こうで暇なとき彼の動画を見ていましたら、その動画の中で並木さんは「どんなに望んでもいいんですよ」ということを言っていました。そして意外なことに、望んだ後は忘れるということが大事らしいです。執着しないということですね。
また、人間が望むことで宇宙は拡大するという側面もあるのだそうです。逆に望まなくなってしまうと宇宙は成長を止めてしまう。ということは、宇宙は私達に望んでほしいと思っているということですよね?
願ったってどうせダメでしょーとやさぐれて、最近は望むということすら殆どしなくなっていたのですが、まずは初心にかえって「私は〜したい!」と素直に望む。
よく語尾が「〜したい」だといつまで経っても叶わない現実を作り出すとか言われていたりしますが、その辺はどうでもいいっぽいです。
願うなんてタダだし、それでいつか叶うなら最高ですよね。私もよく考えたら薄っすらとしか願ってなかったのに叶っていることっていくつかあります。
戸建てに住みたいとか会社で働かなくても良くなりたいとか。でもそれがどこかしら理想どおりじゃないのは、望み方が控えめすぎたからに違いない。これからはもっと大胆に、本心のままに願うことにします(笑)