おやじの背中、親の心、えらそうな娘【今日学んだこと】10/11/2020
今日は日曜日。平日よりは「自分時間」が少ないですが、良い天気でお布団も干せた。
ヨシとしよう。
「おやじのせなか」のおやじの言葉より
朝日新聞で何年も続く人気コラム(らしい)、いろいろな人がおやじについて語る「おやじのせなか」コーナー。
今朝は、タレント・俳優の松尾貴史さんでした。心に届いたのは、松尾さんのお父さんの言葉。
「親は子どものもんやけど、子どもは親のもんやない」(朝日新聞 「おやじのせなか」2020・10・11)
「子どもは親のものじゃない」「子どもは親の所有物じゃない」など、よく聞きます。耳が痛いです。
分かっているつもりでも、すぐに忘れてしまう。自分の思い通りに動いてくれないことに、いちいち反応してしまう。
そしてこのように、「子どもは親のものじゃない」という言葉が聞こえてきたり、目に入って来たりするたびに、ハッと気づいて自分の気持ち・振る舞いを立て直そうと踏ん張ります。
親が子どもに過度な期待をしてみたり。昔叶えられなかった夢を託してみたり。こうした方がいい、この方が後で楽になるから、と無理に本人の気持ちとは正反対なことを押し付けたり。
気持ちはすごく分かる。行動にまでは移さなくても、心で思ったことはいくらでもある。でもやはり、所有物ではない。
子どもの気持ちに寄り添うこと。サポートに徹すること。そんなことを思い出させるのが「子どもは親のものじゃない」という言葉。
今日も最初はその感覚でした。
でも今朝この記事を読んでから、一日中頭の中で熟成させて、じんわり響いてくるのは「子どもは親のもんやない」よりもむしろ、
「親は子どものもんやけど」
の方。
警告された感覚が消えて、何だか励まされたような感覚。心が温かくなりました。その通りです。親は子どものものです。
そう思わない人もいるかもしれない。
でも少なくとも私は、娘や息子に「お母さんは自分のもの」と思って欲しい。子どもたちはいつか離れて行き、もっと大切な人を見つけるだろう。でもお母さんはずっとそばにいる。ずっとあなたたちのもの。
という、愛情いっぱいの気持ちを込めて、松尾さんのお父さんはこの言葉を言ったのかな、と(勝手に)想像しました。
いつの時代も親が子を思う気持ちは同じ。(最近は悲惨な事件も多いけれど)
そしてこちらも大切なことが書かれていました。
子どもの頃、父に「日本で一番偉い人って誰?」って聞いたことがあります。父は「人間に偉いとか偉くないはないんやで」と答えました。
そうか。そういう返事は思いつかなかった。確かに、どんな職業でも、どんな経歴を持った人でも、どんな外見の人でも、誰が偉いなんて言えない。
「偉い」という言葉にもいろいろ意味がありますけどね。ここでは「地位や身分が高い」という意味で使われたのだと思います。
ついつい「あの人は偉い人」関連の話は子どもの前でしてしまうけど、内容に気をつけよう。それが職業や外見についての場合は、知らず知らずに子どもにその考え方を植え付けてしまう。それが差別や同調圧力につながってしまう。
「偉い」の意味が「素晴らしい!」という意味なら、どんどん使いたい。でも子どもには分かりやすいように、「あの警備員さんは暑い中立ちっぱなしで立派だね。すごく大変なことなのに頑張ってるね。」と具体的に伝えた方が良いらしい。
ただ、岐阜に来たら気をつけた方がいいです。昔、関東から引っ越してきたばかりの頃。保育園に娘を迎えに行くと、入り口ですれ違う子どもたちが口々に、
「〇〇ちゃん(娘)、えらそうだったよ!」
と言うのです。え、娘、そんな偉そうなことしたの?ごめんね、意地悪したの?ごめんね、ごめんねと謝りながら教室へ。
先生に抱っこされぐったりしている娘。どうやら具合が悪かったらしい。
岐阜弁: えらい → 疲れた、苦しい
子どもは親の背中を見ている。親が自分の思い通りにさせようとする相手は、子どもじゃない。思い通りにコントロールできる唯一のものは、自分自身。
お手本になっているか?思い通りの姿になるまで努力するのみ。
さっき、「食器を片付けて!」と言おうとしたら自分のがまだだった。そしてダイエット中なのにお菓子を食べてしまった姿。見せられないわ~
サイトがあった!と思ったら有料でした。先は読めませんが……一応リンク貼っておきます。