seiko_f

人生50年をとうに過ぎて今まで生きてきて考えてきた事が誰かの助けになる事もあるかもしれないなどと思い文章をしたためてみることを思い立ちましたけどむしろ自分自身が何を考えているのかを文字にして確かめてみたいだけなのかもしれませんね?とりあえず始めてみます。よろしくお願いいたします。

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人生50年をとうに過ぎて今まで生きてきて考えてきた事が誰かの助けになる事もあるかもしれないなどと思い文章をしたためてみることを思い立ちましたけどむしろ自分自身が何を考えているのかを文字にして確かめてみたいだけなのかもしれませんね?とりあえず始めてみます。よろしくお願いいたします。

マガジン

  • 共有した写真を使っていただいてありがとうございます✨

    共有した写真を使っていただいた文章を集めてみました。いろんなキラキラをお楽しみくださいませ✨

  • 簡単おいしい適当お料理レシピ

    年に360日くらいおさんどんした主婦歴20余年の後、飲食店勤務で調理補助10年近くの経験をした後の、一人暮らし自炊の知恵をお裾分けしてます。簡単手早く美味しい家庭料理のエッセンスをお受け取りくださいませ。

  • 素敵なお話

    朝陽を撮ることができてラッキー!と思いながらnoteを読んでいたら、素敵なお話に出会いました。他の人にも読んでもらいたい。と思うnoteをここにまとめる事にします。

最近の記事

さらなるチャレンジ🎵

下記のnoteの後、無事に演奏会やイベントを終えて、気がついたら、1月の演奏会のメンバーの入団は7月で締め切るとのことで、慌てて入団したものの今年の夏の暑さ(9月半ば過ぎてお彼岸を迎えた今日も猛暑日の予報が出ている)と再び始まった演奏会への準備(参加団体をまたまた増やしてしまった)の為に思うようについていけてないのだけれど、未知の世界への挑戦はやっぱりワクワクしてしまう。 今更ながら団体名の言葉を検索してみたりしてなるほどと納得したり、やはり私の嗅覚は間違ってないと自信を持

    • 楽ちんカボチャスープ🎃

      ①かぼちゃを皮ごと適当な大きさに切って少なめの水で茹でる(蒸しても良き) ②火が通ったら汁ごとマッシュ ③牛乳でのばす ④塩で調味、お好みでコンソメ、生クリームを加えても良き ⑤(滑らかにしたければ②の後に裏漉しして③の後で濾す) ⑥粗熱をとったら冷やしても良き

      • 音の消えて行くところ

        snsで見かけて気になって、その演奏会のチケットを購入したはずだったのだけれども、慣れないインターネット上のことゆえ届くはずのメールは届かないまま、利用案内のお知らせと申し込み番号だけは届いて、問い合わせをしたまま、そのお返事メールが来ていたことすら見つけられず、年末年始のバタバタを過ごして、気がつけばカレンダーに場所と時間を書いてあったことに気がついて、仕事終えてからの電車内で問い合わせをしつつダメ元で現地へと向かった。 確認は取れなかったようだったが、ご好意で入れていた

        • 今ここに居るということ

          久しぶりにnoteに書き込みに来ました。 言葉にしたい思いが溢れてきたので。 忙しく予定をこなすだけで精一杯の日々に変わりは無いものの、いやむしろそこに何かを足すのかそれとも引くのかとは迷いながら、さらに興味の赴くままにご縁をいただいて見学に行った団体の話をしたい。 古楽を歌う団体の見学のお誘いにお応えしたのはsnsでお見かけした方とか団体のご縁でした。 その前に自己紹介がてら、私の音楽歴を記します。10余年前に、学生の頃以来の吹奏楽団体に所属した時は、高校の同期会で

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        記事

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          ご近所に晩秋の実り

          ご近所に晩秋の実り

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          天高く食欲の秋到来です!!!

          天高く食欲の秋到来です!!!

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          バッハへの誘い

          いつの頃からか?バッハの曲に特別な思いを持つようになったのは?いつのまにか少しずつ時を重ねる毎に色濃くなってきたその思いを紐解くことも重ねてきたのだけど、思い立って訪れた今夜の演奏会を聴いて理解したのは、情念とは対極にある弛まぬ仕事の堅固さに惹かれているのだということだった。 何であれ、与えられた日々の勤めを祈りに変えることは可能なのだと、改めて、ひとつひとつの音の連なりが、そこにあることを楽しむことを教えてくれた。 命の尽きるその日まで、日々ひとつひとつ積み重ねたその経

          バッハへの誘い

          南瓜のシチュー

          簡単で手早くできて美味しいです! ①鍋にバターを溶かしてエノキタケを炒める(エノキタケは半分か4分の1に切ってほぐす) ②一口大に切ったスパム適量を投入(ベーコンやウインナーでも良いと思われる。今回はゴーヤチャンプルに使った残りのスパムを利用) ③塩コショウして混ぜたらシチューのルー適量の水を入れ一口大に切ったカボチャを入れて煮る(お好きな市販のルーでどうぞ。今回使ったのはハウスの顆粒状のもの) ④煮えたぎったら火を止めて適量のルーを投入(ルーの作り方参照) ⑤弱火

          南瓜のシチュー

          今日は立ち上がるのか?はたまた流れて行くのか?

          例えば私がタンポポの種ならば風に任せてたどり着いたそこで発芽できるかどうか?それすらもなりゆき任せで良いのだろうけれども。 果たして今の私自身は、深く根を張り姿勢を正して高みを目指すべき時なのか?あるいは風に身を任せるべきときなのか? それを見極めるべく、凝り固まることなく、内なる感覚を研ぎ澄ませて、リラックスしていたいものです。 そしてその全てを楽しんでね?私。

          今日は立ち上がるのか?はたまた流れて行くのか?

          生きづらさについて

          早くに寝たので早くに目が覚めて、snsを眺めていた時、とあるツイートに目が止まりリプライを返した。 早速イイねとリプライをいただいたので、その方の固定されたツイートに添付されたブログを読み、少し深掘りしてリプライの内容について書いてみることにした。 まず、そのやりとりを示す。 「SOSを出そう」とは良く言われるけれども、本当に困った時には、SOSを出してもロクな結果には繋がらないと身に沁みている。 私自身が生きづらさを自覚したのは思春期と共にだったので、今ならば思春期

          生きづらさについて

          具沢山冷やしトロロ丼

          夏場の作り置きオカズにピッタリ! ① 鶏胸肉一口大、ミックスベジタブル、めんつゆ濃いめで、煮込んで冷ます。 ② 長芋や大和芋をおろしてトロロにする。 ③ ①と②を合わせて冷蔵庫で冷やす。 ④ 食べる時にご飯にかける。 ⑤ お好みで海苔や卵黄乗せても。 (具はお好みで増やしてくださいね)

          具沢山冷やしトロロ丼

          あま〜い!

          子供の頃は、甘いものは好きだったはずなのだけれど、いつのまにか「甘い」物事全般がなんとなく苦手になって、苦いとか辛いとか酸っぱいとか、そんなところに価値を置いて生きてきたような気がします。 今日、還暦を迎えて、ご縁のあった演奏会を自分自身にプレゼントしたのだけれど、感想を一言で言うと「あま〜い!」という言葉になりました。 とても上質な「甘さ」が、私に甘さを楽しむ事へと誘ってくれました。 今まで、暖かい音、柔らかい音を目指して来たのだけど、そこに是非「甘さ」も加えたいと思

          あま〜い!

          『ダッタン人の踊り』を演奏してみたくて

          スケジュール的に厳しいとは思いながら、やってみたい気持ちに押されて、限定団員で参加した演奏会が終わりました。 案の定、演奏会二週間前に体調を崩してしまいなどしながら、土曜日練習、日曜日演奏会、平日お仕事、金曜日の夜練習、土曜日演奏会というハードスケジュールを終え、日曜日には一日中横になって体力回復につとめて、日常生活に戻りました。 久しぶりに体調を崩したのが何よりの不覚でしたが、それ以外は楽しみ尽くしたこの数ヶ月でした。 それぞれの演奏会に応じてお客様をお招きすることも

          『ダッタン人の踊り』を演奏してみたくて

          母と娘そして女と男

          下記の文章にある書籍を友から受け取った手提げ袋に、おすすめしてくれたものの他に、もう一冊の文庫本が入っていた。 きっとまた一気に読んでしまう予感がして、少し間を置いて、手に取ったら案の定あっという間に読了した。 短編集の初めに「愛情と呼ばれる檻につながれている人へ」終わりに「その檻、意外と脆いかもしれないよ」との言葉。 母から娘への支配と束縛。とても鮮やかに切り取って見せていると思う。その支配から逃れて良いのだと、その束縛の外にも世界は存在するのだと、自立を促しているの

          母と娘そして女と男

          ひとりひとりが鏡だとして

          生きてくる為に身につけた曇り(拘りとか思い込みとか)が生きにくさの元であることはわかる。いかにそれを落とすか? ツライ時は、その事に気がつくチャンスでもある。 大概、誰かの曇りをなんとかしようとしている。それができると思うことは傲慢なことなのかもしれないと今更ながら気づいた。 そこには辛そうだからなんとかしてあげられないか?(あなたがツライから私もツライ)という気持ちが働いているので、それを愛だと思って来たけど、相手にしてみれば、「オマエ何様⁉︎」だったことだろう。

          ひとりひとりが鏡だとして

          自分自身への帰宅

          黄昏時を過ぎ、暗くなった人気の無い帰り道、マスクを外して歩いてみた。夕餉の支度の匂いが鼻をくすぐる。 母を亡くしたあと、子供心に、夜道に灯りのついた窓や夕餉の支度の匂いに、悲しみとか寂しさとかが入り混じったなんとも言えない気持ちになった事を思い出す。 母となり、子育てと家事と仕事に追われて、その灯りの中にも、いろんな闘いが存在することも知った。 ひとりになって、それぞれの灯りの中に幸せが在る事を祈ることが、自分自身を豊かにしてくれることも知った。 いろんな思いを経験で

          自分自身への帰宅