【映画】『フィッシュマンズ』 - 記憶装置から追体験へのダイブ
ひとつの形に留まらない音楽とバンドの軌跡を、当時の資料と関係者の証言から辿る、3時間に及ぶ映像記録。
はじめに
私はフィッシュマンズを知りませんでした。
当てもなく街をふらつく仲の友人が「クラファンで作られた『フィッシュマンズ』ってバンドの映画があるんだけど、観に行かない?」と言われ、そのまま池袋のシネマ・ロサに観に行きました。
どんな映画か
まず、これは映画というより、当時の貴重な記録とともにバンドの軌跡を追うドキュメンタリー映像です。
恐らく、今後フィッシュマンズを語るうえで使われる資料といったところ。
ライブや音楽は少なく、情緒的なインタビューが中心、若くして逝去したボーカル佐藤伸治の追悼というよりは、残されたドラマー茂木欣一が主人公という構成になっています。
ライブ映像や曲自体はYouTubeにたくさん上がっているのでそれを見ればいい、むしろ既に視聴したこと、知っていること前提でわざわざここに入れる必要はないという判断があったと思います。
インタビューはYouTube動画のように見やすくカット編集されていないことから、語り部の呼吸や空気感を残したいというファン的な視点が感じられます。今後どこか(円盤特典等)でフルインタビューが見れる機会があれば良いと思います。
全体の流れはバンドの軌跡を追ってはいますが、インタビューで語られる以外で詳細な日時や事実を表記するといったことはせず、ネットで探せばわかることはあえて明記しないというスタイルです。
基本的に、バンドの世界観を構築した佐藤を中心に語られていますが、『映画』という側面があるとすれば、今後の『再結成したフィッシュマンズ』のバンド活動を支援する意図が見受けられます。
これらのことから、この映画は当時のバンド周辺の空気感を伝え、佐藤の消えた世界から抜けられない人々が当時を振り返り、同時に彼が創り受け継がれることとなったフィッシュマンズというバンドを応援する作品と言えるでしょう。
また、当時『男達の別れ』tourにも参加していたという熱心なリアタイファンの方のレビューが、この映画の当時のファンにとっての価値をわかりやすく伝えてくれているように思いました。
映画:フィッシュマンズのレビュー・感想・評価
一部抜粋:
あの「男達の別れ」@ 赤坂BLITZ の異様さを数々の証言が的確に伝えてくれて、この作品には絶対的な信頼をおいていいと確信した。
あの日、赤坂で、最初から最後まで私は涙を流し続けたし、私の記憶は20年を過ぎてもまるで薄れていないし、書き換えも行われていないと確認できた。
感想
佐藤のセンシティブな葛藤と絶望、
そういったアーティストの気分の一端、
その中でできる作品と世界観のリアリティ。
私自身は他人の意見に大して興味がないので、インタビューよりも佐藤という人物の人間性、アーティストとしての作品とそれを構成する仲間との向き合い方、泡のように自在に変形していく音楽性、それでいて佐藤という本質を常に内包する一貫性、そして彼が破壊的な美しさを洗練させていく過程に魅力を感じました。
音楽活動をする中で自殺してしまったりバンドメンバーとの音楽性の違いからソロになるミュージシャンは数多くいますが、時系列を追って見る佐藤の姿から彼らのブチ当たる葛藤というものの一端が見えてくる気がします。
特に『In The Flight』は彼のバンドメンバーや自分に対する生々しい思いをあまりにも素直に表現しています。
IN THE FLIGHT
歌詞一部抜粋:
ドアの外で思ったんだ あと10年たったら
なんでもできそうな気がするって
でもやっぱりそんなのウソさ
やっぱり何も出来ないよ
僕はいつまでも何も出来ないだろう
Linkin Parkのチェスター・ベニントンは親しい友人の死をキッカケに首吊り自殺してしまいますが、彼も『Nobody Can Save Me』という文字通り救われない曲を作っていて、なんとなく佐藤と似通ったものを感じます。
また、散り散りになったメンバーが佐藤の死(葬式)によって集結するという光景も何かを象徴しているようで印象的でした。
『フィッシュマンズ』の音楽性
“幽玄”、”浮遊感“。
これが私の感じたフィッシュマンズの音楽性のキーワード。
松本大洋の描く世界観と通ずるものを感じるし、落合陽一が作り出すメディアアートの数々を連想しました。
また、重力から解放されたように水中を漂う“魚”のような歌声を核とするバンド名を“Fishmans”と名付けた佐藤は、自分自身とこれから作られる数々の曲の特性を最初から確信していたように思えます。
また、“Fishmen”ではないところも、魚群というよりは次々メンバーが脱落していく“個”で形成されたいびつさを予感させる、そんな風に後から因果関係を結びつけたくなるネーミングセンスです。
私は映画を見たその日の夜、フィッシュマンズの曲を作成された時系列順にYouTubeの再生リストを作成しました。
リストを作りながら彼らの曲を聴いていると頭がフワフワしてくるのですが、それを味わってる最中に曲は終わってしまう。
そしてこう思いました。「曲がいつまでも終わらないでほしい」。
しかして、彼らはまさしくそんな曲を作っているのです。なんという神。
プレイリストを作った次の日の早朝、脳みそだけ起きた私はとりあえず『男達の別れ』をベッドで横になりながら聴いていました。
すると次第にいつもの頭の中の声が消え、身体と世界の境界がボヤけていくのを感じました。
左脳の活動が抑制され、右脳で曲を聴いている状態、つまり、半場トリップ、もしくは片足をニルヴァーナに突っ込んだような精神体験をしたのです。
音楽体験は数あれど、こんなにも容易に、かつ直接的な、言うなれば“音楽の効果”を得られたのは初めてでした。
この動画ではすべての曲が繋がりを持ち、時間感覚は拡散され、精神が解放されるのを実感することができるのです。
一発でこの曲(動画、音楽体験)は私にとって特別なものになりました。
後で村上隆とみの(YouTuber)のフィッシュマンズが海外にウケてる訳を分析する動画を見たのですが、その中で海外で特にウケてるのは『Long Season』と『男達の別れ』であると知りました。
また、村上隆は自身の作品が初めて海外でウケたのは『スーパーノヴァ(1999)』というキノコのポップアート作品が最初で、日本的なサイケという「ドラッグの文脈」として理解されたと言っています。
日本で『空中キャンプ』や『宇宙 日本 世田谷』が彼らの代表作と認識されるのは日本語の歌詞を含めた評価であるのに対して、『Long Season』と『男達の別れ』は言葉の意味とは関係なく特に強烈な陶酔感を実体験できるサウンドドラッグとしてわかりやすく好まれるというのは理解できる話だと思いました。
以上です。
映画『フィッシュマンズ』は、実際に彼らのことをよく知らない人間が観ても、
楽曲(作品)を作るということ、それに関するバンドや自分自身との葛藤がどんなことかという見方、素晴らしい音楽との出会いと知識・思考の種を得る良い機会になったと思います。
逆に“映画”だと思って鑑賞すること、バンドの音楽や特性・歴史的事実を紹介するのを期待する作品ではありません。それらは各々が自分で調べ解釈すべきところであり、この映画はその為の道筋とフィッシュマンズを取り囲む人々の記憶装置としての役割を果たすものだと思います。