男酒日記 88日目「夫婦の会話を減らそう」
「夫婦の会話を増やそう」というメッセージがはびこっているが、私はこれに異を唱えたい。
むしろ夫婦の会話は減らすべきだ。なぜなら、減らすことによって阿吽の呼吸が体得できるからである。
言葉などに頼るのではなく、空気を察しあえてこその夫婦ではないか(――というものの、我が家でそれがなしえているというわけではない)。
男と女なんてものは、一見おたがい人間の形をしているが、別種の生物と考えたほうがよいかと思う。
生命体としての目的も生きるための術も異なる者同士だ。女は男の性衝動はぜったいにわかるまいし、みずからの腹で血液型も違う生命を育て産むなんてことは、男にはとうていわかるはずがない。
わかりあえないと思えばこそ、おたがい歩み寄りが生まれる。これが思いやりというものであろう。
わかりあえると思い、むやみに会話を増やしたところで、結局喧嘩になるのがオチである。
昔のオヤジが、家の中で寡黙だったのは、こうした現実を踏まえてのことであろう。
彼らはもともと無口なのではなく、わかりあえぬ世界をそれぞれ抱える者同士の語らいの不毛さを知っていたのではないか。
よくいえば、言語などで支配しようとせずに、相手の存在を尊重していたということになる。
さて、この日記を書くようになってから俄然口数が減った。元来多弁な私であるが、読者に語りかけることで溜飲が下がったのであろう。
家内をはじめ家族との語らい、というか承認を得たいという欲が失せた。
これが結果として、一家和楽をもたらした。
会話に傾斜した人間関係は、陳腐な求愛行動に他ならない。沈黙に土台を置いた成熟した人間関係に回帰すべきではなかろうか。
写真:『悪妻の日本史』。どうやら妻というものは「良妻ー悪妻」というX軸と「幸運妻ー不運妻」というY軸で区分できそうである。
「良妻ー幸運妻」がベストであることはいうまでもないが、それに次ぐのは「悪妻ー幸運妻」のようである。(^^;;
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