男酒日記 97日目「もうチャラ男といわせない」
遊び人がモテると勘違いして、無理して遊んでいた。高校時代のことだ。
バブルという時代背景もある。汗水たらして努力するより、要領よくやるのがかっこいいというトンマな価値観が時代を支配していた。世にチャラ男自慢がはびこってきたのは、この時期からであろう。
あれから30年――
飲んだ食った、遊んだ集まった。フェイスブックを見れば、「チャラ男文化」がすみずみまで行き渡ったことがよくわかる。
私も長らく踊らされてきた一人であるが、気づけば50歳も目前だ。
同じ歳頃、信長は安土城を築き、天下統一間近であった。孫正義は福岡ソフトバンクホークスを設立し、さらなる事業展開に意欲を見せていた。
しかるに、こんなじじいがチャラチャラしているのはどう考えてもおかしい。フェイスブック君が4年前の記事をほじくり返してきて、私を赤面させるたびにそう思う。
もはや浮かれている場合ではない。人生の大事に向けて死にものぐるいの努力を重ねているべき時期であろう。
躍動的に活動できるのは、せいぜい今後25年だ。
司馬遼太郎先生は72歳で亡くなった。26年後、私はその歳を迎える。
楽して楽しんで72歳を迎えたところで、なんの人生であろうか。にわかにそんな焦燥感に駆られてきた。
モテたくて必死だった20代、金持ちになりたくてがむしゃらだった30代。
何にせよ、人間何かを追い求めているうちが花だ。
戦後、貧困で苦しんだ世代はカネや家に執着した。
彼らの時代の犯罪は、かっぱらいに始まり保険金殺人に行きついた。犯罪は世相を反映する。
こんにち、その対象は「愛情」に移った。愛情や賞賛を求めて、人びとはさまよう。ストーカーやリベンジポルノなどはその仇花である。
では、20年後どうなるのか。犯罪は「完全燃焼」希求型になるだろう。
志がない。燃えられる対象がない。そんな不完全燃焼感を苦にして自殺したり、やけっぱち犯罪に走ったりする者が出てくるに相違ない。
世俗的な欲望はおおかた満足している私がいま飢えているのが、まさにこの完全燃焼感だ。
こんな生煮えのままでは死ねぬ。そんな思いを年々強くする。これは歳のせいだけではない。成熟社会に生きる上での宿命なのである。
もういいオヤジだ。チャラチャラしている場合じゃない。もうチャラ男といわせない。
写真:司馬遼太郎先生のお墓は清水寺の隣の大谷本廟にあります。過日の京都行きの際は、お墓参りの後、先生が少年期過ごした竹内集落、司馬遼太郎記念館を訪問。司馬遼太郎を堪能した1日でした。
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