男酒日記 90日目「これで、ご先祖様に顔向けできる」

最近ふしぎな感覚にとらわれる。それは「断酒していない」ような感じになるのである。
かといって、飲んでいる感覚があるわけでもないし、じっさい飲んでもいない。
これは解脱症状(←造語)かもしれない。本格的に酒を意識しなくなったということだろう。
断酒以来、日々の目的は「飲まない」ことであった。飲まずに1日を終えられれば「勝利」であった。
仕事もろくにせず、毎日酒対策ばかりに精を出してきた。
だが90日にもなると、さすがに慣れてきて余裕が生まれてきている。それが冒頭で書いたような心境をもたらしたのだろう。
何をもって「当たり前」とするかが文化であるという。
我が盛池家は「大酒を飲む」という文化のもと、おそらく何百年も代々飲み続けてきたのだろう。
放っておけば、この文化は坊やにも受け継がれてしまう。だが、こんな文化は私の代で食い止めねばなるまい。
酒が貴重品である時代ならともかく、ここまで手軽な品になってしまったからには、よほど注意せねば身を持ち崩すことになるからだ。
私のモットーは「子孫繁栄」である。先祖たちもそうだったのだろう。子孫に美田を残そうと奮闘努力してきたことを私は知っている。
だがこの時代、子孫に残すものはもはや田畑ではない。では、カネや株券、不動産か。いや、そういう時代も終えようとしている。
いま我々が子孫に残すべきは、よき文化ではないか。
よき1日の習慣、よき1年の行事ーーその集積こそがよき文化を織りなす。
3代先の子孫たちが感謝してくれるような文化を構築してゆきたい。これでようやくご先祖様に顔向けできるというものだ。

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