男酒日記 84日目「幹事をやめたら、こうなった」
忘年会の予定が一つも入っていない。嫌われ者の私は、元々声がかかるほうではないが、例年にない事態である。
だが、原因はわかっている。それは「私が主催しない」からである。
忘年会にかぎらず酒席は、ほとんど私が主催してきた。
酒席にかぎらない。仕事でも家庭でも、たいていのことは私が主導的な役割をつとめてきた。私は「幹事屋」なのである。
幹事に求められるのは行動力、意欲、段取り力、調整力など、ビジネスに生かせるものばかりだ。
私の幹事力は、たしかに仕事には生かされてきた。それによって得たものは少なくない。
だが、これも諸刃の剣。その幹事力は家庭、地域、知り合い関係といったゲマインシャフトにおいては、ともすればあだとなりかねない。
へたに仕切ったりすれば、矢面にさらされ、批判や反発を受けることになる。
たとえ、みんなの役に立とうと頑張ったとしても、それが報われることは少ない。
義民の末路は石をもって追われるものだ。
そう考えると、世の「受け身家」たちは賢明であるといえる。割りに合わぬことに手を染めぬだけでなく、それが周囲との調和につながることを知っているのであろう。
私はこれまで受け身家をばかにしてきたが、じつは彼らこそが平和の体現者なのかとすら思えてくる。
だが、今さら彼らのような生き方は選択できまい。それは血液型を変えろというような話だ。
「幹事」として生まれついてしまったからには、そのなかで賢明度を向上させてゆくほかない。
私が愚かだったのは、「自分の領域」に絞り込めていなかったことである。私は守備範囲外でも「幹事」をつとめてしまっていたのである。
私はしばしば「余事に無用な関心を持つな」と言ってきたが、自分がまさに「余事の幹事」になっていたのである。
本当に必要な場を見極めて、さらに必要に応じて幹事でも世話役でもつとめればいい。
私はこのメリハリがわからなかったのである。
長らく家中で孤立してきた理由がよくわかった。これも断酒のたまものである。
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