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【熟年離婚】〈男の言い分77〉

息子二人の、デキのいい方に付く―そんな妻と一緒に人生終わりたくない。


 B氏、63歳。元・会社員。昨年、3歳下の妻と離婚。

 私には、34歳と30歳の息子がいます。長男は会社員、次男は病院勤務の医師です。―この二人が子供の頃から、デキのいい方に付く妻に我慢できなくてひとりになりました。

「賢兄愚弟」


 息子達のことですが、長男は、幼稚園の頃からデキが良くてね―読み書きも簡単な計算もスラスラ。妻は自分に似た、と言ってましたがね。子供はのびのび育てたい、という私の意見など妻は無視で、都心の名門幼稚園の試験を受けさせて―合格。毎日、妻の車で送り迎えした後、また名門小中学校へ。電車で40分、駅からバスで20分の通学。長男は重いカバンを背負って、黙々と通い続けました。

 彼は、成績は通年トップクラス。妻は手放しの喜びようで、「将来は医者に―」(医師は社会のエリート、と思っている。たしかにエリートなんでしょうね)と大張り切り―息子は素直に母親の“希望”に沿って一生懸命勉強していました。高校も名門に合格。進路を、母親の要望通り医大に定めて頑張っていました。高校の先生も「合格圏だ」と励ましてくれて、東京の医大を受けたが失敗。しかしめげずに、浪人で黙々と勉強を続けていました。母親は落胆しながらも、かいがいしく息子の世話をしながら、腫れ物にさわるように見守っていました。彼は、受験塾に通いながら頑張って、翌年、再挑戦。しかしまた、失敗。本人より妻のショックの方が大きかったようで、自分が試験に落ちたように泣き崩れました。私は黙って彼の肩を叩いただけ。彼も黙ってほほ笑みました。一生懸命、母親の期待に応えようと頑張った、いいヤツです。

 「もう一回、頑張って」と懇願する母親に、「もう、自分の思う通りにさせて」と彼は、関東の公立大学に入って家を出て行きました。

 一方、次男はというと、ちびの頃からやりたい放題。友達と外を遊び回って、字など読めない。それを母親が嘆いたら「オレ、モンモーだから」と。いつのまに覚えたのか、「文盲」のこと。それを聞いて転げるほど笑ったの
は私です。

 妻は次男には何の期待もしなかったのか、私の意見通り彼は地元の公立小中学校のコースに。―それからの彼は“水を得た大魚”。小学校から街のサッカークラブに入って、毎日真っ黒になって頑張っていました。中学も高校もサッカーの強い学校に行きましたが、高校入学早々の練習試合で利き脚を骨折して、泣く泣くサッカーを引退しました。

 ―この時大学生だった長男は、サッカーを諦めて泣いている弟を慰め、長い休みには家に戻って来て、次男が苦労している宿題や、苦手な学課を見てやっていました。

 妻はというと、“期待外れ”の長男と、もともとデキの悪い次男には関心を寄せず、おばさん仲間のお食事会、お菓子作りの教室通いに大忙し、でした。

 ある時、「“賢兄愚弟”っていうの、“愚弟”っては俺のことだねぇ」と次男が笑った時、彼が、そんな言葉を知っていて傷付き続けていたのに気付かされて、親としてほんとうにすまないと思いましたよ。

 勉強を見てやっていた長男が、ビリから数えた方が早い次男の成績がジリジリ上がってきた、とうれしそうに私に教えてくれました。いい息子達です。

 次男は、自分の部屋にこもって、何をしているのか―私の仕事が忙しくてなかなか話もできないでいて、妻はデキの悪い彼にサジを投げていて、いつしか、彼も高三の受験期を迎えました。高校の「三者面談」に私が行って、ひっくり返るほど驚いたのは、彼が医大を受ける、と。それを聞いた妻は「何考えてんだか」と冷淡なものです。そうして―なんと彼、合格。わが家の大事件です。妻はただ口あんぐり。本人は「ま、運が良かった」と淡々としていましたが、一番喜んだのは長男。こんなにいい息子達を持って、自分は本当に幸せだ、とつくづく思いましたね。

それぞれの人生


 それから時が経って、長男は公務員に、次男は関東の総合病院の勤務医になりました。こうなると、妻の関心は、「あこがれ」の医師である次男。何かに付けて彼のアパートにいそいそ出向いて世話を焼いて、彼から「お母さん、来させないで!」と懇願のメールがしょっちゅう。それでも、妻はお構いなしに次男のところに通い詰めていました。


 一方、妻は“期待外れ”の長男は放置。これも長男は喜んでいました。彼が、職場の後輩という結婚相手を連れて帰省した時、妻は「よろしく」と素っ気無い挨拶。彼女は素直そうな、いい娘さんで、私は心からうれしかったですよ。妻は「あの子が好きで選んだ人なんだから、いいんじゃないの」と淡々。

 しかし、次男の時は大モメでした。彼が連れて来たのは、高校時代のクラスメート。明るくて元気いっぱいで、彼女も“いい嫁”だ、と私はうれしかったんですが、妻はだんまり。彼らが帰った後、妻が言うには「我が家の嫁なんだから、それなりの家柄で、教養のある、奇麗なお嬢さんでないと。あんな普通の人じゃ世間体が悪い」と。なんと妻はそれを次男にも電話でガンガン言ったそうで。彼は、「もう、お母さん要らない!」と激怒。私も、熊ハンターを呼ぼうかと思いましたよ。

 「あいつらは、一サラリーマンの息子だぞ。わが家は“それなり”の家柄か? お前はお家柄の出か? 教養ある美人か?」と妻に詰め寄ったら、彼女はスーツケースを持って、わんわん泣きながら出て行きました。

 しかし、その夜遅くツンツン帰って来て、台所で飯をモリモリ食ってましたっけ。

 その後、彼らは“無事”結婚して子供にも恵まれました。息子の結婚相手が気に入らなかったがために、姑が我が物顔で息子の家庭に出入りする―その困った話、けっこう耳にしますよ―こともなく、二人とも兄弟仲良く家族ぐるみで付き合いながら、平穏な暮らしをしているようで、それを聞く私も幸せです。

 「離婚」が世間に「恥ずべき事」でなくなった今日、離婚の理由も様々でしょう。私と妻の場合、デキのいい方の子に付く妻との「性格と価値観の不一致」っていうもんでしょう。仕事の忙しさにかまけて、子育てを妻ひとりに任せっ放しだった父親としても、妻としっかり話し合うこともなかった夫としても、要反省ですがね。

 まだ元気で、やりたいことも見つかる今のうちに、お互いが好きに生きよう、ということに―離婚は、精神も金も、手続きも、その先の生活のことも、高齢ならとりわけ大変なエネルギーと思慮がいる。それでも、これからの人生の残り時間の大切さには代えられません。

 元・妻は、家に残って、いずれ手作り菓子の教室を開くとか。私は、隣市の親戚の古い家を借りて、地元の幼稚園の事務担当に再就職。小さな子供達と毎日を過ごしています。元気いっぱいの子供達と一緒にいると、一人ひとりのこれからの人生の幸せを願わずにいられません。―もうすぐ節分。園長と私が鬼の役をやることになっています。さてさて、その練習と、鬼のお面作りを始めないとね。(橋本 比呂)


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