廃炉完了の姿を決める「地元」とは ―【尾松亮】廃炉の流儀 連載19

(2021年10月号)

「事故を起こした福島第一原子力発電所の『廃炉』の最終的な姿について、いつまでに、どのような状態にしていくかについては、地元の方
々をはじめとする関係者の皆さまや国、関係機関等と相談させて頂きながら、検討を進めていく
ことになると考えています」(下線は筆者による)

 これは「どうなれば『廃炉』は完了するのか?​」というQ&A資料における東京電力の説明である。

 本連載で繰り返し指摘してきたように、「福島第一原発をどのような状態にすれば廃炉完了か」の法的な定義は定められていない。どのような状態にすることを「最終的な姿」として目指すのか決まっていないのだ。

 上に引用したQ&A資料で、東電はそのことを明確に認めている。東京電力廃炉推進カンパニー・小野明代表は「『廃炉の最終的な姿』はわれわれ一事業者が決められるものではない」と述べている(『AERA』2021年3月15日号)

 それでは「誰が」その廃炉完了の姿を決めるのか。

 東電は「地元の方々をはじめとする関係者の皆さま」と相談しながら検討する、という。

 しかし、ここで東電が言う「地元の方々」とは誰のことなのか、「関係者の皆さま」とはどこまでの範囲の人々を指すのか、それは示されていない。

 このままでは、東電が「国や関係機関」と相談して決めた「最終的な姿」を、限定された「地元の皆さま」に説明して事後承認させる、という事態も起こりうる。現行ロードマップの終了目標時期―2051年時点で、一部の立地自治体関係者だけの意見を聞く、ということだって可能なのだ。その場合、事故で避難を余儀なくされた元々の住民を含む多くの国民が「合意形成」の蚊帳の外に置かれる。

 本誌前号では、来る衆院選の立候補予定者に対するアンケートでこの問題を取り上げ、「(廃炉完了の姿について)合意形成に参加する『地元』の範囲についてどう考えるか」尋ねた。その結果「県全域とするべき」という回答から「(福島第一原発が立地する)双葉・大熊両町のみ」という回答まで、各氏の考え方にばらつきがあることが分かった。

 東電の経営判断や政府の都合で恣意的に「廃炉終了」を宣言できるような状況を放置してはいけない。そのためにも「廃炉完了要件」(最終的な姿)は法律で定める必要がある。その「廃炉完了要件」を定める立法過程では、特に原発事故で最も直接的な影響を受けた人々の意見を尊重することが重要である。議員(及び立候補予定者)や有権者一人ひとりに、この課題が問われている。

 国政選挙において、廃炉の「最終的な姿」を争点化することは一つの重要なステップだ。それ以外にも、参考人質疑や陳情を通じた「地元」からの意見表明、県民投票を通じた意思表示など、あらゆる民主主義のツールを使って議論を深める必要がある。

 東電は原発事故の加害企業で、政府も規制上の責任を問われている。東電・政府が恣意的に限定した「地元・関係者」と相談し、「事故炉の後始末をどこまでやるか」決めてしまうことを、許してはいけない。

おまつ・りょう 1978年生まれ。東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学。その後は通信社、シンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。現在、「廃炉制度研究会」主催。


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