帰れなかった安息の地、郡山|【高橋ユキ】のこちら傍聴席④
いまから20年前の10月、東京・奥多摩町の路上で切断された右腕が見つかった。ほどなく飲食店勤務、古川(こがわ)信也さん(26=当時)のものであると判明、警視庁は死体損壊・遺棄事件と断定し捜査を開始する。翌2004年1月には、当時18〜30歳の男女6人が殺人容疑などで逮捕され、うち数人が調べに「殺害して遺体を切断し、山中に捨てた」と供述。捜索した結果、古川さんの頭部が発見された。
ところが、右腕発見の報を受けるや否や、仲間の一部は海外に飛んだ。主犯格の松井知行、そして今回の主役である紙谷惣(48)だ。彼は南アフリカで逃亡生活を続けていたが、2020年、新型コロナウイルス感染拡大により生活が立ち行かなくなったことで、大使館に駆け込み帰国を希望した。松井はその4年前、現地で自殺している。
すでに元号も変わり令和となった今年1月、紙谷に対する裁判員裁判が東京地裁で開かれることになったのは、こうした経緯からだ。彼は殺人や死体損壊、生前の古川さんを監禁していた罪などで起訴されていた。
さて、この「奥多摩バラバラ殺人事件」の舞台はもちろん犯行現場の奥多摩ではあるが、そこに到着するまで、各地を経由している。そのひとつに福島県があった。松井を頂点とした偽造カード詐欺や違法薬物取引を行うグループだった面々は、まず古川さんを千葉県市川市内のレストラン駐車場に呼び出し、同行していた友人Aさんもろとも拉致。松井が当時住んでいた埼玉県戸田市のマンションに監禁し暴行を加えた。その後、Aさんは解放したが、古川さんだけを車のトランクに乗せ、奥多摩に運び殺害した。
生前の古川さんは松井との間に理不尽なトラブルを抱えていた。新しく飲食店を始めようとしていることを松井に嗅ぎつけられ、用心棒を持ちかけられていたのだ。だが開店を取りやめたことで松井の逆鱗に触れる。事件前にも一度、拉致され借用書を無理矢理書かされていたが、隙を見て逃げ出していた。そして市川市内の駐車場に呼び出されるまで、Aさんやお互いの彼女と4人で暮らしていたのが福島県郡山市だった。
ともに潜伏生活を送り、駐車場で古川さんと一緒に拉致された友人・Aさんは公判で、古川さんを〝信ちゃん〟と呼びながら語った。
「松井という男とトラブルになっていた信ちゃんに『東京は危ない。私と彼女の故郷、郡山に行こう』と提案しました。ウイークリーマンションを借り、4人で暮らしていました。事件の日、信ちゃんとハイエースに乗って郡山を出発し、私が前に住んでいたアパートに行って荷物を積み込みました。その後、信ちゃんが『会いたい人がいる』というので、そのまま千葉県市川市のレストラン駐車場に向かいました。
ところが駐車場に着くと、待ち合わせしていた女性の車から男たちが出てきて、信ちゃんも自分も囲まれ、殴られて車に押し込まれた……」
呼び出した女性は、古川さんの友人だったという。金をチラつかせた紙谷に頼まれたことから、嘘をついて古川さんを呼び寄せたのだった。
ささやかな安息を得た郡山のマンションに、古川さんは二度と戻ることはなく、無惨に殺害された。紙谷には懲役13年が言い渡されている。
たかはし・ゆき 1974年生まれ。福岡県出身。2005年、女性4人で裁判傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。以後、刑事事件を中心にウェブや雑誌に執筆。近著に『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』。
高橋ユキさんの『つけびの村』が文庫版になって小学館から発売されました。 追加取材のうえ新章を収録!
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