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【政経東北】首長のあるべき姿―巻頭言2021.8
以前、ある自治体の首長選立候補者を取材したときのこと。その候補者のあいさつ文を見ていたら、「前町長様のご尽力により……」というような記述があった。要は、「前町長の働きによって、この地域はこういう面で優れている」と敬意を表し、「自分が町長になったらさらにこうしたい」という内容だった。
ただ、敬意を表すのはいいとしても、「前町長様」という表現には強烈な違和感を覚えた。町長(首長)は、住民の代表者であって、例えば戦国時代の「お館様(領主様)」とはわけが違う。もっとも、町村レベルだと、政策云々よりも、家柄であったり、地域団体の役員を務めていたりといったことが優先され、その地域では相応の信頼を得ていたり、尊敬の念を集めている人が首長に就くケースが多い。加えて、選挙の洗礼を受けていることを考えると、ある程度敬うのは普通にあることだと思う。
しかし、仮にもこれから首長選に出ようという人が「前町長様」などと表現するのはどうなのか。
そのあいさつ文を読んだとき、筆者は「町長は自ら手を挙げてその職に就いたのだし、相応の報酬を受け取るのだから地域のための働くのは当然のことで、特別なことでも何でもない。この人は、町長のことを戦国時代の『お館様』のような捉え方なのだろう。ということは、自分が町長になったら、『オレは町長サマだ』といった態度になるのではないか。有権者はそんな人に町政を任せようと思うだろうか」という感想以外持たなかった。
ちなみに、それが関係しているわけではないだろうが、この候補者は落選した。
本誌2019年8月号に「高すぎる知事・市町村長の退職金」という記事を掲載したが、町村長レベルだと、多いところで約80万円の月額給与、年2回の期末手当のほか、1期4年間で1500万円前後の退職金が支払われる。市になると、その金額はもっと増える。果たして、首長がそれだけの〝財政支出〟に見合った仕事していると言えるだろうか。
少なくとも、筆者がこれまで見てきた首長は、平準的な仕事をしてきたに過ぎず、全国の模範となるような行政を行った人は思い浮かばない。選挙の洗礼を受けたということを考慮しても、日本国憲法が謳う国民主権の観点や、これまで見てきた平準的な働きぶりを見ると、とてもじゃないが、「首長様」などと崇め奉るような思いには至らない。
「民度が上がれば政治も上がる」などと言われるが、首長とはどうあるべきか、ということをさらに突き詰め、今後も伝えていきたい。
(末永)
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