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【横田一】中央から見たフクシマ83-「原子力伝承館」絶賛の菅首相に唖然

「原子力伝承館」絶賛の菅首相に唖然

 福島原発事故がまるでなかったかのように原発再稼働に邁進したアベ政治継承を訴えて総裁選で圧勝した菅義偉首相だが、「原発ゼロ社会実現」を目指して全国講演行脚を続ける小泉純一郎元首相は、政策転換の可能性を示唆していた。「菅首相に緊急直言!『脱原発を目指せば長期政権もあり得る』」(『サンデー毎日』10月18日号)と銘打った記事の中で、「(菅政権誕生で)原発政策、転換の好機?」と聞かれ、こう答えたのだ。

 「菅政権が原発ゼロにして自然エネルギーで発展できる国にしようと決断すればできることだ」「与野党の支持を受けるからこその長期政権だ。大きなチャンスが目の前にある。菅さんがそれに気がつくかどうかだ」

 しかし9月26日の福島訪問で菅首相を二度直撃した私には、「非現実的な絵空事」にしか思えなかった。

 この日、菅首相は午前中に福島第一原発を視察した後、最後に「県立ふたば未来学園中学・高校」(広野町)を訪問。交流会で生徒から原発事故による風評被害対策に関するプレゼンを聞いたのに、講評で原発政策について触れることはなかったのだ。

 そこで、会場から出てきた菅首相に「総理、原発ゼロへの意気込みを一言。原発推進で安倍政権と同じか。福島で原発について一言、言って下さい」と問い掛けたが、菅氏は無言のまま立ち去って行った。

 その直後に校庭で囲み取材があったが、質疑応答は3問だけ。そこで会見終了直後、「原発推進は続けるのか。安倍政権と同じか」と再び声掛け質問をしたが、ここでも菅首相は無言のまま車に乗り込むだけだった。

 メディアは「初の地方視察で福島訪問」などと報道、まるで原発事故の被災者に寄り添っているかのような印象を与えたが、実際には、原発推進転換の意気込みは全く語らないまま、福島を後にしていたのだ。

 菅首相は平沢勝栄復興大臣らと一緒に「東日本大震災・原子力災害伝承館」も視察。「(複合災害を経験した)福島の歩みを大いに発信する施設。多くの皆さんを感動させ、学習させるものがある」と称賛したが、この発言にも唖然とした。9月23日の朝日新聞は「語れない『語り部』 特定団体の批判含めぬよう求める手引『被害者の私たち東電や国批判できぬのか』」と報じていたからだ。

 伝承館の語り部の一人、大谷慶一氏(いわき市)も首を傾げていた。

 「私たち福島県民は『原発事故は人災』『東電に責任はある』と思っています。私は語り部の講演で地方出張をするのですが、『原発反対』『原発廃炉』とはあまり聞かない。だからこそ福島県民は、原発事故の被害を受けた住民として、もっと発信をしないといけない」「伝承館にはずっと違和感があった。展示物はあるが、そこに(被災者の)感情、情念がない。『故郷喪失がなぜ起きたのか』といった思いが伝わって来ない」

 伝承館を管理・運営しているのは、(公財)「福島イノベーション・コースト構想推進機構」。国の団体であるためか、原発推進の安倍政権に忖度したような展示内容になっていたのだ。そんな施設を絶賛する菅首相は、「前政権の原発推進政策を続ける」と宣言しているとしか見えないのだ。

 福島第一原発事故における国の責任を認めた仙台高裁判決(生業訴訟)の対応を見ても、菅政権は第三次安倍政権にすぎないことが実感できる。平沢大臣は10月6日の会見で「判決は個別の案件でコメントは差し控えたいと思います」としか答えず、国は10月13日に上告したのだ。

 原発事故における国の責任を認めようとしない菅政権(首相)からは、脱原発を望む福島県民の思いを実現する気配すら感じ取れないのだ。


フリージャーナリスト 横田一
1957年山口県生まれ。東工大卒。奄美の右翼襲撃事件を描いた「漂流者たちの楽園」で1990年朝日ジャーナル大賞受賞。震災後は東電や復興関連記事を執筆。著作に『新潟県知事選では、どうして大逆転が起こったのか』『検証ー小池都政』など。


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