衆院福島3区に〝地殻変動〟
衆議院福島3区は「玄葉王国」と呼ばれるくらい、長年、玄葉光一郎氏(55、9期、無所属)が危なげなく当選を重ねてきた。そんな同区に〝地殻変動〟が起こりつつある。
衆議院福島3区は「玄葉王国」と呼ばれるくらい、長年、玄葉光一郎氏(55、9期、無所属)が危なげなく当選を重ねてきた。そんな同区に〝地殻変動〟が起こりつつある。
昨年、国会を見学したという県南地方の経済人は、議場を見渡してこんな感想を抱いたという。
「議席は議長席に向かって左から右に所属議員数の多い党から順に座るが、上杉氏は1年生議員なので最前列の方に座っていて、すぐに見つけることができた。他の県選出国会議員もだいたい見つけられたが、玄葉氏だけはどこに座っているか最後まで分からなかった」
それは玄葉氏が現在、無所属で活動していることが影響している。無所属議員は議席が隅の方に置かれ、目に入りにくくなっているのだ。
1993(平成5)年の衆院選に旧福島2区から無所属で立候補し初当選した玄葉氏は以来、一貫して野党議員として活動してきた。二度目の衆院選では当時の自民党・荒井広幸氏に選挙区で敗れ、比例復活に救われる苦汁をなめたが、三度目以降は相手が次々と変わっても圧勝を飾ってきた。
その背景に、当時の佐藤栄佐久知事の存在があったことは言うまでもない。栄佐久氏の娘と結婚した玄葉氏に対しては、純粋な野党支持者だけでなく「地方選挙は自民党をやるが、国政は玄葉氏を推す」という人が参集した。「栄佐久氏ににらまれたら自分の選挙活動がままならない」と〝岳父〟の威光がそうさせた面は多分にあったが、玄葉氏自身も熱心に支持者を増やしていった。
いつしかその人たちは支持者の域を超え、何があっても常に玄葉氏を支える「信者」となり、福島3区に「玄葉王国」を築く礎となった。
2009(平成21)年に誕生した民主党政権では外務大臣、内閣府特命担当大臣、同党政策調査会長などを歴任。このころが、玄葉氏の絶頂だったと言っても過言ではない。
その後、民主党が下野し、野党が立憲民主党、国民民主党等々に細分化していく中、玄葉氏はどの政党にも所属しない無所属を選択。昨年1月には野田佳彦元首相らと院内会派「社会保障を立て直す国民会議」を設立し、幹事長に就いている。
少々説明が長くなったが、そんな玄葉氏の今の立ち位置が、議場を見渡してもどこに座っているか分からない状況を生み出している、と。それは、長年安泰だった「王国」にも歪みとなって表れつつある。
「最近、あちこちで上杉さんの辻立ちする姿やポスターを見掛けるけど、頑張っているみたいだね」
県南地方では、そういった声が多く聞かれるようになっている。上杉謙太郎氏(44、1期、自民)は荒井広幸氏の秘書を長く務め、自身は神奈川県茅ケ崎市出身で福島県と直接縁はないが、今は白河市に妻と子ども3人を呼び寄せ居を構える。
別掲は直近3回の衆院福島3区の選挙結果だ。投票率が異なるので単純に比較はできないが、玄葉氏は選挙のたびに得票を減らしている。逆に上杉氏は、初挑戦の2014(平成26)年は4万9000票余にとどまったが、2017(平成29)年は6万票余まで増やし比例復活で議員バッジを手にしている。
以降、上杉氏は当選の喜びに浸る間もなく、次の衆院選に向けた活動を再開。当選前から行っていた辻立ちやポスター掲示はその一環で、派閥も自民党内最大の清和政策研究会に所属することで人脈・パイプづくりを急いだ。
1年生議員にできる仕事は限られると言われれば確かにそうだが、与党と野党ではまるで違う。例えば大規模の事業・補助金を引っ張って来るのは難しくても、小規模の事業・補助金なら地元の要望に沿ったものをいくらでも紹介し、必要なら担当省庁につなぐことができる。自分にそれだけの力がなくても、派閥や先輩議員を介せば事足りる。
しかし、野党の1年生議員ではそうはいかない。応対する官僚の格も与野党では違ってくる。与党にいることは、それだけで相当な重みを帯びているのだ。
象徴的なのは昨年10月の台風19号被害だ。防災服に身を包んだ上杉氏は、森雅子法務大臣と一緒に福島3区内の被災地を回り、各地で要望を聞いた。おそらく1人で回ることもできただろうが、地元選出の現職大臣に同行することで、たとえ森氏が主役、上杉氏が脇役になったとしても地元の要望は政府に届くから、自身の実績・評価として着実に積み上がっていくわけ。
同じように、野党議員も被災地を回っているが、そこまでの仕事をこなせるかというと難しい。そうなると、地元の首長、議員、経済人は政府や省庁とつながりやすい与党議員を窓口に陳情・要望を行うようになるので、無所属の玄葉氏は存在感を発揮しにくい状況にあるのだ。
「玄葉氏は震災発生時、内閣府特命担当大臣だったが、地元(福島3区)が困っている中で『玄葉氏のおかげで助かった』という評価はほとんど聞かれなかった。逆に、週刊誌で特定地域にタンクローリーを送ってガソリンを確保したという記事を書かれ、被災者からせこいと言われる始末だった。内閣の中枢にいたときでさえその程度なんだから、無所属の立場では政府・省庁に地元の声を届けるのは極めて難しいと思いますよ」(前出・県南地方の経済人)
他選挙から見える傾向
田村郡の古参自民党員がこんなエピソードを教えてくれた。
「2016年、小野町に多目的運動施設がオープンした。財源は福島再生加速化交付金(子ども元気復活交付金)だが、玄葉氏は周囲に『私が国に掛け合って(交付金を)出させた』と言っていた。しかし、それは事実でない。あのとき最も尽力してくれたのは谷公一・復興大臣補佐官(=当時、6期、衆院兵庫5区)で、自身も阪神・淡路大震災を経験した谷先生が被災地を元気付けたいと配慮してくれたのです」
そのお礼に上杉氏は当選後、多目的運動施設で開いた観桜会に谷氏をゲストとして招いたという。
「小野町の上杉後援会は、せっかく谷先生を招待するのだから上杉氏に恥をかかせるわけにはいかないと多目的運動施設に700人集めた。会場に到着した谷氏はその光景に目を丸くし、挨拶で『私の地元では300人集まれば十分なのに、700人は凄い。上杉君は幸せ者だ』と口にしたほどだった」(同)
そうした経緯を知る古参自民党員からすると、玄葉氏の支持者が何の根拠もなく「あの施設(多目的運動施設)は玄葉先生のおかげでできたんだ」と触れ回っているのが許せないのだという。
「震災のとき、玄葉氏が大臣だったおかげで地元が助けられたことがありましたか? 『私がやった』と口で言うのは簡単だが、本当にやってから言ってもらいたい」(同)
前出の経済人、古参自民党員に共通するのは、玄葉氏は震災時、内閣の中枢にいたのに地元のために何もやっていないという評価だ。もちろん、全くやっていないことはないだろうが、では何をやったかというと有権者の目に形として見えていないため、結果として「大臣だったのに何もやっていない」という手厳しい見方につながっているのだろう。
そういった評価は、選挙の得票数にもジワジワと表れている。衆院選の得票数は前述したが、今度は別の角度から分析してみたい。
別表は昨年7月に行われた参院選に立候補した森雅子氏(自民党=当選)と水野さち子氏(無所属、野党統一候補=落選)の福島3区内における得票数だ。大臣経験を持つ現職と新人という知名度の差や、候補者が変われば票差も変わる事情もあるが、水野氏(野党)が森氏(与党)を上回った選挙区は一つもない。
同じく参院選の福島3区内における比例政党名の得票数を見ても、立憲民主党と国民民主党の合計数(2万8684票)は自民党(4万7352票)に遠く及ばない。有権者の野党に寄せる期待の薄さと言える。
もう一つ、昨年11月に行われた県議選の結果も見てみたい。福島3区内では田村市・田村郡(定数2)と東白川郡(同1)が無投票で、白河市・西白河郡(同3)、須賀川市・岩瀬郡(同3)、石川郡(同1)が選挙戦となった。結果は別掲の通り。
白河市・西白河郡は順当で、与野党の得票数差は2倍に開いた。石川郡は玄葉氏の元秘書でもある円谷氏が自民党の新人を何とか振り切ったが、一騎打ちだったら勝敗がどちらに転んでいたか分からなかった。注目されたのは須賀川市・岩瀬郡で、宗方氏の〝一抜け〟は予想されていたが、2、3位には自民党の新人が収まった。
「玄葉支持」の空気に変化
県議選の結果を、地元の選挙通はこう総括する。
「石川郡は石川町長が元自民党県議の塩田金次郎氏なので、大野氏の落選は誤算だったが、須賀川市・岩瀬郡で自民党の新人2人が当選したのは大きい。白河市・西白河郡で5選した渡辺義信氏がその後、県内の選挙を統括する自民党県連幹事長に就いたことも、今後の衆院選を考えると追い風だ。対照的に無投票で終わった田村市・田村郡は玄葉氏のお膝元であることを考えると、自身の秘書を擁立するなどテコ入れを図るべきだったのではないか」
この選挙通によると、福島3区内の市町村長も玄葉氏と距離が近かった人たちが次々と引退し、自民党色の濃い人に代わっているという。
「典型は三春町。昨年9月に任期満了で引退した鈴木義孝氏は玄葉氏と親しく、地元の自民党系の会合には一切参加しなかった。元同町議の三瓶正栄県議もいたので、同町の玄葉支持は全く揺るがなかった。それが今では、自民党に近い坂本浩之町長に代わり、絶対的だった玄葉支持の空気は変わりつつある」(同)
データでも明らかになりつつある情勢変化に、ある玄葉氏の支持者は危機感を強める。
「後援会の高齢化が進み、世代交代を急ぐ必要がある。ただ、安倍内閣が強大な力を持つ中では野党というだけで不利なのに、玄葉先生の場合は無所属という別の不利も背負っている。それなのに県議、市町村議に自身の秘書や支持者を送り込もうという必死さは感じられない。内堀雅雄知事とは相当親しいはずだが、そういう人脈をアピールすることもない。今のままではジリ貧だ」
こうした状況に、前出の古参自民党員は「上杉氏が選挙区で玄葉氏に勝てるとしたら〝次の次〟だと思っていたが、一気呵成に〝次〟を意識していい」と強気だが、冷静な同党員からは「選挙は甘くない」「玄葉氏を侮ってはいけない」という意見も聞かれる。
これに対し、玄葉氏の一部支持者からは「二大政党なんて夢物語。このまま野党にとどまっても展望はない。それなら、いっそのこと自民党に行けばいいのではないか。県議時代は同党員だったのだから」と驚きの自民復党待望論がチラホラ出てきている。今まで辛酸をなめてきた同党員は当然猛反発するだろうが、いずれにしても、次の衆院選で「玄葉王国」にどのような変化が起きるのか、それとも安泰が続くのか、結果が大いに注目される。
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