村井知事「〝国体〟廃止論」の波紋|【生島淳】【スポーツ】東北からの声2
今年の4月8日のことだ。
全国知事会長を務める宮城県の村井嘉浩知事が、定例会見の席上、「国民スポーツ大会(旧国民体育大会)の廃止」という意見を述べた。
村井知事は「廃止も一つの考え方ではないか」とし、大会はこれまで都道府県が持ち回りで開催してきたが、「47都道府県が順番に年に1回、ほぼすべての競技を1カ所に集めてやるのは見直すべきだ」とも発言した。
この発言は大きな波紋を呼んだ。
村井知事の発言を受け、その翌日に栃木県の福田富一知事は定例会見の席上、「大変だから、お金がかかるからということだけで中止になることはあってはならない」と述べ、慎重な検討が必要だとの認識を示した。
かつて「国体」と呼ばれていた大会は、戦後日本の復興の象徴でもあった。戦後すぐの昭和21年から始まり、持ち回りで開催。各自治体の体育館などは国体を機に整備されていった。各地に「国体道路」という名称の幹線道路が走っているのは、国体に合わせて整備されたものである。つまり、国体は建設土木事業とも絡み、インフラの整備にひと役買った。
しかし、令和の時代に入って各都道府県にとっては費用負担がずしりとのしかかる。令和4年に開催した栃木県では施設整備費に約652億円、運営費などに約177億円と総額約829億円を支出。国の補助は約5億5000万円だった。
各知事としては、廃止とまでは言わずとも、少なくとも見直しを……というのが本音ではないか。
一方で、こんな意見もある。神奈川県の黒岩祐治知事は「多くの選手が目標にしている。持続可能な形で継続できるよう検討が必要だ」と話した。
この言葉には説明が必要で「競技によっては」という注釈がつく。たとえば、少年男子の野球。夏の甲子園で上位に進出した学校が参加して行われるが、記録的な価値はあまりない。国体の優勝校? 記憶している人は少ないですよね。
一方で、国体の存在が競技継続のきっかけになっているケースもある。国体では開催県が優勝するために他の都道府県の選手を「国体要員」として招聘することが珍しくなかった。自治体の臨時職員として雇用関係を結び、競技を続けてもらうのである。一般的にマイナーとされる競技の選手だと、この制度はありがたいもので、なんとか競技を続けていける手づるになっていた。
また、高校生の進路についても大きな意味合いがあった。大学入試においては「全国大会ベスト8以上」といった実績を出願条件にする学校もある。国体は多くの高校生にとって、次のステップにつながる場だったのだ。大会のひとつがなくなるということは、条件を満たす選手が少なくなり、高校生、そして大学側にとっても困った状況になりかねない。
今回、宮城県の村井知事が出した意見は見直しのきっかけとなるだろう。私としては本当に必要な競技を選んでいくことが大切なのではないかと思っている。
それにしても、こうした議論が出てくると「昭和は遠くなりにけり」と思わざるを得ない。来年は戦後80年だ。
いくしま・じゅん 1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大卒。博報堂で勤務しながら執筆を開始し、99年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る。最新刊に『箱根駅伝に魅せられて』(角川書店)。
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