【イチエフ過労死裁判】判決が認めた救急体制の課題(牧内昇平)
2017年秋、事故収束作業が続く福島第一原発(イチエフ)で、自動車整備士の猪狩忠昭さん(当時57)が過労死した。遺族が救急医療体制の不備を指摘して東電などを訴えた裁判は5月19日、仙台高裁で判決が言い渡された。結果は遺族の敗訴だったが、東電の「正しさ」が証明されたわけではない。
判決後、東電ホールディングス広報室は、筆者の取材に対してこうコメントした。
「廃炉作業に取り組んでいただいた方が亡くなったことは改めてお悔やみ申し上げます。判決の詳細は把握しておりませんが、当社の主張が認められたものと考えております」
だが、筆者はこう言っておきたい。
東電よ、控訴審判決は「裁判所が賠償を命じるほどではない」と言っているだけだ。「イチエフの救急医療体制に問題がなかった」と太鼓判を押しているわけではない。
事案を振り返る=表1。
亡くなった猪狩忠昭さんは2012年3月、車両関連会社「いわきオール」(いわき市)に入社。14年6月頃からイチエフ構内の工場で放射線に汚染された車両を整備した。イチエフ勤務の日は朝4時半頃にいわきオールに出勤し、同僚とイチエフへ移動。防護服やマスクを装着して車両整備を行い、終了後はいわきオールへ帰ってまた働いた。17年10月26日、イチエフでの午後の作業が始まる直前に、猪狩さんは倒れた。同僚たちが救急医療室に搬送したが、帰らぬ人となった。死因は「致死性不整脈」だった。
一審判決(福島地裁いわき支部)による月ごとの時間外労働は以下だ。
・1カ月前 100時間10分
・2カ月前 90時間50分
・3カ月前 65時間6分
・4カ月前 107時間41分
・5カ月前 134時間33分
・6カ月前 83時間20分
「過労死ライン」(月80時間の時間外労働)を大幅に超えていた。いわき労働基準監督署が労災を認めた。
遺族は、いわきオール、宇徳(本社横浜市)、東電の3社に対して損害賠償請求訴訟を起こした。猪狩さんの雇用主はいわきオールだが、主に働いていたのはイチエフの中だ。東電から車両整備工場の運営を委託されていたのが宇徳だった。東電(発注者)―宇徳(元請け)―いわきオール(下請け)という受発注関係の下で猪狩さんは働いていた。
21年3月の一審判決はいわきオールの安全配慮義務違反を認め、同社に約2500万円の賠償を命じた。一方で宇徳と東電は「お咎めなし」とした。
遺族には「イチエフからこれ以上死者を出したくない」という思いが強い。そのためには下請け企業に責任を取らせるだけでは不十分で、イチエフを管理する東電に対して、作業員の安全管理に万全を尽くさせる必要がある。遺族は東電と宇徳に関する部分のみ、仙台高裁に控訴した。主張は「救急医療体制の構築義務違反」の一点に絞った。
「救急医療体制の構築義務違反」とは何を指すのか。
腑に落ちない仙台高裁の判決
判決文などによると、東電は傷病者が発生した時のために救急医療室(ER)の電話番号を載せた「連絡カード」を配っていた。しかし、実際にはこれが機能しなかった。猪狩さんが整備工場の前で倒れた時、一緒にいた同僚たちは携帯電話を持たず、工場には固定電話がなかった。
同僚たちは事前連絡ができないまま猪狩さんをERに運び、ドアをたたいて中の職員に気づかせるという方法で急病人発生を伝えるしかなかった。イチエフではたとえ急病人でも診療前に放射線量を測る必要がある。急な搬送を受けて線量測定を準備したため、診療開始が少なくとも数分は遅れた。遺族はこの点について「東電と宇徳に過失がある」と主張した。
ちなみに厚生労働省は15年、イチエフの安全衛生管理対策について「ガイドライン」を示している。これには〈搬送時間の短縮を図るため、救急搬送体制の強化、ドクターヘリの積極的活用を図る〉、〈診療室に必要な医療関連職種を配置し、救急処置のための医療資材・設備を確保しておく〉などと書かれている。
さて、仙台高裁(小林久起裁判長)はこの点をどう判断したのか。結論から言えば遺族の主張は東電・宇徳どちらに対しても退けられた。特に東電に注目して判決を読み進める。
〈(厚労省のガイドラインでは)救急医療室で診療するまでの放射線スクリーニング等の時間の短縮が具体的に求められてはいなかった〉
〈事前連絡によって短縮できる時間が数分程度であることを考えると、救急医療について専門的な知識までは持っていない東電において、救急診療までの時間短縮の大切さと体制整備の重要性について具体的な問題意識をあらかじめ持つということは相当に困難であった〉
〈あの時に何ができたのかを分刻みに検討している現時点の知識に基づいて、控訴人(遺族)が主張するような対応を要求することは相当とは認められず、東電に、速やかに救急医療を受けられるために必要な措置を講じなかった注意義務違反ないし結果回避義務違反の過失があったとまでは認められない〉
判決のこの部分、筆者は何度読み返しても腑に落ちない。救急医療が一分一秒を争うことは周知の事実ではないのか? 東電が救急医療の素人ならば、専門的知識を持つ医療機関からアドバイスを受けるべきではなかったか? イチエフの敷地は広く、作業員は防護服を着ていたり、診療前に放射線測定が必要だったりと特殊事情がある。このためドクターヘリの設備まで求められているのだ。そのような職場で、東電自身がERへの「連絡カード」を配っておきながら、作業員の連絡手段を整えていなかった。そこに「手落ち」はないのか?
遺族は悔しいに違いない。
「判決結果は想定内でしたが、どこかで奇跡が起きてくれたらと考えていました。どうして労働者が現場で命を失ったのに、企業の責任が1㍉も認められないのでしょうか。被ばく労働をされている人たちの人権ってあるのでしょうか。企業として人として一番大切なところがないがしろにされていると感じます。原発労働で苦しむ人をこれ以上出してはいけないと願ってやみません」(猪狩忠昭さんの妻)
東電への「お墨付き」ではない
高裁判決は確かに、遺族の訴えを退けた。新聞などが報じるのはここまでだが、分析の手を休めてはいけない。先ほどは東電を「かばう」部分だけ引用したが、判決には実はこういった指摘もある。
〈(遺族が)数分でも早く治療を受けることができたならば助けることができたのではないかと悔やまれる気持ちになるのは、実際に命を助けられたかは必ずしも明らかでないとしても、その気持ちが理解できないわけではない〉
〈各種の安全対策を担うことができるのは原発を設置、運営してきた東電以外にはなく、東電の第一義的な責任の下で、元請事業者、関係請負人と連携し、労働安全衛生水準の向上に努めなくてはならない〉
〈イチエフという最先端の技術を扱う事業所であれば、インターフォンを設置するなど、もっと迅速かつ確実に急病人の症状を伝えられる設備も十分に考えるべきであった〉
〈作業員全員に携帯電話を貸与するか、少なくとも作業グループごとに1台携帯電話を貸与し、救急医療室に事前連絡できるようにするとともに、それを作業員に周知させ、急病人や事故が発生した際に速やかに救急医療が受けられる体制が維持、整備されることが望ましい〉
つまり、こういうことだ。判決はあくまで「法律的に『賠償義務あり』と断じるほどの過失ではない」と指摘したにすぎない。東電の救急医療体制にお墨付きを与えたわけではない。むしろ、その課題を十分指摘している。筆者はそう考えている。
裁判所が例示するだけでも、原発事故直後から猪狩さんが亡くなる17年秋までに、イチエフでは重大な傷病者が発生した事案が計13件(15人)も起きている=表2。このほか被ばくによって健康を害した作業員もいる。
こういった人たちは「原発事故の犠牲者」とも言える。東電には、犠牲者をゼロに近づける不断の努力が求められている。
猪狩さんの遺族の裁判を支援する「福島第一原発 過労死責任を追及する会」のメンバーたちはこう話している。
「判決を闘いの力にしていく」
「東電がガイドラインを軽視しているのは明らかです。イチエフで起きている様々な傷病事案に対して、東電が自分の責任をその都度認めていく。東電側にその姿勢がない限り、イチエフ内で亡くなったり負傷したりする人は今後も出てきてしまうのではないでしょうか」(宮城合同労働組合の星野憲太郎委員長)
「裁判官はあと一歩のところで東電・宇徳の責任を認めようとしなかった。本当に悔しい。忠昭さんの無念を晴らすだけではなく、今後イチエフで働く作業員の方々の命と健康を守っていくために東電や元請け企業に対して何が言えるか。追及する会としては検討し、この判決を闘いの力にしていきたい」(東京労働安全衛生センターの飯田勝泰事務局長)
最後にもう一度言っておく。
東電よ、「勝訴」に思い上がるな。
まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。公式サイト「ウネリウネラ」(https://uneriunera.com/)。
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