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【イチエフ内過労死事件】「東電に賠償責任なし」 司法の判断に怒る遺族(牧内昇平)

(2021年5月号より)

 4年前の秋、事故の収束作業が続く福島第一原発(イチエフ)で、一人の自動車整備士が過労死した。いわき市内に住んでいた猪狩忠昭さん(当時57)だ。遺族は直接の雇い主だけでなく、イチエフを管理する東電に対しても裁判を起こした。原発で働く人たちの環境をよくするためだ。しかし、福島地裁いわき支部は3月30日、「東電に賠償責任なし」という結論を出した。遺族は強く憤っている。

●判決前

 判決のおよそ2週間前の3月13日、亡くなった猪狩忠昭さんの妻、茜さん(55、仮名)は、JRいわき駅前で裁判のチラシを配っていた。

 「原発で働く人が過労死しました。30日に判決です。よろしくお願いします!」

 あいにくの激しい雨で人通りはまばらだったが、それでも幾人かは足を止め、チラシを受け取っていく。雨合羽を着て立ち続ける茜さんの熱心さが、通行人にも伝わるのだろう。裁判を支援する労働組合「全国一般労働組合全国協議会」(以下、全国一般全国協)の組合員らが、横断幕をかかげている。

 《福島第一原発 過労死を許さない!! いわきオール・東京電力・宇徳は遺族に謝罪しろ!! 福島第一原発過労死責任を追及する会》

 チラシを配りながら、茜さんは筆者にこう話した。

 「少しでもこの裁判のことを知ってほしいんです。そして、原発の中で働く人がどんな状況になっているか、皆さんに考えてほしい。そうしなければ、もっとたくさんの犠牲者が出てしまうかもしれません」

 荒れた天気の中、原発作業員の労働問題に関心を持ってほしいと訴える茜さんの姿には胸を打つものがあった。茜さんら遺族は裁判で、東電ホールディングスを含む企業側に合計4300万円の損害賠償を求めた。裁判の第一の目的は何かと言えば、やはり忠昭さんの死の責任を追及することだろう。

 しかし、遺族が考えているのはそのことばかりではない。2011年5月から忠昭さんが亡くなる2017年10月までの間に、少なくとも15人の作業員がイチエフ内で負傷したり、病気を発症したりしていた。原発で働くすべての人たちの命と健康を守りたい。忠昭さんと同じような悲劇が再び起こることを防ぎたい。そう願って、遺族は裁判を闘ってきたのだった。

●なぜ亡くなったのか

 忠昭さんが亡くなってから裁判に至るまでの経緯について、本誌はすでに2018年12月号「過労死作業員の妻が憤る東電『使い捨て体質』」などで詳しく書いているが、ここでもう一度おさらいしておきたい。

 自動車整備士だった忠昭さんは2012年3月、いわき市内にある車両整備会社、「いわきオール」に入社した。そこで命じられたのが、イチエフ構内での車両整備だった。

 遺族によると、原発事故の収束作業にはたくさんの乗用車やトラックが使われていた。その数は合わせて1000台以上。これらの車は放射性物質で汚染されているため、イチエフの外に運び出すことができない。そのため、イチエフ構内の工場で点検・整備を行い、使える車はイチエフの中だけで使おう、ということになっていた。その車両整備を任されたのが、忠昭さんたちだった。

 当時の写真には、防護服に身を包み、全面マスクをかぶった忠昭さんが写っていた。イチエフ内ではこのような装備で、車のエンジンルームをのぞきこんだり、バッテリーを交換したりしなければならなかった。いわゆる「町の整備工場」とは全く違う、特殊な職場環境だった。

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イチエフで車の整備をしていた頃の猪狩忠昭さん=遺族提供

 イチエフで働く日の忠昭さんは、おおむね表1のようなスケジュールだった(これは夏以外の場合。7月から9月は、イチエフでの作業は午前中のみ)。一日の拘束時間が12時間を超えている。午前4時半にいわきオールに出勤するためには、恐らく3時台には起床していたことだろう。

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 なぜ、こんな状況になるのか。ポイントは「移動時間」だった。忠昭さんはいわきオールとイチエフとの間を、1時間以上かけて往復していた。同僚と交代で車を運転していたという。遺族の裁判を支援する全国一般全国協の牧野悠氏はこう話す。

 「朝の時間帯、イチエフの前は作業員たちを乗せた車で渋滞します。予定通り到着するためには、かなり早めに出発しなければなりませんでした。緊張を強いる現場作業の前後に、長時間移動も必要な状況です。これは忠昭さんだけでなく、多くの原発作業員に共通しています」

 忠昭さんはイチエフでの勤務がない土曜日も、いわきオールで働いていた。体を休める暇がない、とても過酷な仕事だった。

 忠昭さんは、2016年11月に心臓の手術を受けた。術後は良好で、翌年1月に復職したが、本人や家族は「しばらく土曜出勤やイチエフでの勤務は控え、体を休めたい」と考えていた。しかし遺族によると、いわきオールの経営者は、復帰直後からイチエフへ向かうように指示したという。

 そして2017年10月26日、イチエフで午後の作業に入る直前、忠昭さんは苦しみ始めた。うずくまり意識を喪失。そのままかえらぬ人となった。死因は「致死性不整脈」とされた。

 忠昭さんの死後、茜さんはいわき労働基準監督署に労災を申請した。「仕事が理由で亡くなった」ということを、はっきりさせるためだ。労基署は、いわきオールからイチエフへの移動にかかる時間も勤務時間として計算し、忠昭さんの残業時間は表2のようになると判断した。

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 1か月平均で80時間以上の残業をしていた場合、過労死の可能性が高いとされている。いわゆる「過労死ライン」だ。このラインを完全に超える働き方だった。いわき労基署は2018年10月、忠昭さんの死を労災と認めた。

●裁判へ

 労災認定の4か月後の2019年2月、遺族は企業側に損害賠償を求める裁判を起こした。ここで問題になったのが、「東電の責任を問えるかどうか」だった。

 これには、全国の土木や建設工事の現場で広がる「多重請負構造」の問題が横たわっている。

 忠昭さんを雇っていたのは「いわきオール」だ。しかし、主に働いていたのは「東電」が最終責任を持つイチエフ内の、「宇徳」というまた別の会社が運営する整備工場だった。業務の流れで言えば、東電が車両整備業務の「発注元」、宇徳がそれを受注した「元請け業者」で、いわきオールは宇徳の仕事の一部を請け負う「下請け業者」ということになる。このように、請負業者が何層にもつらなる図式を「多重請負構造」という。

 こうした場合、難しいのは「働き手の安全や健康に配慮する責任がどこにあるのか」だ。直接の雇い主であるいわきオールに責任があるのは明らかだ。しかし、宇徳、さらに距離が遠い東電となると、過労死の責任を問えるかどうかは難しい判断になるだろう。

 忠昭さんの遺族の代理人を務める斉藤正俊弁護士は、「東電が就労現場にどれだけの支配力を持ち、指揮命令権を行使したのかを考えると(この点で東電を被告とするのは)難しい案件だった」と話した。

 そこで、遺族側が裁判で主張したのが表3である。

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 訴え①「安全に配慮せず、長時間労働をさせた」問題は、いわきオール(当時の経営者を含む)と宇徳に限り、その責任を追及する。その代わり、訴え②と③については東電の責任も問う、という構成だった。

 訴え②「イチエフ内の救急医療体制が不十分だった」とは、具体的には、東電が作業員全員に携帯電話を貸与していなかったことなどにより、忠昭さんがすぐに適切な治療を受けられなかった、という主張を展開した。

 訴え③「遺族を傷つける発言をした」という点は、さらに説明が必要だ。
 忠昭さんが亡くなった2017年10月26日、東電はちょうど「『中長期ロードマップの進捗状況』に関する記者会見」を行っていた。「中長期ロードマップ」とは、イチエフの廃炉に向けた計画のことだ。まったく別件の会見だが、東電の担当者はその冒頭で忠昭さんの死に触れ、このように語った。

 「休憩があけて仕事に向かう途中のことでありましたので、直接的な作業との因果関係はないという風に考えております」

 東電社員はその後も、記者会見で「作業との因果関係はない」と繰り返した。

 東電がこの記者会見を行っていた時、茜さんは夫の急死の知らせを受け、搬送された病院に向かっている最中だった。まだ家族が遺体と面会できていないようなタイミングで、東電は「作業との因果関係はない」と説明したのだ。

 後日そのことを知った茜さんは、こう感じたという。

 「なぜ、まだ調べてもいないのに作業と無関係だと言えるのでしょうか。人間扱いされていない、モノ扱いだと感じました」

 こういった東電の対応が故人の名誉を傷つけ、遺族に精神的なダメージを負わせたとして、遺族側は慰謝料を要求したのだった。

 以上のような形で、遺族側は東電を含めた企業側全体の責任を問おうとした。

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判決の結果を報道陣らに知らせる支援者たち=3月30日、筆者撮影

●判決は

 提訴から2年後の今年3月30日、福島地裁いわき支部(名島亨卓裁判長)は遺族の訴えに対する結論を出した。判決の要点をまとめよう。

 まずは訴え①「安全に配慮せず、長時間労働をさせた」点について。

 判決はいわきオールに対して、「従業員の労働時間をタイムカードで管理していたため、忠昭さんの肉体的、心理的負荷は容易に認識できた」と指摘。同社に賠償責任があると認めた。一方、宇徳に関しては「忠昭さんを指揮監督する立場にはなかった」として、遺族の請求を退けた。

 訴え②と③については、遺族側の主張が完全に退けられた。東電に関する部分だけ紹介したい。

 訴え②「イチエフ内の救急医療体制が不十分だった」点について。判決は、「イチエフにおいては1日あたり4000人から6000人程度の作業員が勤務していた。東電が作業員全員に携帯電話を支給するためには、相当な維持費が必要となる」などと指摘。遺族が主張するような救急医療体制を期待するのは難しいという判断を示した。また、私用の携帯電話の持ち込みは禁じられていなかったことにも言及した。

 そして訴え③「死亡直後に遺族を傷つけるような発言をした」点だ。東電の「作業との因果関係はない」発言について、判決は「現時点の見解を述べているにすぎず、過労死ではないと断定したものとは理解できない」と指摘。「原告(遺族)らが不快の念を抱いたとしても、社会通念上甘受すべき限度を超えるものではない」と結論づけた。

 要するに、忠昭さんの過労死の責任は、いわきオールと当時の経営者にある。だから、彼らは賠償金(約2500万円)を遺族側に支払わなければならないが、宇徳と東電に賠償金を支払う責任は一切ない。こういう結論だった。

 この判決に遺族側が納得できないのは当然だろう。訴え②について、遺族代理人の斉藤弁護士はこう話した。

 「忠昭さんが亡くなった翌年の2018年4月、東電はイチエフ構内で働く作業員数千人に携帯電話を貸与しています。東電ほどの会社であれば、やる気になればやれたのです。被ばくの危険性のある作業現場まで私物の携帯電話を持ち込むことなど、普通の感覚ではできないですよね。裁判官が通常の人の感覚で判断しているのか、疑問を持たざるを得ません」

 訴え③については、弁護士の言葉を借りるまでもない。確かに東電社員は記者会見で「過労死じゃない」とは断言していない。しかし、「因果関係はない」と繰り返した背景には「自分たちは関係ない」という印象をメディアに刷り込みたい意思が見え見えではないか。これを遺族が聞いたら、どんな気持ちがするだろうか。果たして「不快の念を抱いたとしても、社会通念上甘受すべき限度」だろうか。

●記者会見

 判決が言い渡された数時間後、茜さんはいわき市役所で記者会見を開いた。

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判決後、記者会見に臨む猪狩茜さん(仮名)=3月30日、筆者撮影

 「夫が長時間労働による過労死であることは、きちんと認められました。そのことには納得しています。ただ、業務の発注者である東京電力や、元請けである宇徳に対しては、全く責任がないと請求を棄却されてしまいました。この部分の訴えが棄却されたことは、全く納得がいきません」

 茜さんが両手をギュッと握り合わせているのが見える。きっと噴き出しそうな怒りをこらえているのだろうと、筆者は思った。時折声を詰まらせながら、茜さんは続けた。

 「これから何十年続くか分からない事故の収束作業に、たくさんの原発作業員の方々が携わっています。結局、最終的に犠牲になるのは作業員で、その責任をとるのは下請けの企業だけ。元請けも発注元も、なんの責任も問われない。こういうことがあっていいのでしょうか」

 会見場でノートにペンを走らせながら、筆者はなんともやるせない気持ちになった。

 忠昭さんは防護服に全面マスクといういで立ちで、放射性物質に汚染された車両の整備にあたっていた。心身ともに疲労がたまる仕事だっただろう。こんな仕事は事故を起こした福島第一原発以外にあり得るだろうか。それでも、東電に責任はないのか? 

 質疑の時間になり、筆者は茜さんに聞いた。

 ――もしもイチエフの中で働いていなかったら、あるいは、もしも原発事故が起きていなかったら、忠昭さんが過労死することはあったでしょうか?
 茜さんは前を向き、きっぱりと語った。

 「それは、なかったと思います」

 東電が原発事故を起こさなければ、忠昭さんが過労死することはなかった。法律上の責任がどこにあるかは別として、それは明々白々な事実だと、筆者も思う。

 茜さんは、このようにも話していた。

 「夫の死は労災と認められ、今回の裁判でも過労死であることが認められました。東京電力には、なぜ当初『仕事とは関係なく亡くなった』という印象を植えつける発言をしたのか、説明してほしいです。謝罪ではなくても、せめて説明を求めたいと思います」

 裁判(地裁段階)では東電の法的責任は否定された。だから「謝罪」を求めるのは難しいかもしれないが、少なくとも誠実な「説明」はしてほしい。そういう思いのはずだ。

後日、筆者は東電の広報担当者に問い合わせた。

 ――忠昭さんが亡くなった当日の記者会見での発言を含め、これまでの対応について遺族が説明を求めていますが、対応する予定はありますか?

 担当者「現時点では訴訟が継続していることもあり、ご遺族に直接お目にかかって説明する予定はありません」

 東電には遺族と誠実に向き合うことを求めたい。

 ※追記 忠昭さんの遺族は福島地裁いわき支部判決を不服として控訴した。控訴審の行方も見守っていきたい。


まきうち・しょうへい。39歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。

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