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【政経東北】政治家の言葉―巻頭言2021.10

 「言霊」とは、言葉に宿る霊力を指す。発した言葉が現実のものとなる不思議な力だ。霊力を科学的に説明するのは難しいが、置き換えるとすれば「有言実行」が適切だろうか。

 菅義偉首相が突如退任を表明し、自民党総裁選に突入。この稿は9月28日に書いているので誰が新総裁(新首相)に就いたか分からないが、4人の候補者による活発な政策論争を聞いていると、誰が首相になっても期待できるのではないかと〝錯覚〟してしまう。首相の座を目指して激しく争う4氏の言葉には、言霊が宿っているように感じられるからだ。

 4氏とも「自分が首相になったらこうする」と力強く明言するのだから無理もない。しかし〝言うは易く行うは難し〟。いざ首相になったら言ったことの半分もできず、候補者のときに感じられた言葉の力は失われていくのだろう。

 政治家にとって、言葉は武器だ。言葉に力強さがない政治家は魅力を感じない。菅首相がまさにそうだ。官僚の作った原稿を棒読みし、自分の言葉で語ろうとしない姿勢に、国民は愛想を尽かした。武器である言葉が脆くては、政治家は務まらない。

 県内の首長に目を転じてみよう。今年行われた市長選は、田村といわきで新人が現職を破り、郡山は現職が辛うじて再選された。田村は現職に数々の疑惑が発覚し、何を言っても市民から白い目で見られた。いわきは台風19号被害への対応や、新型コロナウイルスで露呈した医療体制の脆弱さに市民が失望し、現職が実績をアピールしても市民の心に響かなかった。一方、郡山は敗れた新人2氏の得票を合わせると現職を大きく上回っており、現職より新人2氏の訴えが市民に届いたことになる。

 問題は、田村・いわき両市長が有言実行を果せるかである。もしできなければ、市民から「あれは選挙に勝つ目的で発した言葉だったのか」と見透かされ、見限られてしまう。今後一定の支持層のおかげで当選を重ねることができても、言葉の力を失った市長に良い仕事ができるとは思えない(もちろん、これは田村・いわき両市長に限った話ではない)。

 要するに、近年の政治家は総じて「言葉が軽い」のである。背景には、言葉を武器と自覚していない政治家が増えていることが挙げられる。

 言霊を宿らせ、真摯に有言実行に努める。ただ、できないことが発生したらウソをつかず、できない理由を丁寧に説明する――そういう姿勢の首相・市町村長なら、国民・地元住民に愛想を尽かされることはないのではないか。          

(佐藤仁)


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