【尾松亮】隠された燃料デブリ輸送計画|廃炉の流儀 連載57
11月7日、福島第一原発2号機では溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の試験的取り出しが完了した。試験的に取り出した燃料デブリは「今後、茨城県大洗町にある日本原子力研究開発機構(JAEA)の施設に運び、成分や構造を分析する」(2024年11月8日付朝日新聞)として、11月12日に大洗研究所に運び込まれた。
燃料デブリについては「燃料組成が不明であるもの、化学的に活性な燃料である可能性、水素爆発の可能性があるものということを考慮して管理し、取り扱う」(2020年3月27日JAEA・原子力規制庁面談記録)とされている。
しかしこの「化学的に活性な燃料である可能性、水素爆発の可能性がある」核物質の受け入れについて、茨城県や大洗町の住民を交えた議論や決定はなされていない。
報道では青いビニールシートのようなカバーで覆われたトラックで、道路を走るデブリ輸送車両が映され「約5時間かけて大洗町の施設に運び込まれた」と伝えられている(2024年11月12日配信FNNプライムオンライン)。しかしこれに際して輸送ルートに位置する自治体に対して燃料デブリの輸送計画を詳細に伝え、協議することもなされていない。燃料デブリの輸送ルートも公表されていない。自治体や住民にとっては、どのような防護策を講じた上でどのように輸送するのか知らされないまま「化学的に活性な燃料である可能性、水素爆発の可能性がある」核物質が通過したことになる。
米スリーマイル島原発(TMI)では事故から6年半後(1985年)に「デブリ取り出し」を開始し、その翌年1986年7月から「取り出したデブリ」の搬出作業が始まった。受け入れ先は遠く離れたアイダホ州のエネルギー省傘下研究施設(INL)である。合計で342体の特殊キャニスターに収容した燃料デブリを移送するため、計22回の鉄道輸送が行われた。すべてのデブリをINLに運び終えたのは、初回搬出から約4年後の1990年4月である。
重要な課題となったのが、輸送ルート上の地域との調整である。ペンシルベニア州のTMIからINLまでの鉄道ルートは多数の州を通過する。州ごとに異なる「危険物質輸送に関わるルール」に適合するための計画調整が求められた。ここではエネルギー省が前面に出てルート調整を進めた。同省はデブリ輸送を担当する鉄道事業者との共同会議を実施するとともに、輸送ルート上に位置する各州の知事代行者と交渉を行った。輸送ルート上の地域住民や行政担当者からの問い合わせに対応するため、「デブリ輸送計画」に特化した広報プランも作られた。INLの報告書は「放射性廃棄物輸送に関わるルールへの対応は複雑で時間を要する」と指摘する(L.J.Ball, et al.”TMI-2 CORE SHIPPING PREPARATIONS”1988)。特に重要性が指摘されるのは、輸送事業者との交渉の早期開始、地域コミュニティーへの情報公開を事前に行うことである。
日本でも、今後も燃料デブリの試験的取り出しが続き、繰り返し大洗町に輸送されることもありうる。輸送ルート上の自治体、受け入れ施設立地自治体の地域コミュニティーへの事前情報公開なく進めることは、看過しがたい住民無視のやり方と言わざるを得ない。
おまつ・りょう 1978年生まれ。東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学。その後は通信社、シンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。現在、「廃炉制度研究会」主催。
月刊『政経東北』のホームページです↓